「由基はどうした」

ひとりで戻ってきた森川に、
いつものように杖を持ち、
アームチェアに腰掛けた雄三郎は尋ねた。

「あの‥由基様はお嬢様とお部屋に」

「何!麦子と‥何かあったのか?」

「それは‥どうでしょうか。

 おそらく‥何かはないと思われますが」

「全く‥今日は何をするより

 わしの所に来るべきじゃろ。違うか?

 由基は何を考えておる」

「はい。あの‥大御所様」

「なんじゃ」

「はい。由基様は、お帰りが彩人様と

 ご一緒になられて、少しの間

 おふたりでお話をしておいででした」

「何の話じゃ」

「それは‥その・・・

 どのようなお話をされたのかは存じませんが、

 もしかしたら由基様は、彩人様に例の件を

 ご相談されたのやも知れま‥」

「何!彩人にじゃと‥

 あのふたり、何か企んどるのか」

「えっ‥いえ、まさかそのような‥」

「ふん。わしを騙そうなんぞ。十年早いわ」

「いえ、あの‥その・・・いつも何か
 
 企んでらっしゃるのは大御所様‥」

「何!森川。わしに意見するのか」

「いえ‥」

「もうよい。由基を連れてこい。

 今すぐじゃ」

「はい。あの‥お言葉ですが、大御所様。 

 由基様をお連れしても‥」

と、森川は困った顔をする。

「何?呼ばん方がよいとゆうのか」

「はい。先ほどまで大御所様も

 おっしゃってみえたように、

 由基様が自らお話があるといらっしゃるなら

 ともかく‥大御所様から呼びつける

 というのは得策とは言えません」

「そうか」

こう言うと雄三郎は黙り込んでしまった。
森川はいつもと違う雄三郎に調子が狂った。
そうして、しばらく無言が続いた。


何か思案していらっしゃるのか‥

このように、
雄三郎が黙ってしまうのは珍しかった。
森川は少し心配になった。

「大御所様。何かお飲み物でも‥

 大御所様のお好きなお茶を

 お持ちいたしましょうか」

「そうか・・・

 ああ、熱いのを」

「はい、かしこまりました。大御所様」

森川は急いでお茶の用意をしに行った。

雄三郎は両手で杖を持ち、
目を瞑り、
何事か考えている。

自身の思惑通りに
由基が動かないことが悔しいのか‥

ここで、今言えるのは
この夜、
由基が雄三郎を訪ねることはなく‥
そして、雄三郎はしばらく寝つけず
寝室を行ったり来たりすることに
なるのだった。


~~
麦子は由基の部屋の前にいた。
ということは、自分の部屋の前でもある。

由基は今、お着替え中。
だからって、
別に部屋の外にまで出る必要はないのだが、
麦子は敢えて外で待つことにしたのだ。
ちなみにこの後、遅い夕食である。

麦子は笑いが止まらなかった。
さっきから思い出し笑い中なのだ。


なぜって、
由基の部屋に行くまでの間、

今日、大学であったこと‥
仲良くなった亜依のこと‥
そして、
一番重要な注意された英語の先生のこと‥

麦子は由基に、
嬉しそうに楽しそうに話して聞かせた。
もちろん、
最後の英語の先生の話の際は、
思いっきりあのセリフを期待しながら‥

麦子の目に映る由基はずっと微笑んでいた。
そして、英語の先生のことを忘れていた。

由基サイドから正確にいうと、
響子に会ったことを
麦子に伝えるのを忘れていただけだが、
麦子は先生に会ったことを
由基が忘れていたと勘違いをした。


あんな美人の先生と会ったこと‥
忘れちゃうなんて‥
由基ったら
イチズなんだから‥
きゃー

とこれが、現在の麦子の脳内の模様である。


カチャ

由基が出てきた。

「あれ?部屋に戻ったんじゃ‥

 あっ、麦子も夜食‥食べるか」

「えっ、夜食?」

「そう。夕食の後は夜食だろ」

「もう‥太っちゃうでしょ」

麦子が由基を叩く。

「イテ‥

 麦子はもう少し太った方がいいよ」

「由基‥ほんとに?・・・

 太っちゃったらお姫様だっこ‥

 できなくなっちゃう」

「ぷっ‥大丈夫だよ。鍛え方が違うから」

由基は腕を曲げ、腕の筋肉を見せるフリをする。
麦子はその腕に絡みついた。

「じゃあ、遠慮なく太っちゃお」

ふふふ‥
ははは‥

ふたりはぴったりと寄りそいながら歩き出した。




~~
☆ちょっと何気に悩めるおじいちゃんにしてみました。
 でも、雄三郎には森川がいるから大丈夫‥(´0ノ`*)
 今回もお読みくださって感謝です。。
編入初日ということもあり、
今日の出社を免除された麦子は、
麻里に誘われてカフェに来ている。

車に待たせてある森川には、
「お屋敷でもご用意できますが」と、
安易にカフェに寄ることを咎められたが、
麻里が「森川はまだまだね」と一蹴した。

ふたりは見晴らしのよい窓際の席に案内され、
ケーキセットをオーダーした。

麻里は早速、
気になっていた亜依のことを口にした。

「ほんとに屋敷に来るって」

「うん。ぜひ遊びに行きたいって」

「他には?誰かに会いたいとか、

 何か言ってなかった?」

「えっ、誰かに?‥言ってないと思うけど」

「そう‥」

「やっぱり止めた方がいいのかな?

 ごめんね、麻里。亜依に‥

 お家のこととか‥聞けなかったの。

 麻里が言うように聞いてみようとは

 思ったんだけど、へんに意識しちゃって‥

 聞けなかったの」

「そう‥いいわ。それは任せて。

 それで、誰と来るって言ってた?」

「あっ、それは言えたわ。

 あまり大人数ではちょっとって‥

 そしたらね、幼なじみの男の子とふたりでって」

「あら‥ほんとはその子、幼なじみじゃなくて

 つき合ってたりするんじゃない?」

「でも、ほんとにそんなんじゃないみたいよ」

「ふーん」

「ふふ、なんかこういうのいいなぁ‥

 麻里がいてくれてほんとよかった。

 あっ‥でも、ごめんね。彩人が‥」

「麦子、気にしないで。

 麦子達に比べたら‥全然平気よ。それに、

 逢いたいと思ったらすぐ逢いに行っちゃうし」

「麻里‥」

「麦子と由基みたいに、私達も強くなるわ」

「麻里‥麻里と彩人なら、きっと大丈夫よ。

 彩人は麻里ひとすじだもん」

「うん、そうなの‥うふふ・・・

 でもね‥私が全然心配してないのに、

 お祖父様が勝手に心配しちゃって‥

 充分目を光らせておくから心配ないって

 言われちゃったの」

「麻里のおじいちゃんも、麻里が大好きなのね。

 私の時もおじいちゃん‥

 由基を監視してたみたいだから」

「えっ、麦子も!さすが紫堂のお爺様ね」

「おじいちゃんの気持ちは嬉しいんだけど‥

 由基に悪くって‥」

「由基、何か言ってたの」

「うん。すぐ分かったみたいで。

 でも、慣れてるから大丈夫だって」

「そう。由基はそうよね。

 彩人は‥彩人はどう思うかしら」

「彩人もきっと大丈夫よ。

 気にしてないって言ってくれるわよ」

「そう‥そうよね」

「でね、英語の先生に来るように言われたって

 言ってたでしょ」

「ああ、言ってたわね」

「そしたらね、その先生。

 由基の会社の社長さんのいとこなんだって。

 それでね。先週、社長さんに挨拶に行ってね。

 大学の話になって、そこで由基にも会って、

 それで・・・

 今度、彼女と一緒に伺いますって、

 由基が言ったんだって‥」

「麦子‥目がハートだから」

「えっだって‥そんな彼女と一緒って‥

 うん、もう由基ったら‥きゃーハズカシ‥」

ひとりで赤くなった麦子が両手で顔を隠す。

と、ここでケーキが運ばれてきた。
麻里は、茹蛸になった麦子はほっといて
何事もなかったかのように、
ウエーターに笑顔を向けた。


~~
その夜、
屋敷の車止めで由基と彩人は一緒になった。
ふたりは護衛を先に行かせ、
お互い車に寄りかかりながら話し出した。

「帰り‥会社に寄ったら、

 宮原会長秘書の沢口さんって人から

 うちと契約がしたいって‥

 電話があったって言われたんだ」

「契約‥今まで宮原とは?」

「ないよ。何も。今回は急な話だから、

 とりあえず視察に来ないかって。

 費用は全て負担するってさ。

 N興産の件でうちを知って、それで

 ぜひ契約したいとかって言ってた

 らしいんだけど、宮原財閥とは全く

 無関係の会社なんだよね」

「で、担当は由基‥おまえでか」

「ああ、そうだ」

「そうか」

「沢口って秘書知ってるか」

「いや」

「どう思う?」

「うん‥タイミングか」

「ああ、よすぎる」

「そうだな‥

 来週、向こうへ行ったら調べてみるよ。

 来週じゃ、遅すぎるか?」

「いや、大丈夫だ。頼む。

 どちらにしても社長が乗り気なんだ。

 一度視察に行くことにはなるだろうから、

 契約はどちらにしてもその後だ」

「そうだな。宮原との長期契約ともなれば

 かなりの額になるだろうしな」

「ああ。だからこそ慎重にしないと」

「ふっ、おまえが社長みたいだな」

「彩人‥」

「じいさんには?」

「うん‥」

「そうだな。無駄だな‥」

「由基!」

屋敷から、待ちきれなくなった麦子が
ふたりの元にやって来る。

「滝沢さんにもそれとなく聞いてみるよ」

こう言いながら、彩人は由基の肩を軽く叩く。

「頼む」

ふたりは屋敷に向かって歩き出した。




~~
☆今回も読んでくださって感謝です。。
周平はこの日、何度となく渉の元を訪れた。
そのたび、渉はわざとらしく
大きな溜め息をついてみせたが、
何故だか周平はいつも以上に一緒にいたがった。

しまいには周平が子犬に見えてきて‥
とうとう俺もどうかしたのか‥
と、渉は首を振ってみたりしていた。

そのおかげで片瀬の所にも行けやしないし、
あの朝の女も見かけなかった‥

と、渉は最後の講義を受けながら
今日一日を思い返していた。

講義も終わり、
こうやってダッシュで抜け出し、
周平から無事逃れた渉は、
片瀬の所に向かっている。
この渡り廊下を過ぎた先に片瀬のいる研究室がある。

とその時、反対側の通路からダンボールを抱えて
朝の女が現れた。
渉は突然のことに思わず後ろに仰け反った。
そんな渉を知ってか知らずか、
朝の女が話し出した。

「渉さんよね?

 もしかして私、悪いことしちゃったかしら‥

 ごめんなさいね。いとこの周平くん、

 お借りしちゃって」

「・・・」

は?
何故に朝の女の口から周平なんだ?

渉がひとり腑に落ちないでいると‥

後ろを振り返った女の視線の先に、
分厚い本を何冊も抱えた周平がいた。
顎で押さえながら歩いているので、
まだ先にいる渉達には気づいていない。
渉は一瞬迷った。

このまますぐこの場を立ち去るか‥
周平は無視して、女の素性を聞き出すか‥

そして、渉が口を開こうと目の前の女を見ると、
にこやかだった女の顔が曇っていた。
不思議に思った渉は、
今、女が凝視している渡り廊下を見た。
片瀬が手に持った資料を見ながら、
こっちに歩いてくる。
いつもの見慣れたリュックを肩に掛けて。

渉は残念に思った。
たった今‥目にした顔は、
どうみても好きな男を見る‥
もしくは好きだった男を見る‥女の顔だった。

渉が、朝の女に「大丈夫ですか」と
声を掛ける前に、女はいなくなった。
周平の所に行ってしまった。
明らかに慌てている。

渉は仕方なく、
その場で片瀬を待つことにした。
片瀬が渉に気づき、渉の元に着く前に、
女は周平に何事か耳打ちし、
ふたりして回れ右で元来た道を引き返して行く。
ふたりの顔は見えないが、
女は謝り、
きっと周平はへらへらしているだろう。

ふたりの姿が小さくなってしまった頃に、
片瀬はやって来た。

「めずらしいな‥どうした」

「どうしたじゃないだろ。

 人が待ってるの分かってんなら

 も少し急いだらどうなんだ」

「はは‥人によるだろ。

 可愛い子が待っていてくれるなら

 俺だって急ぐさ」

「あっそ。どうせ腹減ってんだろ。

 行くぞ」

渉は駐車場に向かって歩き出す。

「はぁ?おまえなぁ‥仮にも俺は」

「はいはい。年上だし、教授でしょ。

 准のつく。

 行くの?行かないの?

 こないだんとこ‥俺がいないと

 きっと無理だよ」

「えっ!マジ?行くよ行く。

 でもさぁ、俺がいないとって‥

 自分とこのホテルってだけじゃん。

 完全予約制にしなきゃさぁ‥」

「あっそ。別のやつと行くわ。

 さいなら」

渉は足を速めた。
片瀬は立ち止まり、
聞こえるように少し大きめに言った。

「へえ‥俺を待ってたの

 渉の方じゃなかったっけ」

渉はそうだった‥と足を止めた。
片瀬はゆっくり歩いてくる。にやにやしながら。

「なんかさぁ渉。おまえ、ちょっと‥

 逞しくなってない?」

近づいてきた片瀬は、
振り返った渉の胸板に手を伸ばそうとした。
渉がその手を叩く。

「触んなよ。絶対に‥いいな」

「ふーん。この休みにジムにでも行ってたのか」

「ああ。まっ、そんなところだ。

 片瀬もちょっと前から消えただろ。

 また何か出たのか?」

「まあな。おまえには分からんがな。

 ところで、いい話か?」

「・・・ああ、そうだと思うよ。

 片瀬はさぁ‥なんでひとりなんだ?」

「はぁ?何、言い出すんだ。突然」

「ああ、いいよ。とりあえず行こうよ」

「まっまさか‥おまえ、とうとう恋の相談か」

「は?そんなの‥あんたにする訳ないだろ」

「違うのか。それに俺だって、

 そこそこいいアドバイス‥できると思うぞ」

「へぇ‥そうですか。そこそこねぇ」

「まったく‥」

片瀬が気づく。

「それよか現地集合な。俺、こっちだから」

片瀬が職員用駐車場の方角を顎で示す。

「ああ、あとで」

渉は片瀬の後姿を見ながら、
朝の光景を思い出していた。

あの女が現れて‥
片瀬は何を思ったんだろう‥

渉も急いだ。
まだ子犬に出くわすことはないと思ったが、
何せあの子犬だ。どこにでも現れる。

渉は急ぎながら、
今度は宮原家の道場を思い出していた。
あの充実した日々を・・・


渉はまだ気づいていなかった。
自分自身の変化に‥
他人のことがこんなに気になるなんて。

だが、確実に
渉も子犬になる日がやって来るのだ。
今日がその一歩である。




~~
☆暑いですね。雨、凄いですね。。
 夏バテしないよう~気をつけましょうね。
 では、今回も読んでくださって感謝です。。