ぶーぶー真ん中あたりで追記しました。いつも後から後からすみません汗

 

 

 

 

 

今まで何度もリンクを貼ってる

「あんたはおかしいわ と 変わりなさい」 を

ちょっと書き直してみようと思います。

 

 

 

 

 

前回に書いた“トドメを刺された”というのは

小5のある日、いつものように母とケンカをしていたら母に、

「ともこじゃダメなのよ。変わりなさいよ」

しみじみ言われた時の事。

その前からの発言と合わせると

 

 

 

 

 

 

『流産してしまった子がいたから ともこが産まれてこれたのに。

流産してしまった子のおかげで ともこを産んであげられたのに。

こんな事なら流産してしまった子の方に来て欲しかったわ。

あ、でもそんな事を言ったら私は酷い母親になってしまうわね。

ともこはいいのよ ともこはそれで。

ともこの体はそれでいいから、中身を変えてよ。

流産した子と代わってきてよ』

(母は姉と私の間に1人流産してます)

 

 

 

 

 

と母が思ったことが私には透けて見えて

「この人はそんなにまで私じゃ嫌なんだ」と感じ

それまで母の言う通り必死で変わる努力をしていた私は

とうとう「あ、死んだ」 となったわけです。

 

 

 

 

 

 

母にこれを訴えたところで もちろん

「こっちはそんなつもりはないのに そう思うともこはおかしい」 

と言われるだけなので

この時も私はすごすご退散しました。

母はこの時は特にとても良い人間ぶっていたので

きっと「子どもの為を思っている自分」に浸っていたでしょう。

泣く泣く退散した私を見て

「ともこもようやく親の言うことを理解してくれたのね」と

満足していたことだと思います。

そんなワケねーのにね。

 

 

 

 

 

 

それにしても 

母の「変わりなさい」という要望をまとめると

私は

・天使になるか

・『幸福な王子』に出てくる、宝石を運ぶツバメの様になるか

・自分の“個性”も“欲求”も捨すててただひたすら

他人に慈悲を与えられる人になるか

 

になるので、なんにしても私にとっては

母親から常に「死ね」と言われているのと同じだったし、

 

 

 

 

更に面倒なのが、

当時子どもだった私はそれらを“母の信念だ”と信じていて

出来るものなら母の望むような人間になりたいと

一生懸命頑張っていたのに

実際はただの母の“ノリ”と“思いつき”だったなんて

思いもしなかった。

 

 

 

 

 

当時も母を問い詰めたところで

「そんな事は言っていない、覚えていない」としか言わなかったし、

実際本気で「言っていない」と思い込むことが出来るのが母だし。

 

 

 

 

苦しんだ割に 起きていた事の中身の無さに

また更に苦しいという・・・・・苦しいという・・・・・なんだろう。

 

 

 

 

 

ぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶー

 

 

 

 

 

とにかく小学生当時 大体セットで使われたこの3つ。

 

①「あんたはおかしいわ」

②「あんたなんかどうせ皆に嫌われるわ」

③「(だから)変わりなさい」

 

小学生の頃は特に 何度も母から言われ続けたこれらは

私の人生にずっと影響してきた。

問題は、言われた回数(何百回)

(でも実際、意識出来たのは10回くらいまで。特に②は。

それ以降はとてもじゃないけど記憶にとどめておけません。心が耐えられない)

このセリフが使われたタイミングや母の目的

そしてこの程度の事

誰でも1度や2度は言われた事がある という事。

 

 

 

 

 

実際私も1度や2度言われた程度は大したことでは無かった。

でも何年もの間、(ほぼ毎日ケンカしていてほぼ毎回言われる)

何度も何度も何度も言われ続けた場合、

言われた方はどうなるか。

想像出来る人も知ってる人も私の周りには居なかった。

 

 

 

 

 

ぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶーぶー

 

 

 

 

 

“大きな棘”として覚えてきたことは単発の物が多い。

こっちはカウンセリングで癒してもらって今はかなり大丈夫。

 

 

 

 

今取り組んでいるのは

「変わりなさい」のように継続して付いた大きな傷と

余りにも日常に埋もれすぎて

気が付かないうちに自分の中に取り込んでしまった傷。

知らない間に抵抗を諦めて母を受け入れていた傷

 

 

 

 

 

自分でも気が付いていない分 とても難しい。