先日のカウンセリング

配達の人とモメた後の私の状態と

カウンセラー仲間と食事した時に腹が立った話を相談したら 

先生は最初に

「朋子さんの経験はどうしたってマイノリティーになってしまうという事を

もっと知っておいても良いかもしれませんね」と言っていた

 

 

 

 

 

そうなのよね。ADHDがマイノリティなら毒親育ちもマイノリティで

私の価値観はとてもマイノリティなんだそうだ 自覚もある

大抵の人が私の価値観を「変わっている」と言う

悪い時は「考えすぎ」「気にしすぎ」「甘えてる」なんてのもある

 

 

 

 

 

ただ今となってはマイノリティな私の価値観も

私にとってはとても正しかったと自負できる

一般的な人よりずっとたくさん考えて

ずっと周りを気にして様子を伺いながら生きてきたから

今の状態にまで無事に生きてこれたと思っている

 

 

 

 

 

だから能天気なマジョリティの人達に

「考えすぎ」なんて言われた日には

「お前らの見通しが甘いから問題が起きてるのにア〇だな」と

真っ先に感じてしまう

そして最近はそんな自分を好きになりつつある

 

 

 

 

 

 

問題は、誰と食事に行こうが私の価値観に絡んだ話になると

毎回必ず引かれるか面倒臭がられてしまうこと

私は人に面倒くさい思いをさせたい訳じゃない

それに人間嫌いだけど人と関わりたい

毎回面倒臭がられて人が離れていくことは悲しいことだ

 

 

 

 

 

 

なぜ引かれてしまうかって

マジョリティの人たちから見たら価値観が「重い」し「極端」だから

そう予想していったら先生も同じことを言っていた

 

 

 

 

 

 

ただ私の世界というか日常は「重さ」と「極端さ」で出来てきたから

私にとってはこれで通常

 

 

 

 

 

だからもしこの「重さ」と「極端さ」を出さずに話をしようとしても 

空っぽになってしまう

居るのか居ないのか分からない人になってしまいそうで怖い

そんなのはイヤだ

でも他のどうでもいい楽しい話なんて何も出てこない

 

 

 

 

 

 

こういった食事会で皆から面倒臭がれるという傷つき体験を避けようと思ったら

マジョリティに合わせた会話をするしかない…

えー…楽しくない…

 

 

 

 

 

 

 

とはいえそういう場で

マイノリティの私の話しを押し付けてはいけないことは理解できる

私も身体の障害面ではマジョリティ側なので

マイノリティの人たちの苦労を知っていても

マジョリティとしての都合の良さを手放そうとはしていないから

 

 

 

 

 

 

先生に「私から『重さ』や『極端さ』を取ったら何も残りません

そして『重さ』や『極端さ』を面倒臭がる人をバ〇だとも思ってしまう

でも人と関わっていたいんです どうしたらいいですか」と聞いてみた

これ、私にとって永遠のテーマになってしまいそう…

 

 

 

 

 

先生は「世の中はマジョリティに合うようにできています

マジョリティの中にいたら朋子さんが合わせていくしかないのが

今の世の中なので朋子さんにとったらそれは辛いことだと思いますよ

マイノリティの人が集まっている場所もあるので

そんな居場所をつくるのも一つの手です」と言っていた

 

 

 

 

 

 

黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花

 

 

 

 

 

でですよ。ゴチャゴチャ考えて考えた結果

やっぱり今回の食事会は腹がたつんですよ

なぜなら「カウンセラー仲間」での食事会だったからです

 

 

 

 

続きます