「お待ちしておりました。お嬢様、彩人様」

「滝沢‥お祖父様は?」

麻里は祖父専用の応接室で、自分達二人を出迎えた
秘書に向かってこう言うと、隣りにいる彩人を見た。

彩人は口を明け、目を見開いていた‥
というより、固まっているように見える‥

「彩人、彩人?‥彩人、どうしたの?」

麻里が彩人の腕を軽く掴む。
彩人はその‥麻里の感触に‥我に返った。

「彩人、大丈夫?気分でも悪いの?」

麻里は心配そうな顔をしていた。
彩人は麻里に、そうじゃないと伝えるように‥
首を左右に振りながら言った。

「麻里‥何でもない。大丈夫だ」

「ほんと?ほんとに」

「ああ。大丈夫だ」

ここで秘書、滝沢が口を挿んだ。

「お嬢様、会長は渉様、周平様とご一緒に
 
 道場の方にいらっしゃいました。

 彩人様とは、夕食の時にでもご挨拶されるおつもり

 ではないでしょうか」

「もう、お祖父様ったら‥少しくらい待てないの」

「申し訳ございません。お嬢様。

 会長はお待ちでしたが、周平様が武術にご興味が

 おありということで‥それで、皆さんでとなりました」

「はぁ‥そうなの・・・

 彩人、大変よ。ふたりとも大丈夫かしら?

 お祖父様、道場のことになったら止められないの」

「ああ、じいさんから聞いたことがある。

 宮原会長は何度も優勝してるんだろう。

 それに様々な流派にも師事していて、

 その中でも一目置かれてるって」

彩人は滝沢を目の隅に捉えながら、
麻里に向かってこう言った。

「じゃあ、周平は‥周平は知らなかったのかしら?」

「うーん‥会長の話は、じいさんの口から時々出てたけど‥

 ああ、でも‥記憶に残ってていいはずなんだけど‥

 周平のことだからなぁ‥まぁ、渉も一緒だから‥

 きっと心配ないよ」

「そうだといいんだけど‥お祖父様‥」

滝沢が言った。

「お嬢様、そろそろ彩人様をお部屋の方に、

 ご案内させていただきたいのですが‥

 宜しいでしょうか」

「あっ、そうね。じゃあ、彩人行きましょ」

「お嬢様、申し訳ございません。私がご案内いたします。

 会長のお言いつけでございます。

 お嬢様はお部屋にお戻りください」

「滝沢、最初くらいいいでしょ。

 彩人の部屋だって見てみたいし」

「お嬢様、いけません。

 彩人様だけでなく、渉様、周平様のお部屋にも

 お入りになられては困ります。

 お嬢様、宜しいですね」

滝沢はこう言うと、
麻里達の後ろに控えるお付きの者に合図した。

「お嬢様、お部屋に」

お付きの者が麻里を促す。

「もう‥ほんと滝沢ったら頭が固いわ」

麻里は彩人のジャケットの袖を引っ張り、
彩人を屈ませると耳打ちした。

「後でこそっと会いに行くからね」

麻里はこう囁くと、すぐに踵を返して
部屋から出ていった。
麻里の後を使用人達が続く。

そして、残されたふたりの男。

滝沢が口を開いた。

「彩人様。ご挨拶が遅れましたが、滝沢と申します。

 今後、私が宮原家にて、

 彩人様のお世話をさせていただきます。

 早速ですが、彩人様。お部屋の方に」

彩人が滝沢の言葉を遮った。

「彩人、さま?」

彩人が真正面から滝沢を見た。

「ふっ」

滝沢が薄笑いを浮かべた。
彩人が続ける。

「あなたが最初に、僕を“彩人くん”と

 呼んでくださったんですよ。もうお忘れですか」




~~
☆ちなみに、滝沢のイメージはラン・ジェンロンです。
 ふっと浮かんできただけで‥特に意味なしですが‥
 では、読んでくださって感謝です。。
「ええっ、ちょっ、じぃ‥会長‥あの」

突然のことに周平が焦る。
そして、その隣りで渉は口をあんぐり‥

「うん?何かおかしいか。

 おっ、これから早速‥どうじゃ」

こう言うと、麻里の祖父、宮原会長は立ち上がった。
側に控えていた秘書のひとりが、どこかに連絡を
入れながらこの場を足早に立ち去っていく。

ここは宮原邸、宮原会長専用の応接室。
いくら待ってもやって来ないふたり・・・


先ほどから宮原会長と、目の前にいる周平、渉は
スポーツは好きか、などと他愛もない会話をしていた。
実際、ふたりはスポーツ万能だった。
それに加え、日々の後継者教育で鍛えられている。

そんな時、ふと周平が口にした一言‥

「最近、武術に興味があって」

と‥と、言ってしまった。

なんとこの宮原会長‥その武術に秀でたお方だったのだ。
もう‥こうなっては後に引けない。


「わしも年を取ってな。

 最近はうちの道場にも行っとらんかったが、

 いい機会じゃ。武術は奥が深い。

 きっとおまえのためになる。

 どうした?遠慮することはない。

 おっ、おまえも一緒にどうじゃ」

宮原会長が渉にも声を掛ける。

「いや、俺は‥いえ。折角ですが、

 僕は少し休ませていただきます。申し訳ありません」

渉は神妙に言った。
そこに、先ほど出ていった秘書が戻ってきた。

「なーに、気にすることはない。師範もたくさんおる。

 おお、そうか‥大丈夫か。さあ、行くぞ。

 なに、あのふたりはほっとけばいい」

宮原会長は周平と渉に行くぞと扉の方を指差しつつ、
秘書に指示をする。
そして、この場に残る秘書に目配せすると歩き出した。
周平と渉は座ったまま、うな垂れている。
宮原会長に、そんなふたりの無言の合図は通じない。

「はあぁぁぁ」

渉の深い溜め息。
それを聞いた周平が下を向いたまま言う。

「渉、ごめん。本当にごめん。まさかこんなことに」

渉が遮る。

「もういい。行くしかないだろ。やるしかないだろ。

 だが、全ておまえのせいだ。それだけは忘れるな。

 いいな」

渉が立ち上がった。
目の前には数人の宮原家秘書。こちらへと手を扉に向けてくる。

恥ずかしい‥

渉は自分の顔が瞬時に赤くなるのが分かる。
渉は目を閉じた。

ああ、なんてこった‥
帰りたい‥今すぐ帰りたい‥

周平がそんな渉を心配そうに見た。

「渉‥渉?」

何もかも‥こいつのせいだ。
いつも‥いつでも‥
はあぁぁぁぁぁ・・・

渉は決めた。宮原会長に分かってもらおうと。
自分は休暇でここに来たのだと。
決して武術を習いに来た訳ではないと。

渉は目を明け、ひとり歩き出す。
置いて行かれた周平は驚く。
だが、いつものような声は出さない。
黙って渉の後を追いかけていく。

そして、応接室に残ったのはひとりの秘書。

まもなくふたりがやって来る。
彩人と麻里が。




~~
☆では、読んでくださって感謝です。。
「ははは‥」

長い廊下。
雄三郎のいる執務室に向かう麦子と森川。
雄三郎の笑い声が前方から聞こえてくる。
その声に、麦子の後に続く森川の顔は、
苦虫を噛み潰したようになっていく‥

お嬢様が今から向かわれると申し上げればよかった‥

森川は麦子の後ろ姿を見ながら、先ほどから
内心しまった‥とびくびくしていた。
その時、ふいに麦子が振り向いた。

「森川さん、おじいちゃんの所に誰か来てるの?」

「えっあ、はい。あの、お嬢様‥その‥

 お嬢様、こちらでお待ちください。

 私が先にご様子を窺ってまいります」

森川は、雄三郎に聞こえるよう精一杯声を張り上げた。
麦子がその声の大きさに驚いて耳を押さえる。
森川はそんな麦子に一礼し、早足で雄三郎の元へ急いだ。

森川はすぐにバテた。
執務室の入り口に着いた頃には、肩で息をするくらいに。
案の定、雄三郎はテレビの前に陣取っていた。

「大御所様‥はぁはぁはぁ‥」

「なんじゃ、森川」

森川は息が上がって言葉が続かない。
それでも、テレビの側まで歩み寄って行く。

パチン

森川はテレビを消した。

「あっ森川、おまえ‥」

雄三郎に向かって、森川は首を左右に振る。

「大御所様‥うほっごほごほごほ‥」

咽せる森川。

「全く‥いいところなんだぞ」

雄三郎はリモコンを手にする。

「何がいいところなの?」

麦子がゆっくりと入って来た。
森川は慌てて自身の身体で画面を隠した。
何も映ってないというのに。

「いや、もう終わったようじゃ。

 麦子、何か用か」

雄三郎は杖を手に取ると立ち上がった。
麦子は、雄三郎のデスクに近寄る振りをした。
雄三郎がテレビ前の応接セットから離れ、
森川もその後に続き、こちらに近づいて来た。

「麦子や。喉が渇かんか。

 わしはそうじゃな‥紅茶をもらおうかのう」

「あっそうね。私も紅茶がいいわ。

 それにちょっとおなかも空かない?

 私が作ったクッキー、まだ食べてないでしょ」

「おお、そうじゃな。森川」

「はっ、ただいま用意してまいります」

森川は一礼して出て行った。
麦子は、森川が部屋を出て行くのを見届けると、
直角に向きを変え、テレビまで急いだ。
電源を入れる。

「麦子‥あ、それはな‥」

既に自分専用のアームチェアに腰掛けていた雄三郎が、
慌てて立ち上がる。

先ほどとほとんど変わらない映像‥
麦子が言った。

「おじいちゃん‥どうして私の家が‥

 私の住んでた家が映ってるの。

 あっおじいちゃん、まさか‥見張ってるの?

 どうしてこんなことするの」

「落ち着け、麦子。

 これはな‥勝手にテレビ局が中継しとるんじゃ。

 わしは何もしとらん」

雄三郎は、再びテレビ前まで来ていた。

「じゃあ、隊長がなんで映ってるの?

 あの赤い帽子はうちの護衛でしょ」

「おお、そうじゃ。

 わしが由基のために向かわせたんじゃ。

 麦子、おまえもここに座らんか。

 森川もすぐ戻ってくるじゃろうし」

雄三郎は応接セットの定位置に腰掛けた。

「おじいちゃん、中継なんて止めさせて。

 おじいちゃんならできるでしょ。

 あそこに由基と住むって決めた時‥

 あんな‥中継なんてされなかったわ。

 引っ越すだけなのに‥だって、おかしいでしょ。

 ただ引っ越しするだけで中継なんて」

「ああ‥あの時は抑えたからな」

雄三郎がぼそっと呟く。

「えっ何?あの時って?」

「いや、あの‥あの、3年前が懐かしいとな。

 もう3年も経ったんだな」

麦子が、雄三郎の左手にあるソファに腰掛けた。

「おじいちゃん‥もしかして由基に何かした?」

「うん?何かとはなんじゃ」

「えっだから、こんな‥テレビ中継されるなんて‥

 やっぱりおかしいでしょ。誰かが言わないと。

 紫堂家に戻る由基さんって‥

 おじいちゃんが‥って言いたくないし‥

 本当は思いたくないんだけど‥

 何か由基を困らせること言ってない?」

「麦子‥や。わしはな‥おまえと一緒にいたいのじゃ。

 今回、少し無理をしてあんなことになったじゃろ。

 だからか、余計そう思ってしまってな‥

 それでだ。そんな時‥改築の話を聞いて、

 由基にここに来るようゆうてしもうた。

 それもみなおまえのためじゃ。

 おまえの喜ぶ顔が見とうてな。

 わしはな麦子、由基を困らせるつもりなど

 これっぽっちもないぞ」

雄三郎はこう言うと、親指と人差し指で示す。

「おじいちゃん‥ごめんね。疑って‥」

「いいんじゃ、麦子。おまえが分かってくれれば。

 由基の話はな、前々からマスコミが勝手に

 騒いでおるんじゃ。それに‥ここにこれば、

 由基も静かに暮らせるというものじゃ」

「そうなの‥ねえ、それなら‥

 どうしてさっき笑ってたの?

 ずっとおじいちゃんの笑い声が」

麦子がこう言い掛けたところで森川が戻ってきた。

「お待たせいたしました。大御所様、お嬢様」

雄三郎が助かったという顔をして、森川を見る。

「遅かったではないか、のう‥

 楽しみじゃのう‥麦子の手作りとやら」

麦子が自身の手作りクッキーを手に取ろうと立ち上がった。

「おじいちゃん、これはね。おじいちゃん専用の

 おじいちゃんのためのヘルシークッキーなのよ。

 甘さ控え目の」

麦子がにっこりと微笑んだ。




~~
☆じいさんはどうして笑ってたって?
 はい。言うまでもありません。
 自分の思い通りに事が進んでると
 思ってらっしゃるからーー