上の写真は淀川左岸縁に建つマンションから眺めた風景です。左端の山は愛宕山、右端の山は比叡山です。その間の山並みは北山です。その手前に広がっているのが京都の街で、この見えている範囲内に平安京のあった場所がそっくりおさまります。写真からはその面影は見えませんが、山のあり様はそんなに変っていないのではないでしょうか。天気のよい日であれば、五山の送り火がいくつか見えます。
794年にこの地に都が遷され、その180年くらい後に紫式部が生まれました。彼女の父藤原為時は教養ある文化人で、その影響のもとに彼女は和漢の書を読み、その文学的才能を磨いていった。
万葉集、古今和歌集、竹取物語、伊勢物語、蜻蛉日記などがすでに彼女の身近に存在していたことが彼女の文学的才能を開花させる元となったといえるでしょう。
また、彼女の家柄が権力を持つ藤原氏本流から外れてはいたが、かろうじて貴族の体面を保っていたことが『源氏物語』を著わすのに絶妙な位置にいたのではないかと思われます。
この時代の文学作品を生む土壌として、教養ある女性が多くいたということもあげられるでしょう。時代が摂関政治の絶頂期で、やがて院政がしかれ武士が台頭してくる少し前だったこと、一条天皇と定子中宮の存在は特に女性に大きな影響をもたらしたと思います。