『光る君へ』第12回を視聴して | よどの流れ者のブログ

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『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

冒頭の場面がいきなり気になった。為時が介護していた高倉の女なつめが亡くなった場面だ。死ぬ前の儀式として得度を済ませ、男の元に引き取られて生き別れになっていた娘をまひろに呼びに行かせて、今生の別れもして穏やかな死をなつめが迎えることができた、という話で、悲しく、美しい場面だ、否、そのはずの場面だった。しかし一向に、私の感情は揺れない。クールに描こうと意図したのだろうか。そうとも思えない。今回は随所に気になる場面があった。

 

 

冒頭のこのエピソードは丹念に描かれていたと思うが何のために挿入されたのだろうか。まひろは行き帰り走っていた。ひったくりに遭ってその犯人を追いかけたのでもなく、スニーカーもない時代だったのに・・・。ドラマの内容以前の違和感満載の描き方だ。

病に倒れたなつめを為時がなぜそこまで懸命に看病したのか。二人のなれそめなどを回想で見せてほしかった。今はの際に駆けつけた娘と別れなければならなかった経緯も想像はできるが回想場面でなつめに語らせてほしかった。ほんの2、3分の描写で済んだはずだ。そうすれば、なつめの境涯が呑み込めて、娘の思いもわかり、亡くなっていくなつめに感情移入もできたのではないか。このような設定であればほとんどと言っていいほど涙を流してしまう私なのに少しも揺さぶられない。お涙頂戴の描写を欲しているのではない。大河と銘打ったドラマなのだ。登場した人物の出自、来し方、人間関係など分るように描くのは当然のことだと思うのだが、よくわからないままこの場面は終わっってしまった。

 

光源氏は関わった女たちをたいせつにして面倒を見た、という話の原型として考えたエピソードなのか。まひろとさわを出会わせ仲良くさせて、『紫式部集』に載る友として歌を交わさせるためだったのか。しかし、この場面はこんなこともありました、というだけで琴線に触れるところがまったくなかった。演出に問題があると思わざるを得ない。

 

今回は気に入らない場面ばかりだった。この思いに向き合って書いていこうと思う。

 

宣孝がまひろの縁談で奔走していた。その筆頭候補に実資が上がったのには驚いた。実資の北の方が亡くなっていたのだ。桐子のことだろうか。桐子は妾だったのだろうか。桐子が亡くなったのだとしたらさびしいし、こういう伝え方は気に入らない。実資が赤痢で青息吐息なのを見て、会うことを避けて帰った宣孝。宣孝は花山天皇の蔵人だった。為時とは同僚だったはずだが、ドラマではそのことには一切ふれなかった。それにしてもなぜ、それほど近くもない縁戚の宣孝がまひろのために奔走するのか。史実では為時には歌人として名も残している兄弟がいた。本来であればそうした伯父たちが縁談の話を持ってきたのかもしれない。そこのところはドラマだから割愛するのは仕方ないにしても、将来宣孝の妾になるまひろの縁談に宣孝が出しゃばってくるとは、これはあまりと言えばあまりだ。

 

 

例の女子会でまひろが畑仕事をしていることをみんなに話した。あり得るだろうか。

『源氏物語』夕顔の巻のはじめに、光源氏が病の乳母の見舞いに訪れたときに、その傍らの家の垣根に白い花が咲いているのを見て従者に問いかけたのに対して、従者が

 

 かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は 人めきて、かうあやしき 垣根になむ咲きはべりける

現代語訳=「あの白い花を夕顔と申します。人間のような名でございまして、こうした卑しい家の垣根に咲くものでございます」(与謝野晶子訳)

 

と言ったのは、かんぴょうの実がなる夕顔はウリ科の植物で食用になり、食用にするような花を庭に植えるのは卑しいということを示そうとしたくだりだ。ましてや畑仕事を貴族のまひろがするなんてことを上流貴族の女たちの前で話すなんて、と思ったのだが、思い過ぎだろうか。このことを踏まえて、あえて世間知らずのまひろだといういことを強調するために言わせたのだろうか。

 

 

兼家に道長が倫子に婿入りしたいと言った。摂政となった兼家は自信満々だ。段田安則はすごみを加えた演技になってきた。そして詮子は明子を道長に勧めた。吉田羊も等身大の詮子になりきった演技で楽しく見られるようになってきた。山本淳子教授がステラで連載している話に拠れば、道長はまず明子と一緒になったようだ。そして倫子と結婚した道長のなり振り構わない仕打ちに、明子の母が道長をなじった和歌を残していると教授が記しています。(ステラネット2024.3.24掲載山本淳子光る君へコラムより引用)

年を()て たちならしつる 葦鶴(あしたづ)の いかなる方に 跡とどむら
去年はこちらの(かた)に住み慣れていた鶴が、今はどちらに足跡をとどめているのでしょうね?――娘に馴染(なじ)んだはずの道長様、今はどちらにお住まいかしら。
(『拾遺和歌集』雑上 498番 愛宮)

 

このあたりはドラマだから仕方ないとしても、倫子があまりにも道長にぞっこんで興醒めがした。『紫式部日記』に見られた倫子のように毅然としてほしかった。何のために黒木華を配したのか。このような黒木華を見たくなかった。道長は当然後朝の歌を倫子に贈ると思うが、次回にその場面があるだろうか。道長と倫子の結婚は倫子の母穆子が強力に推してくれたお陰だったと道長は自らの日記に記していると教授は言われています。前々回あたりで穆子が道長を推しているのはわかっていたが、今回はあまり存在感がなく、倫子の道長への思いが強く印象づけられた描き方だった。

 

それに引き換え、道長を受け入れた明子の思惑には強い印象を受けた。兼家を呪詛するためだというのだ。明子の父源高明は藤原一族の策略で失脚して後亡くなっていた。明子を受け入れる身寄りがなく、詮子が受け入れていたのだ。その後ろ盾のない身の上の明子をなぜ道長と、と思っていたが、高明の怨念を鎮めるとの詮子の話で得心がいった。そういう時代だったのだ。明子と兄源俊賢とが兄弟同士で話し合う場面があったが、一族が生き延びるための方策を考える俊賢と、恨みを晴らしたい一心の明子との対比をしっかりと描き、緊張感があってよかった。俊賢は実資などと共に、後ろ盾を失って悲運の定子に手を差し伸べた数少ない貴族の一人だ。

 

 

まひろと道長との三度目の逢瀬はそれぞれの思いがすれ違ったまま終わった。妾でもいいと思って道長への思いを募らせたまひろと、妾でもいいと言ってくれと願った道長とが、けじめを付けに来たという道長の言葉で思いが相通じることもなく別れることになった。その足で道長が倫子との初夜に臨むとは、これはないだろうと思ったものの、ドラマの中だったらあり得るだろうと思った。道長はことさらに愛のない結婚をしようとしたし、倫子はその思いをぶつけた。しかし、この筋書きには無理を感じた。まひろへの対処の仕方など見れば、賢いはずの倫子にそのことがわからないはずがないし、愛のない道長がなぜ6人もの子どもを倫子に産ませることができたのか。明子もまた6人の子どもを産むのだ。権力を握るためには子どもがいる(特に入内させる娘が)という道長の考え方は史実通りだが、ドラマの中の道長もその通りに考えたのだろうか。まひろを愛しているという道長がこのような動きをするとは、私には理解しがたい展開だ。

 

脚本=会話は練られているか、恣意的になっていないか(10→3点)2.構成・演出=的確か(10→3点)3.俳優=個々の俳優の演技力評価(10→6.09点)4.展開=関心・興味が集中したか(10→4点)5.映像表現=映像は効果的だったか(10→6点)6.音声表現=ナレーションと音楽・音響効果(10→6点)7.共感・感動=伝える力(10→3点)8.考証=時代、風俗、衣装、背景、住居などに違和感ないか(10→6点)9.歴史との整合性=史実を反映しているか(10→3点)10.ドラマの印象=見終わってよかったか(10→3点)

合計点(100-43.09点)

 

ここからはNHK大河ドラマ『光る君へ』全般について書く。

 

『紫式部日記』に、彰子が敦成親王を産んで50日の祝いの日に、道長邸で催されたあり様が叙述されている。祝いに駆けつけた公卿たちが酩酊しているなかで実資のことを紫式部はリスペクトした文章を書いている。

 

・・・ひんがしの柱もとに、右大将よりて、衣の褄、袖ぐち、かぞへたまへるけしき、人よりことなり。酔ひのまぎれをあなづりきこえ、また誰とかはなど思ひはべりて、はかなきことどもいふに、いみじくざれいまめく人よりも、けにいとはづかしげにこそおはすべかめりしか。

 

現代訳=東の柱下に、右大将=実資が寄りかかって、女房たちの衣装の褄や袖口の襲(かさね)の色を数えていらっしゃるご様子は、他の人とは格段に違っている。みなが酔い乱れて何も分らないのに気を許して、また人に誰と知られるはずもあるまいなどと思って、ちょっとした言葉なども話しかけてみたところ、ひどく当世ふうに気どっている人よりも、右大将は一段とご立派でいらっしゃるようであった。(以上、小学館「古典文学全集」より引用)

 

人を褒めることの少ない紫式部が実資に話しかけた上で絶賛している。何を話しかけたのだろうか。「襲の色を数えてどうされるのですか?」とでも言ったのだろうか。その答え方が気に入ったのだろうか。実資はその日記で中宮(後に皇太后)彰子に会うときは紫式部を通したことを記している。紫式部はなじみの女房だった。取り次いだ紫式部と実資は何を話したのだろうか。事務的なことだけではなかろう。清少納言は行成や斉信たちとの交流を『枕草子』に記している。紫式部は父親が越後の国司を辞任して帰った前後に亡くなったとされているが、倉本一宏教授は『小右記』には、それ以降も取り次いだ女房のことが数多く記されているので、その女房は紫式部のことではなかったかとして、紫式部はけっこう長生きしたのではないかと言われています。

 

 

ドラマのなかの実資はかなりユニークに描かれていることには、今のところ異存はない。彼が登場するのが楽しみなくらいだ。なつめの死をあれほど時間をかけたのだから、桐子の死も描いてほしかった。清少納言も紫式部も病に倒れた女のはかなげな様子を美しいと書いていて、平安時代は胸を病んだ女性などをひときわ美しいと感じる人が多かったようだ。清少納言は『枕草子』190段(岩波文庫版 八月ばかりに、白き単なよらかなるに、・・・)に記しています。『源氏物語』御法の巻では、紫の上が亡くなる前の姿の美しさを称えるために殊の外、筆に力が入ったように思われる。

 

こよなう痩せほそり給へれど、「かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさも、まさりて、めでたかりけれ」と、来し方、あまり匂ひ多く、あざあざとおはせしさかりは、中々、この世の花のかをりにも、よそへられ給ひしを、限りもなくらうたげに、をかしげなる御さまにて、いとかりそめに、世を思ひたまへる気色、似る物なく心苦しくすずろに物悲し。   

 

現代語訳=この上もなく痩せ細っていらっしゃいますけれども、かえってこのくらいの方が、上品さや優雅さの限りなさもひとしおで、結構にお見えになります。昔はあまりにも色香がたっぷりとありすぎ、派手な感じがして、盛りの時にはこの世の花の薫りにも擬えられていらっしゃいましたが、今はなかなかみやびやかに、艶な御様子をしておいでなされ、仮の命と世を諦めておいでになりますけはいなど、似るものもなくお傷わしくて、そぞろに人を物悲しくさせます。(中央公論社谷崎潤一郎新々訳源氏物語から引用)

 

谷崎潤一郎も力のこもった訳し方だ。今のところ、まだ若い紫式部=まひろのことなので、もっとドラマに関してもの申したいところがあるのだが、ここはしばらく長い目で見たいと思う。