黄色い花続きです

 

 

 

 

 

私の母には、母親としての能力が無い。

だから母に愛してもらえない事にはもう諦めもついて

腹も立たなくなっているのに、

日常の事あるごとに母が出てきて母への怒りが収まらないのは

母への執着がまだ続いていると思ったので

「なんで執着が止められない」と考えてみると

その瞬間出てきた私の心の声は

「母さんから私への『性格矯正』と『調教』がキツ過ぎたせいだ」だった。

 

 

 

 

 

今迄なら自分のそんな声は「いつまでも被害者面してはいけない」んだと

押し潰してきたけど、今回はその声を受け入れてみることにした。

 

 

 

 

 

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それと『人格矯正や調教だった』と思った時に

同時に浮かんでくるものもあって…

 

 

 

 

 

それは母が私に何をしたかで。

母からのビンタは気が付いたらいつもされていたし、

自尊心を傷つける言葉や否定的な態度に姉妹間差別、

精神的ネグレクトも普通にあったと思っている。

でも私が1番拘ってしまう所は

母からの『善』と思われることの押し付けだ。

 

 

 

 

母の理想とする『善』はそれはもう極端で。

幼稚園の頃からそんなお説教が日常で

小学校4年生頃までは私は素直に母の言う『善人』になろうと、

というか母の言うように、努力していればそんな『善人』になれると

素直に頑張っていたと思う。

でも「そんなのムリすぎる…」と気が付いたのが小学5,6年生の頃。

 

 

 

 

 

幼稚園の頃からずっと続いた『善』のお説教を簡単に言うと

【私の悪い感情は全部無くしなさい。

弱い人を助けてあげて、

人の弱い部分を受け入れてあげられる

優しい人になりなさい

相手の為に怒るのを止めてあげなさい】…な感じ。

 

 

 

 

 

 

これを実行してみるとまあ私の心は死ぬ。

それこそ天使か菩薩かお釈迦様か、

とにかく人間でない物にでもならないとムリだと思った。

それでも母は

『世の中の人間はみんなそうやって頑張ってる‼

頑張って無いのは朋子だけ‼』と嘘を教えて、

『そんなんでどうするの‼

そんなんじゃあんたなんかどうせ皆に嫌われるわ』と私を追い詰め続けた。

 

 

 

 

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この『母に都合の良いだけの善の教え』が

未だに事あるごとに私の行動に制限をかけてくる。

だから私は母への怒りが手放せない。

母への怒りがなくならないのはただ

「自分の問題を親のせいにして逃げている」訳じゃない!

 

 

 

 

 

…という結論になって。

それをカウンセリングで先生に伝えてみた。

そしたら先生もそれを否定せずに聞いてくれ

「被害を受けた年齢が小さければ

それだけその後の人生への影響も大きいです」と言ってくれた。

 

 

 

 

 

でじゃあ次の問題は

私はこの状況をどうしたら良いのかってことで。

 

 

 

 

それは「自分は今回復途中のこの段階なんだと

自分を受け止めてあげてください」だそうだ。

 

 

 

 

なので、飲み会後に強引に始まりそうになった「1人反省会」も

『あの発言もあの行動も、回復途中の今の言動で、

脳みそが勝手に反省会をしたがるのも回復途中だからしょうがない。

まあ今はこんなもん』と自分に言い聞かせたら 

だんだん絶望感や嫌悪感が消えていって良い気分になっていった。

 

 

 

 

 

多分この感じ、人に話したら速攻「えーでもさー」と

お説教かまされるのが今までの私のパターン。

でもそれは私がこの話を誰にもしなければいいだけのことで、

やっと最近「人に話さない」ということが出来るようにもなってきたので

しばらくはこの状態でいようと思っています。

 

 

 

 

 

 

それにしても、母親の洗脳がきつ過ぎる…ゲロー

日常的に起きる色々な物事への私の反応が、

いちいち母の言い分に引きずられてしまう。

そもそも反発したくても『自分がどう感じるのか』がすぐつかめない。

私の感覚、感情は否定されまくったうえに、

それを作るヒマを与えられずに

大人になってしまっているので

それこそどうしたらいいのか自分の中に着地点がないから

常に怒りが湧いてくるように思う。

この状況・反応を

「三つ子の魂百まで」っていうんだろうなーと

しみじみしてしてみました。

 

 

 

 

終わりです。