「はい‥」

「由基‥由基、あのね。おじいちゃんと話‥」

「麦子。ちょっと待って」

「えっ、ははい。ごめん、由基。
  
 今、忙しかった?」

「いや、大丈夫だよ。だけど、ていうか‥麦子。

 隣りにいるのに、どうして電話なんだ?

 じいさんに何か言われたのか」

「あ、えっと‥その‥そうじゃなくて‥

 おじいちゃんに言われた訳じゃ‥ないわ。

 その‥じゃあ、行ってもいい?」

「ああ、いいよ」

麦子はどきっとした。
由基が‥すぐ近くにいるということに。

「‥すぐ‥行くね」

麦子は携帯を切ると、
クッキーを持って由基の部屋に向かった。

こんこん‥

ガチャ

由基が扉を開けた。
麦子を迎える由基の顔は笑顔だ。
その顔を見て、麦子は満面に笑みを湛える。

「どうぞ」

「うん。おじゃまします」

由基は、麦子が抱えているリボンで
ラッピングされた袋を見て、
「何?」というように首を傾げた。

「これ?」

「うん‥あ、だいじそうに持ってるから」

「そう?えへ‥お引っ越しクッキー!なんちゃって」

と、可愛く微笑む麦子。

「ほんと?ちょうどおなかの虫が鳴いてたんだよ」

「ほんとに!よかった‥じゃあ、いっぱい食べてね。

 あっ、飲み物頼むね。何がいい?」

「いや、いいよ。あるから」

由基が部屋の奥に入って行く。

由基の部屋はすっかり片づいていた。
塵ひとつない部屋。
麦子は少し切なくなった。

由基が戻ってきた。
両手に烏龍茶のペットボトルを持って。

「いつまでそこにいるの?」

さっきとほぼ同じ位置‥書斎脇の通路にいる麦子に
リビングから声を掛けた由基。
麦子の元にゆっくりと歩いて行く。

「あっうん。ちょっと‥いろいろ想い出しちゃって」

麦子は、こちらに歩いてきた由基に急いで歩み寄る。

「あるって言っちゃったけど‥これでよかった?」

由基は烏龍茶を麦子の目の高さに持ってくる。

「うん。ありがとう」

麦子は、由基の手から烏龍茶を受け取った。
そして、由基はクッキーを麦子からもらう。

「麦子、ありがとう」

麦子は少し俯きはにかんだ。
今まで離れていたからか‥些細なことが‥
当たり前なひと言が‥くすぐったく感じた。

「麦子?どうした」

「えっ、あっ何でもないの。

 あっ‥今日は一日、朝早くからお疲れ様でした」

「ふっ‥ありがとな。麦子」

「えっ、私‥ほとんど何にもしてないわ。

 ほんとはお手伝いに行きたかったんだけど‥

 あの家にも‥ちゃんとお別れしたかったのに」

麦子が悲しい顔をする。

「麦子‥」

由基と麦子は並んでソファに腰掛けた。
由基はクッキーの袋を手に取った。

「開けていい?」

「うん」

由基は、麦子に向かって微笑んでからリボンを解いた。
途端に甘い香りがする。

由基は袋を手に持った際、結構重いなと思っていた。
そして、袋を開けてみてやはり驚いた。凄い量だ。

「由基、食べないの」

袋を開けたのに、食べようとしない由基に麦子が言った。

「あっ、ああ。麦子、ありがとう。これ‥手作りだろ。

 大変だったんじゃないか‥こんなに」

「あっ、うん。でも、パティシエさんが手伝ってくれたの。

 だから、いろいろ教わって‥凄く楽しかったの。

 1週間くらいは大丈夫だから、残業の時とか

 おなか空いた時に食べてね」

由基は頷くと、クッキーを手に取った。
由基を麦子が凝視する。

ぱく‥

「うまい。これ、チョコマーブル?

 うん。ほんと美味しいよ。

 これは、止まらなくなりそうだな」

「ほんと?よかった。あっ、でも‥」

麦子が不安そうな顔をした。

「うん?どうした」

「あっあのね。もうすぐ夕食でしょ‥その‥」

「じいさんと何話したか‥心配?」

「うん‥」

由基は膝に腕を置き、前で両手を組んだ。

「食事は皆と一緒に取るよ。

 じいさんとこ行ったら、料理長が来てて‥

 あの人には‥昔から世話になってるから。

 ふっ」

由基は組んだ両手につけるように頭を下げた。
麦子には由基が今、どんな表情か‥見えない。

「由基・・・」

由基が頭を上げた。

「麦子‥もうあれこれ‥気にしないことにした。

 これからは居候気分で気楽に過ごすよ。

 ・・・

 麦子。俺は‥成るようにしか成らないと思うんだ。

 何事も‥」

「由基‥ごめんね‥」

「どうして麦子が謝るんだ?麦子は何も悪くないだろ。

 じんさんも‥誰も‥悪くないんだ。

 だから‥そんな顔するなよ」

由基は麦子のこめかみに手をやった。
麦子の瞳は、今にも涙が溢れそうに潤んでいた。
麦子が鼻を啜った。
由基は麦子を抱き寄せた。
由基の肩に、麦子の涙が落ちる。

「由基‥これからどうなるの?

 私‥由基が辛い思いするなんて‥嫌‥

 そんなの嫌‥」

「麦子。

 俺は‥麦子がいれば辛いことなんか何もないよ」

「由基」

麦子は顔を上げようと、身体を離そうとした。
だが、由基は離さない。麦子を強く抱きしめる。

「麦子。もう泣くな‥泣かないでくれ。

 俺は幸せだから。麦子がいれば‥俺は大丈夫なんだ」




~~
☆お気づきかと思いますが、
 彩人&滝沢‥の続きは止めにします。すみません。。 
宮原家、彩人の部屋。

「彩人様。コーヒー‥冷めてしまいますが」

先ほどから、窓際にひとり佇む彩人の背中に
声を掛けた滝沢。
滝沢は、彩人が座るべき椅子の側に立っていた。


あの時‥

宮原会長の応接室で、彩人と滝沢が対峙した時。

3人の荷物を運び終えた部屋係が、滝沢にその旨
報告に来た。
そして、その部屋係に促されるまま、
ふたりはこの部屋までやってきた。

彩人は部屋に入るなり、迷うことなく窓際まで進み、
そのまま黙ってそこから動こうとしない。
部屋係は彩人のためにコーヒーを用意すると、
皆、部屋から出て行ってしまった。


滝沢は正直、困っていた。
彩人は知らないが、
彩人と滝沢はこれから長いつき合いになる。
だから、さっきした始めの挨拶も
そのつもりで言っていた。

どうしたものか‥
この私が‥見誤ったのか‥


「あなたは飲まないのですか」

滝沢は彩人の声に驚き、我に返った。

目の前に‥自分を見ているあの懐かしい瞳。
先ほどまでとは違う、いつもの彩人がそこにいた。

滝沢はできるだけ平静を装って答えた。

「はい。私は仕事中ですので」

「そうですか。客をもてなすのも仕事ですよね。

 滝沢さん、僕と一緒にお茶にするとしましょう。

 いいですね」

「‥はい。では、淹れなおしてきます」

彩人は微笑みながら言った。

「お願いします」

滝沢は一礼すると、冷めたコーヒーを持って出ていった。


彩人は椅子に腰掛けた。
部屋を見回した。
落ち着いた雰囲気の室内。奥は寝室だろう。
紫堂家の自分の部屋と、あまり変わらない気がした。

「はぁ‥」

彩人は溜め息をついた。

聞かなくても分かる。
麻里の爺さんの腹の内は。
あの人に、喧嘩売っても何にもならない‥


滝沢が戻ってきた。
彩人は窓際のサイドテーブルに運ぶよう指示した。
椅子が足りない。

「こちらに‥ですか?」

「はい、お願いします」

彩人はこう言うと、椅子を探しに奥へ行った。

彩人は、寝室の隅にあったミーティングチェアを
持って戻ってきた。
リビングから奥の寝室へと繋がる通路で、
滝沢と出くわした。
彩人は手のひらを前に出し、滝沢を制した。
彩人は、滝沢の前を椅子を抱えて歩いていく。

「彩人様。申し訳ございません」

滝沢が後ろから、彩人に声を掛ける。

「滝沢さん。やっぱり‥その呼び方なんだよね?

 まぁ、坊ちゃまとか言われるよりはマシだけど」

彩人の後ろで、滝沢は首を傾げていた。

サイドテーブルまでやって来た。
滝沢が運んできたコーヒーは、
木製のワゴンに乗せたままだった。
一皿だけのシフォンケーキもある。

彩人がテーブルに近づく前に、
滝沢は彩人の前に回り込んで、ワゴンを横に移動させた。

「彩人様。伺っても宜しいですか」

「うん?どうぞ」

彩人は椅子を下ろしながら答えた。
そして、自分が座る椅子の隣りにする。
彩人は滝沢に近づいた。

「あの、どうしてここで、このようになさるのですか」

「ああ。ここ‥いい眺めでしょう。

 だから、滝沢さんもどうかと思って。

 さあ、座りましょう」

彩人は椅子に腰掛けた。
滝沢は、コーヒーとシフォンケーキを彩人の前に置いた。
そして、自分の分のコーヒーを持って、
滝沢は彩人の隣りに座った。

「仕事中だから、食べないんですか‥ケーキ」

彩人が滝沢のコーヒーを見て言った。
滝沢はくすっと笑う。

「はい、彩人様。それもありますが、

 私はあまり甘いものはいただきません」

「そうですか。残念ですね。

 ケーキを見て思い出しました。

 麦子から麻里にとクッキーを預かってきたんです。

 これが、結構な量で‥正直驚きました。

 もちろん、そんな顔はしませんでしたが。

 ふっ」

「彩人様。紫堂のお嬢様からのお預かり物、

 私がいただく訳にはまいりません」

「滝沢さん。あなたはきっといい・・・

 いえ、何でもありません。

 忘れてください」

滝沢が頷く。
彩人はコーヒーを一口飲んだ。

「ふう‥美味しいですね」

「ありがとうございます」

滝沢も外の景色を見ながら、コーヒーを口にした。




~~
☆ここで区切ります。
 読んでくださって感謝です。。
「もしもし、麦子」

「麻里!あっ‥彩人達、着いたのね」

「うん、そうなの・・・麦子。今、いい?」

「麻里、どうしたの?何かあった‥の」

携帯から聞こえてくる麻里の声は、
麦子の耳には‥少し元気がないように聞こえた。

「うん。そうじゃないんだけど‥

 そんな‥たいしたことじゃないの。

 ただね‥お祖父様が‥ここは紫堂家じゃないって。

 紫堂家ではね、私は客人だから‥

 何でも許されてきただろうって。

 でも、家ではそうはいかないって‥言うの」

「そう‥」

「うん。お祖父様の言いたいこと‥

 言いたいことは分かるの。宮原家の人間として・・・

 それでは、示しがつかないってことだと思うの」

「うん」

「だから、軽率な行動は控えるようにって。

 彩人の、彩人達3人の部屋にも遊びに行くなって‥

 これはちょっと‥あんまりでしょ?」

「えっ、そうな‥そんなこと言ったら、

 私は随分と軽率になっちゃうわ。

 そんな‥そんなおかしいわよ。

 麻里のお爺ちゃん、わざと意地悪、言ってるんじゃない?」

「えっ、意地悪?そうかなぁ‥そうなのかなぁ‥

 でも、なんかね。お祖父様の言うことも分かる気もするの。

 家に男の人‥そんな‥来たことないし。

 紫堂のお爺様はお祖父様のお友達だから、

 彩人達が家に来てもおかしくはないんだけど‥

 さっき‥抱きついちゃったし‥」

「えっ!麻里!あっ、ごめん。そんな‥ごめんね・・・

 ちょっと、びっくりして。彩人と仲直りできてよかったね」
 
「麦子‥うん、ありがとう。その‥自分でも驚いてるの。

 周りに皆‥いたのに・・・でも、嬉しかったの。

 彩人も私に逢いたいって‥思ってくれてたんだなぁって」

「そう‥麻里、よかったね」

「うん・・・そうよね。折角来てくれたのに‥でもね。

 後で彩人の部屋、こそっと行ってみるつもり‥

 ふふ、忍び足でね。もう‥明日の夜には帰っちゃうんだもん。

 楽しまなきゃね!

 麦子、由基は?引っ越しなんでしょ。

 お昼のニュースで見たわ」

「えっ、そうなの‥」

「由基は一瞬しか映らなかったけど、元気そうだなって。

 あっ、ごめんね。テレビなんて‥よね。

 麦子の気持ちも考えないで‥」

「ううん。いいのよ。気にしないで。

 前々から、言われてたんだって」

「引っ越しのこと?だって、つい最近、決まったんでしょ」

「うん。引っ越すことはね。

 その‥紫堂家に戻るって話があって‥おじいちゃんも、

 それは否定してくれたみたいなんだけど‥

 ただ、ここに住むだけなのに。

 それなのに‥

 今回の引っ越しで、勘違いされたみたいなの」

「そう‥でも、仕事は辞めないんでしょ?

 だったら、勘違いされるのも今だけよ。

 そのうち‥誰も何も言わなくなるわよ」

「うん。そうだったらいいんだけど‥」

「麦子‥」

「麻里、おじいちゃん‥あのね。おじいちゃんが何か、

 由基に無理強いしたんじゃないかって‥気がするの。

 由基。あの家、引っ越さずに‥

 その分、貯金してたと思うの。

 だから、他に引っ越すこと・・・

 おじいちゃんが‥おじいちゃんが」

「麦子、落ち着いて。由基は何と言ってるの?」

「あっ、由基は何も‥何も言われてないって。

 ただ私と‥一緒に‥毎日、顔が見れるって」

「そう‥じゃあ、そうなのよ。そうよ。由基が‥

 今日から由基が側にいるんじゃない。心配ないわ。

 あっ、どうしよっかなぁ‥」

「麻里?何?教えてよ」

「うん。麦子が、どうしても気になるのなら。

 私がそっちに戻ったら、それとなく

 紫堂のお爺様に聞いてあげてもいいわよ。

 ただ、相手があのお爺様だから‥ちゃんと聞き出せるか

 何とも言えないけどね」

「麻里!麻里、ありがとう。うん。お願い!

 おじいちゃん、麻里になら本当のこと

 話してくれそうな気がする」

「麦子‥そんな‥あまり期待はしないでね。

 何といっても、あの紫堂のお爺様だから‥」

「うん。分かってる。でも、きっと麻里なら大丈夫よ」

「麦子‥」

「ありがとう、麻里」

「あっ、麦子。由基は?由基と一緒じゃないの。

 引っ越しはもう終わったの」

「うん。もうほとんど何もすることなく‥て感じで。

 家の皆さん、ほんと凄くって。

 掃除、大得意の私の出番がないくらいに‥

 由基も‥麦子は休んでていいよーとか言うの。

 それでね。今なんて、おじいちゃんと何か話してるの。

 それはね。お昼前、由基が家に着いた時。

 私とおじいちゃんで出迎えた時にね。

 由基が近いうちに時間をくださいって、

 おじいちゃんに言うの」

「うん」

「そしたら、おじいちゃん。じゃあ、午後からって。

 だから、さっき片づけも一段落ついたみたいで‥

 でね。由基に聞いたの。何の話するのって。

 そしたら、ここでこれから暮らす細かいことだって」

「細かいこと?」

「うん。例えば、食事はどうするとか‥
 
 由基はね。おじいちゃんに、キッチンつきの部屋が

 いいって言ってたらしいの。自炊するつもりで」

「そしたら、用意された部屋は前の部屋でしょ。

 私の部屋の隣りの。だから‥」

「麦子‥」

「麻里‥いいの。私、私も贅沢だった。

 由基の考えだってあるし。

 不本意だとしても、ここに来てくれたんだし。

 それだけで充分なのに」

「麦子‥」

「麻里‥ごめんね。私の方は心配ないわ。

 今から、ちょっと‥由基の様子見てくるわ」

「うん。そうだね。また、連絡するわ」

「うん。麻里、ありがとう。待ってるわ。

 今度は、周平、渉のことも教えてね。

 あっ、その前に周平から電話くるかも‥」

「あっ、そうね。きっと‥あると思うわ‥」

麻里は、道場に行った3人を思い浮かべる‥

「じゃ、麻里。またね」

「うん。またね」

麦子は携帯を切ると、麻里の言葉を思い出していた。


軽率な行動‥か・・・




~~
☆読んでくださって感謝です。。