続きです。

 

 

 

 

 

私:「どうして私はこの期に及んでまだ『変わりたくない』と思ってるんですか」

 

先生:「今まで生きて来た人生が無駄になりそうとか、意味が無かったことになる

    と思ってるんじゃないですか。分かりませんが」

 

 

 

本当は、この⤴先生のセリフもうろ覚えです。

でも確かに「私は先生の言うことなんか聞いてやらん!」と思ってるのはわかりました。

「私が『変わりたくない』なんて思ってるなんてありえないあり得ないあり得ない…」

で脳みそいっぱいになって、先生の声を拒否してるのを感じた。

 

 

 

 

 

『今までの人生が無駄になりそうで、現実を受け入れようとしない』

のは、夫と話しているとよくわかる。

夫と話しながら夫に 「受け入れれば良い方に変わるのに」 と思う。

夫には「夫は誰かを踏みつけないと生きていられない程傷ついている」事を

受け入れて欲しい と思っている。

“自分がしている事を理解すれば止められる” はずだから。

「それを知って私を踏みつけるのを止めて欲しい」 と私は思っている。

 

 

 

 

 

じゃあ私は何を受け入れられないんだろう。

 

 

 

 

 

 

先生は「自分の親が、親としての能力が無かったと思うのはとても苦しくて 

それを受け入れたくないと感じるのは当然ですよ」 と言うけど、

 

・私の母親は私を(姉の事も)愛していなかった

・私の母親は、母親になる能力が無い人だった

・私はとんでもない人のところに生まれてきてしまった

 

このあたりの事はとっくに受け入れてるつもりなんだけど

違うのかな

まだどっかで「母はそんな人じゃない。ちゃんと優しい人だった」 

と思いたいのかな 母に期待してるのかな

…うーん…あ、ちょっと、少しはあるかも

でもそこに傷ついているかというと そうでもない気がするし…

 

 

 

 

 

ぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶー

 

 

 

 

 

そもそも、私はまだ「自分に何が起きていたのか」 を

ちゃんと言葉にすることが出来ない。

 

 

 

 

性的虐待と精神的虐待(子どもの前での夫婦喧嘩・DV)以外は

全部あったし でもそれぞれが最悪にメチャクチャ酷かった訳でもなくて

だから「道徳的虐待」 が今まで1番シックリ来てたけど

「道徳的虐待」 を上手く人に説明できなくて

 

 

 

 

 

 

でだから結局何なんだ と考えてたら最近、

私が母からの「道徳的な教え」 に縛られているのは

そっから母から繰り出される“ダブルバインド” (ダブルバインド=矛盾するメッセージ)

のせいなんじゃないかと思うようになってきた。

 

 

 

 

 

 

あしあと因みに “自分がしている事を理解すれば(悪いことを)止められる” も

小学生の頃に母からメチャクチャ叩き込まれたことだったのを

最近まで忘れていた。

正しい言い分だと思うけど 母が間違ってたように

私も使い方を間違えてるのかもしれない

 

 

 

 

なぜならダンナが

自分が私にしてきたことを理解しはじめたのは良いけれど

今度は落ち込みだした…

落ち込んで欲しい訳ではないんだけど。

自分の思ったようにはいかないな。

 

 

 

 

 

続きます