この日、渉はイライラしていた。
理由は分かっている。周平だ。


全く余計なことを‥
昨日で
あのふたりのことは記憶から消したというのに
何が吾郎だ
だから何だ
何なんだ‥

聞かなければよかった
周平のビッグニュースなんて所詮この程度だ
何話してるか聞き取れなかった‥
だと
知りたくもない
ああ‥イラつく


気づくと渉は昨日と同じ場所にいた。
片瀬の研究室手前の渡り廊下。

あー俺としたことが‥
何してんだ

午後一番の講義がなくなった渉は、
資料室に行くつもりだった。
資料室は今いる場所とは真逆の位置にある。

はぁ‥

深い溜め息をひとつすると、
渉は資料室行きを止め、特別準備室に行くことにした。
特別準備室は紫堂家の者しか利用できない。
幸いここから近かった。
渉が特別準備室に行くため、進行方向を変えると、
前から響子が今日もダンボールを抱えて歩いて来る。
渉は連日の偶然にうんざりしない自分に驚いた。
今日は響子がひとりだと確認すると、
渉は嬉しい気持ちになっていた。

「渉くん」


わたるくん・・・


渉は久しぶりに呼ばれた、
その呼び方にどきっとした。
響子から周平は、
昨日の時点で既に「周平くん」と呼ばれていたが、
渉にその記憶はない。

一日で「さん」から「くん」に格上げか?

渉が響子の自分への呼び方の変化に
気を取られていると、
響子が目の前に来ていた。

「どうしたの?」

響子が渉をじっと見てくる。
この状況にテンパった渉はあからさまに動揺した。

「あっいや‥えっと・・・あっ持つよ。

 今日はこれだけなのか?」

「あっありがとう。でも、これ軽いのよ」

響子はこう言って、
ダンボールを少し上げる仕草をした。
それを見ていた渉は、無言でダンボールを
響子からふんだくった。

「あっそんな‥いいのに。ごめんね、渉くん」

響子は少し驚いた顔を見せたが、
ダンボールを響子から奪うと
そっぽを向いてしまった渉の背中に言った。

渉はドキドキしていた。
ダンボールを掴む時、
響子の手に触れてしまったからだ。
こんな‥
真っ赤な顔を見られる訳にはいかなかった。

「昨日、周平くんに大方手伝ってもらったから‥

 荷物はもうこれだけなのよ」

「じゃあ、片づけはもう終わったのか」

渉はほんの少し響子の方をちらりと見ては、
再びそっぽを向きながらこう尋ねた。

「ええ。片づけは大丈夫よ。

 そんな‥急がないし。

 まさか個室を、自分だけの部屋を

 もらえるなんて思わなかったから‥

 だから、誰の目もないから‥

 片づけはゆっくりしていくつもりなの」

響子は渡り廊下に背を向けてこう答えた。

「で、どこなんだ。あんたの部屋」

渉は半身、響子の方を向きながら聞いた。

「あっ、こっち‥ここの奥なの」

響子は渉の立っていた、その奥を指差した。

‥となると、昨日はなぜ逆方向に?
渉は少し周平を気の毒に思った。


~~
「どうぞ」

響子がダンボールを持った渉を先に部屋の中に通す。

「へえ‥」

響子の与えられた部屋はこじんまりとしていた。
部屋の隅には幾つかのダンボール。
机や小さな応接セットの上には、
そのダンボールから出したと思われる
本やファイルが置かれていた。

「ごめんなさいね。

 あっ、それはそのダンボールの上に」

響子が慌てて中に入り、応接セットの椅子から
書類を退ける。
渉は響子に言われた通り、持っていたダンボールを
部屋の隅のダンボールの上に置くと
本棚が目に入った。
横向きに積まれた数十冊の本達。
渉はそれを縦にして並べていった。

「渉くん、ありがとう。

 折角だけどごめんね。それは自分でするわ」

「あっ、そうだな。ごめん」

渉は手を止めた。
響子が横に来て、渉の並べた本を
自分の並べたい順番で並べ始めた。
渉は響子から少し離れ、
壁にもたれながら響子の後ろ姿を見ていた。
少しすると響子が渉に声を掛けた。

「渉くん、ありがとう。

 わざわざごめんね。次の授業があるでしょ」

「また来てもいいか」

渉は響子の顔を見ず素っ気なく言った。

「えっ‥いいわよ。でも、片づけのお手伝いなら‥

 そんなこと気にしなくていいから。

 こうやって少しずつしていくつもりだから」

響子は笑顔だ。渉に見せる顔はずっと‥
渉はそれが‥なぜか癇に障った。

「よりを戻すつもりか」

「は?」

響子は聞き違いと思った。

「片瀬が好きなのか。あいつをまだ好きなのか」

渉は言ってはいけないと思いながら‥
止められなかった。

「・・・」

「俺は‥」

「吾郎‥あっ」

響子がしまったと口に手を当てる。

「片瀬なんて止めろよ。俺とつき合えよ」

響子は、今度は両手を口元にやった。
驚いて目を見開いている。

「冗談じゃないよ。あんたが気に入ったんだ」

渉は真剣な眼差しを響子に向けた。
響子はふらっと後ろに倒れそうになった。
それに渉がすぐさま反応した。
全身で響子を後ろから支える。

「大丈夫か?」

渉が響子の耳元で囁いた。
響子はびくっとして我に返った。

「何言うの。いくつ違うと思ってるの。

 からかわないで」

響子はこう言いながら、
自分の腰にあった渉の手を退けた。

「十は違わないだろ。今時そんなの関係ないだろ」

渉は響子から離れた。
響子も反対側の机に向かった。

「渉くん。片瀬教授とは確かにおつき合いしてたわ。

 でも、私からさよならしたの。

 だから、よりを戻すなんてないわ」

「じゃあ、俺とのこと考えろよ」

「それは‥無理だわ。私とあなたは」

「そんなくだらない話はいい。

 また来る。あんたに逢いに来るから」

渉は怒鳴っていた。
響子の怯えた顔が見えたが仕方がない。
渉はここにいることが耐え切れなくなってきた。
渉はそのまま部屋を逃げるように出た。


予想を超えていた。
普段の自分では有り得ない。
何故こうなったのか‥分からない。

渉は駐車場に向かった。
とにかく早くここから離れたかった。
でも、不思議と後悔はなかった。
響子に言ったことは本心だから。

渉の顔には笑みが浮かんでいた。




~~
☆台風、今月二度目ですね。
 皆さんは大丈夫でしょうか?
 私は昨日、飛ばされそうになりながら
 家に帰りました。
 充分に気をつけてくださいね。
 では、読んでくださって感謝です。。
大学構内のカファテリア。
麦子と麻里は学生達の注目をよそに、
今日もランチは二の次でお喋りに夢中だ。

「そういえばね。亜依の幼なじみの智大くん。

 昨日、私達会ってたのよ」

「昨日?結局、来なかったんでしょ」

「うん、そうよ。大学じゃないわ。

 どこだと思う?」

「えっ、私も会ってるのよね?

 えっと‥昨日は‥ああ!

 えっでも‥大学生くらいの若い男の子

 いたかしら?」

「いたでしょー」

麦子は頬杖をつき、
にこにこ顔で麻里の答えを待っている。

「ちょっと待って。

 マネージャー違うし‥あーどこ?」

「もう!由基にも見せよって

 帰る時、写真撮ったでしょ」

「ああ、飴細工の。

 だけど男の子なんていなかったわよ」

「いたでしょー

 ちょうどクロワッサン並べに来た」

「ああ、美味しそうな芳ばしい香り」

「そうでしょ。したでしょ」

「ああっ、あの籠に入れてた子ね」

「そう。今日もその智大くん来てないの。

 飴細工綺麗だったから亜依にも見せたのね。

 そしたら、見習でバイトしてるお店だって」

「へえ、意外だわ。あそこのパティシエ、

 学生バイトなんて雇わない感じなのに」

「そうなんだってね。

 有名なパティシエさんなんだってね。

 何度も賞取ってる。

 どれも美味しそうだったもんね。

 麻里、また行こうね」

「あっ、そうね」

「何か今から楽しみね。ふふ‥でね。

 麻里の言うとおり、学生気分の遊びじゃないって

 何度も断られたんだけど、智大くん

 どうしてもって頼み込んだの。何ヶ月も。

 お家がね。パン屋さんなんだけど、

 パン屋さんは嫌なんだって。

 パティシエになりたいんだって。

 それで、将来は自分のお店を持つんだって。

 凄いでしょ」

「そう。だから大学に来ないのね」

「うん、そうらしいの。

 だからね。亜依が心配してて」

「でも、どうするかは本人次第でしょ。

 それに親が何も言わないんなら、

 周りがとやかく言っても‥じゃない?」

「そうね。麻里の言うとおりだね」

ここで麻里は話を変えた。

「麦子。昨日の滝沢の話だけど、

 まず、双子の弟がいるって言ってくれる?

 あなたが見たのは弟だって。

 それでもしつこく言ってきたら、

 この番号渡して」

「待って、麻里。

 滝沢さんに双子の弟さんはいない訳ね?」

「ええ、いないわ。ごめん、麦子。

 ちゃんと話すわね」

「うん」

「滝沢は、今回の彩人のように勉強のために

 紫堂のお爺様の会社にいたの。

 でも、滝沢がお祖父様の秘書ということも

 あって、そのことは伏せなきゃいけないの。

 内外からうるさく言う人がいるらしくって。

 だから、その女の子がどうしてもって

 言ってきたら、ここに電話するよう

 言ってほしいの」

麻里は麦子にメモを渡した。

「聞いていい?」

「何?」

「この番号は?」

「ここにいる人間が、滝沢が東京にいると

 証明してくれるわ。だからこれ以上、

 麦子を煩わすこともなくなるはず」

「そう。麻里は凄いわね」

「えっ」

「秘書さんを守っちゃうなんて凄いわ」

「ああ‥でも、これは私の力じゃないわ。

 宮原財閥の力よ。

 麦子だって、紫堂のお爺様や

 紫堂グループがついてるじゃない」

「麻里」

麦子は今の自分の気持ちを
上手く言葉にできなかった。

もし、滝沢さんじゃなくて、
森川さんだったら‥   (いやーないないない)
麻里のように私はできる?


目の前でそんな麦子の考え込んだ顔を、
麻里は黙って見ていた。

麻里と麦子は似たような境遇だ。
だからこそ、麻里は麦子の気持ちも理解できる。
麻里はいつも麦子の力になりたいと思っていた。


こんな時‥どうしたらいい?
彩人だったらどうするかしら?

きゃっ

麻里は自分の顔が赤くなるのが分かった。

「麻里、大丈夫?」

気づくと麦子が小首を傾げ、こっちを見ていた。

ひとりで勝手に恥ずかし状態の麻里は、
もう一つの報告を口にした。

「あの‥亜依って子の父親。

 銀行のサポート管理センター長だって。

 実質、課長クラスらしいわ」

「センター長!凄いのね。亜依のお父さん」

麦子は満面の笑みを浮かべている。
その顔を見ながら麻里は続けた。

「だから心配ないと思うわ。

 前みたいなことにはならないんじゃ‥

 麦子?」

「うん?何?」

「ううん、いいわ。

 智大って子の家も大丈夫そうだし、

 単純に屋敷に来たいだけなんじゃないかな」

「うん、そうだよね。亜依に限ってそんなね」

麦子は本当に嬉しそうだ。

麻里はそんな‥
いつまでも庶民的な感覚を忘れない
麦子を羨ましく思ったりする。
麻里にとって、
課長クラスなんて凄くも何ともない。
麻里の幼い頃から本邸には、
どこぞの頭取が
とっかえひっかえ来ていたのだから。

「麻里」

「えっ」

「きっと亜依達。智大くんのお店が

 お休みの時に来るんじゃないかな?

 その時は麻里も一緒にね」

「えっ私も」

「えっ、嫌だった?」

「嫌じゃないけど」

「亜依は麻里と会うのも楽しみにしてるの。

 綺麗だなって、いつも麻里のこと見てたんだって。

 特に彩人が一緒だった時は、

 本当にお似合いだって思ってたんだって」

「そう‥」

「いいでしょ?」

「ええ、分かったわ」

「よかった。亜依、喜ぶわ」

もうそろそろランチタイムも終了の時間だ。
麦子は慌ててスープを口にしている。

麻里は嫌な予感がしてきた。
麦子のためにもその予感は外れてほしいが‥

麻里はもう少しふたりを調べてみようと思った。




~~
☆今回も読んでくださり感謝です。。
朝、永菫大学職員用駐車場。
いつもより少し早めに来た片瀬は、
車の中で響子を待っていた。

朝がめっぽう弱い片瀬は、
ハンドルに乗り掛かり、
その上で交差した腕の上に顎を乗せ、
うつらうつらしながら
駐輪スペースを見ている。
と、そこに待ち人が颯爽と現れた。
今日も響子は、ミニのフレアスカートだ。
すらっとした彼女によく似合っている。

片瀬は慌てて車を降りた。
リュックを肩に掛け、駐輪スペースへと
歩き出す。ゆっくりとした足取りで。

響子は駐輪場に着く寸前、
こちらに歩いて来る人影を察知した。

違うかも知れない‥
素通りする可能性だってある‥

見られているであろう自分の後ろ姿を
意識しながら、響子は自転車を降りた。

「よお」

駐輪場にたどり着いた片瀬は、
徐に声を掛けた。

よお?
響子は、予想外の馴れ馴れしさに
カチンときて聞こえない振りをした。

「おい、無視かよ。

 だから昨日もいなくなったって?

 なら、最初から来なきゃいいだろ」

「・・・」

「はぁ‥分かったよ。

 俺も無視してやるよ。じゃあな」

片瀬はリュックを掛け直す仕草をすると、
もう一度響子を見た。
響子は片瀬に背を向け、
何か探し物があるのか
バッグの中をいじっている。
片瀬にはそれが、

「早くこの場を立ち去ってくれ」

と言っているように思えた。
片瀬は響子を諦めて歩き出した。


その通りだ
吾郎の大学と知った時、
辞退しようとも考えたのだ
だけど‥

響子が振り向いた時、
片瀬はもう先を歩いていた。

「吾郎!」

しまった・・・

響子は慌てて誰かいないか辺りを見た。

ほっ

いなかった‥

響子が胸に手を当て安堵していると、
いつの間にか片瀬が戻ってきていた。

「おまえなぁ‥

 無視の次は吾郎って、何も考えてないんか

 たくっ」

目の前で吾郎が呆れ顔をしている‥
変わってない‥
響子は知らぬ間に凝視していた。

「見すぎ。その癖相変わらずだな。

 とにかく吾郎はよせ。

 で、なんだ?」

「えっ?」

「え、じゃないだろ。はぁ‥

 まぁ俺の方から言わせてもらうと、

 俺達は大学の先輩後輩だ。

 それ以上、余計なことは言うな。

 学生に聞かれたらそう答えろよ」

「余計?て。さも私が言ってるみたいに」

「はぁ‥だから、そうは言ってないだろ。

 別にまだそこまで言われてない。

 おまえだって詮索されるのは嫌だろ。

 念のためだ」

「じゃあ、どこまで言われたって言うのよ」

「だから‥言われてないよ」

「何庇ってるの?」

「庇ってないよ。はぁ‥ただおまえが、

 俺を今みたいにじっと見てたって。

 そんで慌てて逃げてったって言われただけだ」

「・・・昨日の」

「そうだ。おまえのおかげで、

 あの後一緒に飯食ったんだ。

 だが、あいつは心配ない。

 だけど、興味本位のやつらだっているだろ」

「そうね‥そうよね」

「分かればいい。じゃ、俺は行くから」

「あっ吾郎!」

「だから‥せめて片瀬って言えよ。

 で、何なんだ」

響子に呆れた顔を見せながら、
片瀬は肩のリュックを掛け直しながら言った。

「だって‥ごめん。つい・・・」

「それはもういいから。で何?」

「あの‥私も新任だし、

 それにまだまだ分からないことだらけだし」

「まさか面倒みろとか‥言うのか?

 冗談だろ」

「そんなこと言ってない。頼む気もないわ。

 ただ‥無視するとか言うから」

「はあ?それは言葉のあやだろ。

 挨拶くらいはするし、それにここの先輩として

 何か‥少しはアドバイスしたっていいし」

この一言に響子の顔が明るくなった。
片瀬が誤解しそうになるくらいに。

「ありがとう。実はちょっと心細かったの。

 こっちは久しぶりだし‥

 あっご、ごめんなさい」

「今さら謝るな。話はそれだけだな?

 俺は準備があるから行くよ」

片瀬はこう言うと、響子に背を向け歩き出す。
今の響子に背中では伝わらない。
響子は片瀬の後ろ姿を笑顔で見送った。
響子は少し元気になった気がした。
自分も行かなくちゃと慌てて自転車を固定した。


片瀬は正直、逢いたくなかった。
今は‥
あと数年は‥
自分を捨てた女と係わりたい男なんているんだろうか?
片瀬は研究室から極力出ないことを心に決めた。


~~
大学の近くで響子を見かけ、
彼女を尾行した男がふたりを見ていた。
駐輪場の脇で植木になって。

その男は周平。

周平は昨夜、まだ泥酔する前に渉が聞いてきた
響子のことだけ、記憶に残っていた。
それで、渉が響子に興味があると思い込んだ
周平は渉のために響子の後をつけたのだ。

で、そこで渉の思わぬライバル出現!
と相成ったのだ。
周平は渉に知らせなきゃ‥と
乗り捨てた自分の愛車を
まずは捜しに行くのだった。




~~
☆今回も読んでくださって感謝です。。