『光る君へ』第15回を視聴して | よどの流れ者のブログ

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『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

清少納言が中宮定子のもとに初出仕した。清少納言は『枕草子』に「宮にはじめてまゐりたる頃・・・」として初出仕の頃のことをかなり詳しく回想して書いている。その頃の清少納言は新参者の意識が強くて周りになじめず、とにかく人前に出るのが恥ずかしくて人目につく昼間を避けて、「夜々まゐりて、三尺の御几帳のうしろにさぶらふに・・・」というほど引っ込み思案で萎縮していた。自らの顔と髪の毛の醜さを恥じていたことが輪をかけたらしい。暁になると早く下がってしまいたいと清少納言が思っているのを見透かした定子から「葛城の神も、しばし」と言って引き止められたことも記している。葛城の神とは自らの醜さを恥じて夜だけ働いた神で、同じことをしている清少納言のことを例えたのだ。

 

(葛城一言主神社)

 

ドラマではききょうがしっかりと受け答えをしていた。定子とのやり取りは愉しく見ることができた。高畑充希とファーストサマーウィカが成り切りの演技をしているからだと思う。初出仕の清少納言と後宮の様子は『枕草子』からのイメージとはかなりかけ離れていたが、二人の関係性はぴったりだ。これからの二人を枕草子の世界から描くのか、没落して当然の一族の定子後宮として描くのか気になるところだが、二人の演技はこれからも愉しく見られそうだ。

 

道長と道隆一族との対立は目に見える形で浮かび上がってきた。弓比べを挑まれた道長が丁重に辞退すると伊周が「おじけつかれなくも・・・」と言ったのは、「おごれる者たち」を印象づけた。最初の三本が的を射て勢いに乗った伊周が弓を射る時に願い事を言い合おうとの提案をしたくだりは『大鏡』にある通りだ。伊周が「わが家より帝が出る」「われ関白となる」と言った願い事勝負の二つとも伊周が負けて、道隆が止めろと言ったが、『大鏡』や『枕草子』などから知る道隆なら笑いながらその場を納めたに違いない、と私は思った。『大鏡』では伊周は徹底して悪く書かれている。

 

ドラマの中の道長は徹底していい人として描かれている。葛藤もあるようだが、柄本佑はほんとうにうまく演じていてまったく嫌みが感じられないので、道長も思っていたほど悪くなかったのかもしれないと、巻き込まれそうになった。兄道兼がこれ以上ないほどおかしく落ち込んでいるのを見て、立ち直るように必死に説得して「お支えします」とまで言った。愛するまひろの母を自分の虫の居所が悪かっただけで殺してしまっただけでなく、反省の気持もまったくない男を兄とは言え、支える、とは人がいいにもほどがあると私は思うのだが、ドラマの中の道長はそんなことがあったことも忘れたかのようにいい人を演じている。

 

新たな子を宿した明子にも道長はやさしい。明子はずいぶんと明るくなっていた。たぶん、藤原一族への恨みは兼家の死だけで終わらせたようだ。そして駆けつけた倫子の父雅信の危篤の枕元で、結婚させてしまったことの嫌みを言われても動じない。妻の倫子と義母穆子の絶対的信頼を得ているいい人なのだ。

 

(石山寺)

 

まひろとさわの交遊を、時間をかけて描いていた。石山寺へ祈願に出かけるエピソードだ。さわが「あの家からさらってくれる」人を求めての祈願だというのは、そういうこともありだなと微笑ましく思いながら見ていた。石山寺で寧子と道綱に二人は会った。さわは道綱を、道綱はまひろを想ったのだろう。『源氏物語』で光源氏が狙った空蝉を他の女と間違ってしまう話を借用したパロディだろう。さわはもう少し知的でしっかりした女性かと思っていた。愚痴が多いし、外見だけで道綱に惚れたみたいだった。それにしても同道した従者の乙丸は台詞一つなかったのが気になった。惟規の試験合格の祝いの席でも姿を見せただけだった。登場する人物たちの息づかいを見せてこその大河ドラマだと思うのだが、思い過ぎだろうか。

 

 

定子入内から3年、定子17歳、一条天皇14歳だ。雲一つない満月の夜、庭には雪が融けずに薄らと残っている。一条天皇が笛を吹き、定子がうっとりとして笛の音に聴き惚れている。美しい光景だ。しかし、さぞ、寒いのに、と思ってしまう。定子と一条天皇には暖かい部屋でお互いの関心事について話を交わさせてほしい。女房たちもたくさんいたはずだ。出費がかさんで公私混同だと道長がたいそう怒っていたほどだ。これからそういう場面はいくらでも出てくると思うが、二人だけで寒そうなのが気になった。

 

脚本=会話は練られているか、恣意的になっていないか(10→3点)2.構成・演出=的確か(10→4点)3.俳優=個々の俳優の演技力評価(10→6.09点)4.展開=関心・興味が集中したか(10→3点)5.映像表現=映像は効果的だったか(10→6点)6.音声表現=ナレーションと音楽・音響効果(10→7点)7.共感・感動=伝える力(10→3点)8.考証=時代、風俗、衣装、背景、住居などに違和感ないか(10→5点)9.歴史との整合性=史実を反映しているか(10→4点)10.ドラマの印象=見終わってよかったか(10→3点)

合計点(100-44.09点)

 

ここからはNHK大河ドラマ『光る君へ』全般について書く

 

歴史書『大鏡』に道隆の人柄の一面を知るエピソードがある。兼家60歳祝賀の宴が催された時に、道兼の長男が祖父兼家のために祝いの舞を踊ることになった。が、当日舞台の上で「あれは舞はじ」と言って舞いの衣装を破ったりした。道兼は顔色を真っ青にして茫然自失、居合せた人たちも手の付けようもなく見ていた。そうしたところ、道隆が席を立って庭に降り舞台に上がって、その子を自分の腰のあたりに引きつけて一緒に舞ったら、「楽もまさりおもしろく、かの君の御恥もかくれ、その日の興もことのほかにまさりたりけれ」となり、兼家も道兼も大喜びで人々も感嘆した、と書かれている。道隆は人に対して思いやり深いところがあったとも記されている。『大鏡』は道隆の子、伊周のことを取り分け厳しく記している。

 

道長栄華の時に書かれた歴史書なので、どの程度信用していいのかわからないが、そのように記載されている。何が真実かわからない。SNS全盛の現代、憶測で人のことを悪し様に語る人があまりにも多くいて、時代が変わったことを実感する。昔なら喫茶店や酒場の片隅で仲間内と交わしていた思いつきの話が今では不特定多数の人々の前で飛び交っているのだ。歴史上の話をする時も、憶測で自分勝手な思いつきで話をするのも節度を持たなくてはいけないと私は思っている。ただ言えるのは、人は往々にして自らの思いに近い情報しか取り込みたくない傾向が間違いなくある。『大鏡』が書かれた時代であっても、現代であっても変わらないように思える。自戒したい。

 

 

人物の描き方で、さわが気になった。さわの境遇には同情すべき点が多く、幸せになってほしいと思って見ていた。今回の扱いには不満が残った。ドラマだから仕方ないとして、さわは何のために登場してきたのだろうか。私はまひろと切磋琢磨する友として描かれるのではないかと期待していた。期待が外れるのは仕方ない。まひろ=紫式部はひとりだけでは才能を開花できなかったはずだ。学識豊かな父為時、学識があり為時とは発想が違うと思われる夫宣孝、そして切磋琢磨する友だちがあってこそだったと思う。

 

『紫式部集』15番歌の詞書に

 

姉なりし人亡くなり、また人のおとと失ひたるが、かたみにあひて、亡きが代りに

思ひ思はむといひけり。文の上に姉君と書き、中の君と書きかよひけるが、おのがじし

遠き所へ生き別るるに、よそながら別れ惜しみて

 

現代語訳=姉が亡くなり、また妹を喪った人がいて、互いに出逢って、亡き人の代わりに想いを交わそうと言った。便りの上に、姉君と書き、中の君と書いて文を交換していたが、それぞれに遠国へ行き別れて、離れた所から別れを惜しんで

 

とあり、紫式部には出会い、文を交わす友だちがいたのだ。姉を亡くしたことで友だちを必要としたこともあったのかもしれない。この友だちは紫式部の父為時の姉妹の娘だったといわれている。姉妹の夫は肥前の国司となった平維将だとされている。為時には二人の兄がいて、それぞれ国司になっている。為時の祖父兼輔は中納言止まりだったが、かなりの実力者だったようだ。その住居は堤第と呼ばれ、賀茂川堤あたりにある邸宅だった。その直系の子孫の為時兄弟がその邸宅を分けて同居していたと言われている。ドラマを見ているとこの家族関係が完全に欠落している。これで紫式部を描けるのかと心配だった。

 

おまけにドラマの中では、紫式部には覚えがないほど幼い頃に亡くなったとされる母親が目の前で、道兼に斬り殺されたことになってしまっている。しかも自分が道長に会いに行こうとしなければ、殺されずに済んだかもしれないというトラウマを抱えているのだ。

 

歴史ドラマとして、ここまで事実を割愛したり、ありもしないことを加えて何を描こうとされているのか。今回はあらためてそう思った。