先日カウンセリングに行ってきました。

 

 

 

 

ここ最近は色々「どうして私はこんなんなんだ」と思う機会が多くて

でもそれなりに湧いてきた考えを先生に聞いてもらったら

「そうですね。今はそういう段階でそれでいいと思います」と

言ってもらえて、ちょっと気持ちが晴れました。

今回は、何が起きててどう着地したのかを書きたいと思います。

 

 

 

 

黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花

 

 

 

 

まずひとつ目の「1人反省会」について。

多分、このブログを読んでくれるほとんどの人がやってしまうだろう

「1人反省会」。

私ももちろん、小学校の頃に母から

「寝ながら反省しなさい!」と教えられて以降、

「1人反省会」を延々と繰り返してきました。

 

 

 

 

 

大人になってからは、例えば飲み会に行ったときとかには

反省会が始まるのは帰ってからどころか

リアルタイムで反省会しながら参加していたので

もちろん全く楽しくなく。

でもカウンセリングに行くようになってからは

ちゃんとその場は楽しむことが出来るようになってきて

この間久しぶりに行った飲み会はとても楽しく過ごせた。

 

 

 

 

 

家に帰ってからも素直に「あー楽しかった」と思えていたのに、

2.3時間たったころから脳みそが

私のやらかしを探し始めるのを感じた。

必死に抵抗したけど、「あの言い方は相手を傷つけたかも…」とか

「あの時私、調子に乗ってて皆引いたんじゃないか…?」とか

色々色々出てきそうになって。っていうか出てきて。

もうなんというか私の脳みそが勝手に

失敗を挙げ連ねて私を自己嫌悪のどん底に叩き落したがっているんじゃないかと

疑うくらい。

 

 

 

 

 

 

私は「1人反省会」なんてやりたくもないのに何なんだ!パンチ!

と思っているところに、

最近出来た「毒親育ち友達」と色々話す機会があって。

そこで「どうして私はいつまでも母親の影響から抜け出せないのか」

という話題になって。

 

 

 

 

 

母が親としての能力が全くないことや

愛を求めても絶対返ってこないことは

頭ではちゃんと理解している。

愛に関してはもうあの人から欲しいとも思っていないし

そのことに腹も立たなくなっているのに

相変わらず事あるごとに母への怒りが出てきて

「母への執着」は無くならない。

「それはなんでだろうね」という話になって。

それこそ帰ってからもずっと

「なんでだろう…」と延々と考えた。

 

 

 

 

 

 

で、話が少しそれますが、

最近のカウンセリングでは

「私が反射的に感じた事を言葉にする」と言う取り組みをしていて。

今迄のパターンだと、私が母に執着し続けるのは

「親に愛されていない現実を受け入れたくないからだ」とか

「いつか母が分かってくれて愛されると時がくると望んでいるのかも」とか

『大人はちゃんと自分の悪い所も認めないとね』的な答えを出してきてたんだけど

どうにもやっぱりそれだけでは納得いかなくて。

なので今回は「反射的に自分の中から湧いて出てくる言葉」を

信じてみる勇気を持ってみた。

 

 

 

 

今回どんな言葉が出て来たのかというと

「いやいや。あいつの私への『性格矯正』と『調教』がキツ過ぎたからだって」

でした。

 

 

 

 

 

 

多分。これこそ

『三つ子の魂百まで』ってやつだと思う。

 

 

 

 

 

長いので続きにします