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残りは、

ブスという言葉

 

・朋子はバカのくせに

・朋子なんて大嫌ーい  

この3つはもう定番だ。

 

 

 

 

 

・朋子なんて病院にも1人で行けないくせに

・朋子なんて電車にも1人で乗れないくせに
 

これは母の真似だ。これを普段のケンカの時に言い出す。

まだ母に言われるのはしょうがないけど、姉に言われる覚えはない。

このての悪口は母公認なので 姉は大威張りで言っていた。

 

 

 

 

 

私が勉強や足踏みミシンが出来なくて母に怒られて泣いていると、

学校から帰ってきた姉が、嬉しそうに

「何々~?♪朋子 今度は何したの~?♪」 と見に来る。

 

母: 「聞いてよ!朋子はこんなことも出来ないのよ?!もうバカよね!?むかっ

姉: 「あ~ほんとだね~ バカだわ~」

 

と私の目の前でそんな会話をする。

ものすごく惨めだった。でも惨めだと思う事も許されなかった。

「言われるのが嫌なら出来るようになればいいじゃない

出来ない朋子が悪いんだから 怒りなさんな」 と言われるだけ。

 

 

 

ここに書いたこと全部、1回2回の話ではない。日常的に起きた事。

 

 

 

 

そして「スカート事件」

あの時の姉は 露骨だった。露骨に母に巻かれるのを選んでいた。

うーん。姉への恨みはこんなものかな。

 

 

 

 

姉が学生だった頃は、姉が母の味方をする気持ちも分からないでもなかった。

母から自分の身を守るに 母に巻かれる気持ちも分かる。

私も姉の事は諦めた後だったし、すべては母が悪いので

姉の嫌味はもう日常の事にしていた。

 

 

 

 

でも本当の姉は、母のおかしさも理解しているし、私を苛めた事も

覚えていると、私はなぜか勝手に思い込んでいた。

でも違った。私はとんだ大バカ者だった。姉は子どもの頃のまま大人になっていた。

 

 

 

 

それに姉と母には 私の知らない絆みたいなものがあったようで、

そのせいで姉は母の事実を見なかったのかもしれない。

母の父への愚痴を聞かされたのは、私は大人になってから、5回ほどだ。

でも姉は日常的に愚痴を聞いていたそうだ。

いつから愚痴を聞かされ始めたのかも覚えていないと言っていた。

そして母から父の愚痴を聞くことを、嫌だと思ったことは無いとも言っていた。

 

 

 

「嫌だと思ったことが無い」。これって結構やばいことだと思う。

母親から父親の愚痴を聞かされたら、嫌な気分になるのが自然な事だ。

なのに母の話をずっと聞いていて 何とも思っていないって、

それって母娘で ものすごく同化してないと出来ない事じゃないかな?

 

 

 

 

母と姉は、家庭で何か問題が起きても

「朋子がおかしい」 と思う事で問題を避けてきた。

「朋子がおかしい」 から、「私達(母と姉)はおかしくない」 として

幸せそうに生きていた。

私はそれがいまだに許せないのだけど。

 

 

 

でも例えそんな風に育ったとしても、姉も大人になる過程で

そのおかしさに気付こうと思えば気付けたはずだ。

でも姉は気付かない道を選んでいた。それがすごく残念だ。

 

 

 

 

 

 

日曜日の電話事件は 私が家族の事実を見るのに良い機会だった。

 

今までしつこく恨んでいたことも、まぁいいかなと もう手放せそうな気がするくらい

姉の正体は衝撃的だった。言ってることが母そのものだった。

全て私のせいにしようと必死。

私の罪悪感をあおって私に責任を背負わせようとする言い回し。

姉はいつの間にあの母の技を獲得していたんだろう…

母の育てたように育ってしまったんだな………………バカめDASH!

 

 

 

 

私はあんな変な人たちの為に 長い間苦しんできていた。

でもそのお陰で姉と母が知らない気持ちを 私は知ることが出来た。

虐待としか思えないあの経験も 今なら受け入れることが出来る気がする。

あの日曜日の電話は 私が母と姉をスッキリと捨てることが出来る良いキッカケだと思う。

あんなにも醜い本性を見せてくれて 姉ちゃんありがとうブルー音符

 

 

 

 

私は本当に頑張った。とっても苦しかったけど、紆余曲折しまくったけど、

私が正しいと思う道を選んできて本当に良かった。

 


 

 

 

…なんてね。うそ。ちょっと盛ってみた。

本当はまだそこまで前向きになり切れてない。

まだまだ時間が必要。ゆっくり行こうと思います。

 

 

最終回のつもりが…

続きます