大大サイズの杭の話 の続き。

これで大大サイズの話は とりあえず

終わり。

 

 

 

私と 姉の間には 1人

流産してしまった子が 居たらしい。

 

母は 帝王切開なので 

子どもは 2人までと お医者さんに

言われていた。

 

 

「流産した子のおかげで

ともが生まれてこれたんだよ。

その子の分まで 頑張って 生きないと」

 

と言われて 感動する 幼稚園児、

この世に 居るかな。

 

私には 重圧と恐怖でしかなかった。

けど 父と母は 悦に入っていた。

 

でも 私はたしかその時

「ママの言う通りにできない私は悪い子なの?」 

というような意味の話を

聞いてほしかったんだけど。

 

 

・・・これはまだ 2、3回くらいしか

言われなかったと思うので 大したことない。

ので とりあえず 置いといて。

 

 

 

「そんな考え方じゃダメだ」

「それはおかしいから 変わらなきゃ」

と 言われて、

「ああそうか 私は変わらなきゃ」

と 前向きに 頑張れるのは 何回までかな。

 

私は 幼稚園児の頃から 切実に

母の言うような 良い子になりたくて

頑張ったけど、

何の因果か、本当にどうしても

色々なことが 出来ない子どもだった。

 

「ともはおかしいわ」 と 「変わりなさい」 を

怒鳴られたり なだめすかされたり。

それを 少なくとも 6年間

それでも 何をやっても どんなに頑張っても

母の基準を満たせなかった。

 

 

 

その日もいつものように 

怒鳴り合になり、その最後に

 

:「なんであんたは そんなんなの!

 なんであんたは変われないの!

 あんたじゃ駄目だわ! 変わりなさい!!」

 

私:「もう 頑張ったけど 無理だよ

 私はダメなんだよ」

 

母:「そんなことで 落ち込んでてどうするの

 頑張らなきゃ

 みんなも苦しい中 ちゃんと頑張ってるんだよ。

 それに 生まれてこれなかった子の分まで、

 頑張らないと ダメでしょ?」

 

 のセリフはヒステリックで、

 青 のセリフは なだめる感じです。

 私が落ち込むと 途端に なだめすかせようとする

 母の いつもの手)

 

 

徐々に 徐々に 削られていた私が

ここで どう思ったかを すぐ想像できる人は

世の中に どのくらいてくれるかな?

と よく考える。

 

一見すると 正しくて、

ドラマじの中じゃ感動すら出来るかもしれない

言葉の数々だけど、

 

薬は用法 量を間違うと 毒になる

正しい言葉も 使うタイミングと

使う回数を 間違い過ぎると 毒になる。

 

「毒親」 「毒母」 

うちの母には ピッタリだ。

 

その時の 私の頭の中では

メンバーチェンジの笛が鳴っていた。

私は 母に殺された。では

流産した子と 中身のチェンジ。

 

 

あの人は 絶対

「ともじゃなくて、 流産した子が

生まれてきてたら 良かったのに」

と 思ったことが きっと 何度か

あったんでしょう。

 

 

大大サイズの杭が 出来たのは

小学校高学年の頃。

「あんたは嫌われる」

「あんたはおかしい」

「変わりなさい」

これを一身に受けていた11才の私を

私は可哀そうと 思っている。