この日、滝沢は会長秘書専用待機室にいた。
今週はここで、
新たに始まる任務に関して、
これまでに集めた情報の集約をする予定だ。
幸い今週、他の秘書は皆出払っていて
静かに準備ができそうだった。

カチャ 

「なんだ‥いたのか」

入ってきたのは、先輩秘書の沢口。
露骨に嫌な顔をされたが、
滝沢は涼しげな笑みを浮かべながら返す。

「ちょうどひと息つくところでした。

 私は外します」

滝沢はこう言いながら、
既にバックアップを取り、
パソコンの電源を落としている。
沢口は、今すぐこの場を立ち去ろうとしている
滝沢の元に、お気に入りのハイバックチェアを
持ってきた。

それは、話があるということか‥

察しのいい滝沢は黙って待った。
沢口は、滝沢の隣りに
ゆったりと右足を組んで腰掛けた。

「聞いてるよ‥今度の件。

 表向きは坊ちゃんのお守りだけど、

 本当は精鋭部隊が探りを入れるためなんだろ」

「・・・」

滝沢は答えない。

「凄いな、おまえは‥

 会長のお気に入りだからな」

ここで滝沢が口を開く。

「サービス事業の責任者は誰ですか‥

 あれだけの部門を把握するなんて、

 凄いのは沢口さんですよ」

「クッ‥持ち上げてくれて有り難いな。

 俺もそろそろ‥あの裏部隊にでも

 加わってみたいんだけどな」

「残念ながら、沢口さんは無理です。

 先輩ほどの有名人はいませんから」

「おまえ、ちょっと顔見ない間に

 口が上手くなったなぁ‥」

「差し支えなければですが、

 先輩の方でも何かあるんですか?」

「あぁ、まあな‥  
 
 差し支える話なんだよ。悪いな」

「いえ」

「これじゃあ、おまえの話も聞けないなぁ‥

 ただ‥会長を出し抜こうって一派、

 だいたいは攫んだのか?」

「それは‥」

「差し支えるか。

 まずは、見極めだな。

 それに坊ちゃんに擦り寄るやつも

 出てくるだろうし。

 おまえはまた監査で潜り込むのか?」

「はい」

「危なくなる前に片をつけろよ」

「はい」

「で、坊ちゃんはどうなんだ?」

「彩人様です。とても聡明な方です」

「そうか。おまえがそう言うんなら

 間違いないだろうな‥

 ふっ‥楽しみだ。

 近いうちに顔出すよ」

「沢口さん!」

「分かってるよ‥

 できれば、坊ちゃんの手柄にしたいんだろ。

 そうしなきゃならない‥だろ?」

「沢口さん‥」

それまで滝沢と沢口は隣りに並んではいても、
お互いにお互いの顔は見ず、
目の前の白い壁を見ながら話をしていた。
全てお見通しである沢口の方を、
滝沢は声を荒げた拍子に見た。
ほぼハイバックチェアに埋まっている沢口は、
やっぱりどこか掴み所のない人に見える。

だが、この人はエースだ。
もう何年もそう言われている。

彩人の宮原入りが公になって、
同僚や先輩からいろいろ聞かれたが、
ここまで核心をついてきた人はいなかった。

「俺でも役に立つことがあれば‥

 呼んでくれって言いに行くだけだ。

 安心しろ。

 坊ちゃんには知らせない。

 害虫から‥おまえ、ひとりで守ろうと思うな」

「沢口さん」

「知ってる顔はひとりでも多い方がいい。

 若様(麻里父)は戻って来ない。

 実権を握りたい害虫にとって、

 坊ちゃんはジャマなだけだ。

 お嬢様の意志は固い。

 これまで何人の婿候補が打ち砕かれたか」

「沢口さん。それでは、彩人様を」

「滝沢、俺に期待するな。

 坊ちゃんは言うなれば、今は客人だ。

 お客に何かあれば、この宮原にきずが付く。

 それだけだ」

「沢口さん‥」

「ああ‥疲れた。喉が渇いたな」

「では、何かお持ちします」

「はは‥いいよ。それよか休憩室行こっ」

「えっ」

「俺とじゃイヤか?」

「いえ。そんな‥」

「じゃ、行こっ」

沢口は俊敏だ。
今、さっきまで埋まっていたのに。

滝沢は改めて思っていた。
今回の任務、必ず成功してみせると。




~~
☆この人、秘書よね?って思ってみえる方に・・・
 ここに出てくる宮原家会長秘書は、
 スーパーエリート集団と考えていただけると幸いです。
 て、宮原じいさんもかなりのたぬきなので‥
       彩人の無事を祈ってくださいませ。。
 では、今回も読んでくださって感謝です。
学長らに丁重に出迎えられ、
麦子は英語の講義から受けることとなった。
相変わらず皆の注目する視線を感じていたが、
以前された特等席等の特別待遇は拒否をした。
麦子は空いている席に座るからと、
学長らを早々に退散させた。

麦子が前方から教室に入ると、
既に着席していた学生達は一斉に下を向いた。
後ろから三番目の席が空いていたので、
そこに座ることにした。
麦子がそっと着席すると、
下を向いていた隣りの子が
そのままの位置から麦子の方を向き、
にこっとしながらぺこりとした。
その屈託のない様子に、
麦子も思わず微笑んでいた。
麦子も低い位置からぺこりし返す。

と、ここで新しくきた講師が入ってきた。
教壇に立つと、すぐさま後ろに振り返り
少し大きめに自分の名前を書いた。

板 谷 響 子

そして、また振り向きざま言った。

「板谷響子よ。よろしく。

 自己紹介は要る?興味ないわよね」

この一言に、
それまでシンとしていた教室がどっと沸いた。
響子はそのガヤガヤが少し落ち着くと続けた。

「ニューヨークにいたの。5、6年?‥

 7年くらいかな。だから毎日、英語漬け。

 彼氏はいないわ。絶賛募集中よ」

ここで響子は軽くウインクしてみせた。
男子学生が声をかける。

「先生いくつ?」

「ふふ。私の彼氏になったら教えてあげるわ。

 じゃ、このへんで始めましょ」


このやり取りの間、
笑みを浮かべながら聞いていた麦子に、
隣りの子が話しかけてきた。

「あの先生の前の女‥ほんとヤナやつだったの。

 代わってほんとよかったわ」

「そう」

「あっ、ごめんなさい。すみれ子さん。

 私ったらつい‥いつもみたいに、

 馴れ馴れしくしちゃって」

「えっ、ああ‥そんな」

「そこ。何?」

響子が、他の皆が麦子達を見ていた。
麦子はひとり立ち上がり謝った。

「すみません。何でもありません」

「あとでそこのふたり来て。いい?」

「はい」

麦子は返事をすると着席した。
隣りの子は下を向いたままだ。


何と声をかけたら‥
ああ‥でも、また言われちゃうか・・・
それにしてもあとでって、いつだろう?
お昼かな?
麻里に誘われてるけど‥時間あるかな‥


麦子はこんなことを考えていたら、
おなかが急に空いてきた。
下を向き、自身のおなかに手をやる。

すると、
すっと横からチョコバーが差し出された。
麦子がその差し出した隣りを見ると、
隣りの子がぺこりと頭を下げた。

ごめんなさい

と、口が動いている。
麦子は首を横に振った。
チョコバーを手にすると、
2、3回小さく手元で振りながら、

ありがとう

と、口を動かした。
ふたりは微笑み合った。

響子はその様子をさり気なく見ていた。


時間がきた。
響子が教室を出ていった。

隣りの子は改めて麦子に謝ってきた。
麦子は気にしないでと何度も言った。
それから、すみれ子じゃなくて
麦子と呼んでとお願いした。
隣りの子は、

「川原亜依っていいます。

 いつもは羽田智大と、幼なじみなんだけど
 
 腐れ縁っていうか‥大学まで一緒で。

 その智といつもは隣りだから、

 そんな調子で喋っちゃって。

 麦子さんが、あの‥よかったら・・・

 これからも仲良くしてください。

 お隣りも‥ぜひ」

「亜依ちゃん」

「亜依でいいです」

「じゃあ、私も麦子でいいわ」

「えっでも、すみ‥麦子さんはお姉さんだし。

 麦子さんは私の憧れなんです。だから‥

 今日お隣りになれて、私‥嬉しかったんです」

「憧れ?私が‥」

「はい。留学されて、帰っていらして、

 同級生になれて‥本当に嬉しいんです」

亜依は麦子の困惑に気づくこともなく、
にこにこ顔で称賛の言葉を言ってくる。
知らぬ間に他の学生達もこっちを見ていた。

麦子は居心地が悪かった。
次に移動しようと思った。
だが、どこに行けばいいのか分からない。
3年前と変わらないでしょっと、
ろくに学長らの説明を聞いていなかった。

そんな麦子に亜依が言った。

「麦子さん、次の教室に行きましょうか」

「えっ、次も同じなの?」

「はい!」

亜依はとびっきりの笑顔で立ち上がる。
麦子は何で知ってるの?と思った。
だが、時間がない。急がないと‥

この日、麦子は亜依の世話になり続けるのだった。




~~
☆では、今日も読んでくださって感謝です。。
月曜日の朝。
今日から大学は下学期。
紫堂家に日常が戻ってきた。
朝食のテーブルに、
久しぶりに全員が勢揃いしたことで
雄三郎は上機嫌だった。
皆は普段と変わらなかったが、
誰もが内心、来週には彩人がここに‥
この席にはいないことを悟っていた。

麦子は麻里と一緒に登校することになった。
今では渉と一緒に登校することもなくなった周平が、
麦子と共に行きたがったが、
雄三郎によりあえなく却下された。

食事を終えた渉が早々に席を離れる。
決まって渉は、
出かける時間が周平と一緒になりそうな日は、
ずらすよう早めに出かけることにしていた。


渉がこうして早めに屋敷を出た日には、
自然と寄り道をする場所がいくつかできていた。

今日はどこにしよう‥

渉が緑の絨毯を見ようと寄り道先を決めた時、
横から自転車が出てきた。
初めて見る女だ。

渉にもどうしてかは分からない‥

一瞬でその女が脳裏に焼きついてしまった。
そうとなったら行き先変更だ。
見失わないよう後を追った。

女性にトラウマがある渉にとって、
これはとても珍しいことだった。
理由は分からない。
ただ気になるのだ。

その女は気づいているのかいないのか、
とても軽快な走りで
渉のよく知っている馴染みのある道ばかりを通って行く。

まさかな‥

渉がそう思いながらついていくと、
見慣れた車が信号に停まっていた。後ろに続く。
その見慣れた車は、渉もよく世話になっている
歴史学科准教授の片瀬だった。

しばらくするとまさか‥がまさかじゃなくなった。
永菫大学に着いてしまったのだ。
職員用とは駐車場が分かれているため、
渉は仕方なく前二台の追跡を一先ず中断したのだが、
女は大学関係者であることは間違いないだろう。

後でそれとなく片瀬に聞いてみるか‥

渉はしばらく車の中で思案していた。
コンコンとする音に我に返った。
横を向くと満面の笑みの周平がいる。
朝から疲れるじゃないか‥

はぁ‥

渉は深い溜め息をついた。
横を見なくても、周平の動く気配はない。
待っているのだろう。
今日のところは、
あの女に免じて周平につき合ってやるか。
渉はゆっくりとシートベルトを外した。


片瀬は驚いていた。
正確には心が揺れるほどに。
片瀬は‥片瀬吾郎は歴史学科の准教授だ。
この休暇中、
休暇前から休みを取って台南に行っていたため
久しぶりの大学だった。

朝、いつもの道で大学に向かっていると、
そこに‥いるはずのない女が突然目に前に現れた。

板谷響子

憶えていた。
片瀬は忘れたつもりだった。
それなのに‥

あいつはいつも突然だ。

どうしてあいつと同じなんだ。
職員用駐車場になぜあいつが‥

片瀬の目の前で、響子は颯爽と自転車を降り、
迷いもなく構内に歩いていく。

片瀬はしばらく車の中で思案していた。




~~
☆ふたりとも思案させちゃってごめんなさい。
 悩めるイケメンが好きなもので‥
 では、今日も読んでくださって感謝です。。