「彩人、おはよう」

「ああ‥おはよ」

麦子の声に、彩人は振り向き立ち止まった。
麦子と由基がふたり並んで歩いて来る。
朝の紫堂家、朝食に向かう3人。
彩人と目が合うと由基は軽く手を上げる。
彩人も応えるように手を上げた。

「よく眠れた?」

麦子が彩人に聞く。

「ああ、そうだな」

「さすがに疲れたよな」

由基が言った。

「まあ、そうだな。でも、もう大丈夫だ」

「そうか」

麦子を真ん中にして、左に由基、右に彩人。
並んで歩き出す。
途端に、麦子が思い出したようにきょろきょろし出した。

「あの人は?」

「あの人?」

由基が麦子に聞き返す。

「昨夜、彩人と一緒だった秘書さん」

彩人が答える。

「ああ、滝沢さん。

 滝沢さんは市内の宮原家の別邸にいるよ」

「あら、そうなの」

「滝沢さんも忙しい人だからね」

「てことは、今週はこっちにいるとか?」

由基が聞いた。

「たぶん‥そうなるようなこと言ってたから」

「ふーん」

「なんだよ、由基」

「いや」

「何、何?教えて」

自分の頭の上で話をしているふたりに、
麦子が口を尖らせながら言った。
彩人が言う。

「教えるって何を?」

「だから・・・」

「だから?」

由基が聞く。
麦子は少し考えてみた。

「だから‥ふたりで何の話してたの?」

「えっ」

由基と彩人は同時に驚いた。

「何よーいいでしょ。

 その秘書さんとふたりとも知り合いなの?」

「ああ‥」

ふたりは同時に納得し、麦子の頭の上でお互いの顔を見た。
彩人が言った。

「あの人は俺が宮原家にいる間、世話をしてくれた人なんだ。

 だから、由基にも電話で話してたから」

麦子は驚いて彩人の話を遮った。

「電話!電話してるの?えっえっ」

こう言いながら、麦子は交互にふたりを見た。
由基が言った。

「そんなに驚くことか‥あっあれだ。

 周平がへばってるから‥だから」

今度は由基の話を遮る麦子。

「だから彩人に電話したのね。周平が心配で。

 ふふ、そうなのね。もう・・・」

麦子は嬉しそうに由基の腕を突っついた。

「麦子‥」

由基が彩人に向かって困った顔をする。
彩人は「お先にー」と手を上げながら、
すたすたと足を速めて行ってしまった。

「彩人?‥ふふ。由基はやっぱり優しいのね。

 それなのに‥ふふ」

麦子は由基の腕に自身の腕を絡ませ、由基の顔を見上げた。

「麦子‥周平も渉も帰って来なかっただろ。

 ふたりともああ見えて、本当は‥違うんだよ」

「うん、ほんとそうだね。見直しちゃった」

「じいさんが待ってる。急ごう」

「うん」


~~
朝食後、宮原家。

周平と渉は道場に行く準備のため、
早々にそれぞれの部屋に戻っていき‥
「わしも」と立ち上がった宮原会長を、
麻里は「話がある」と引き止めた。

「どうしたんじゃ、麻里」

「お祖父様、滝沢をどうしたの?」

「滝沢?やつがなんじゃ」

「滝沢は今どこにいるの」

「おまえが滝沢にそない関心があったとはな」

「お祖父様。ふざけないで。

 分かってるでしょ」

「麻里、そう怒るでない。

 滝沢は彩人くんの言うなれば護衛じゃ。

 道中、彩人くんに何かあっては困るじゃろ」

「そりゃぁ、お祖父様の秘書は皆SP兼ばかりだけど‥

 何も滝沢にしなくても‥

 じゃあ、彩人は昨夜の内に屋敷に戻ったから、

 午前中には戻ってくるのね」

「滝沢なら、今週は戻ってこんぞ」

「はあっ!どうして?」

「どうしても何も、あいつはわしの秘書じゃぞ。

 仕事に決まっとる」

「じゃあ、また一緒にこっちに来るってこと?」

「用件はそれだけか?」


そんな‥また一緒なんて‥仲良くなっちゃうじゃない‥

こっちに着いた頃には‥

すっごく親しくなってたり‥しちゃうじゃない‥


「ダメよ。ダメ!ダメ!」

「麻里?どうしたのじゃ、麻里」

「お祖父様。私、紫堂家に行ってくるわ。

 滝沢を連れ戻してくる。いいでしょ。

 仕事なんてこっちでもできるでしょ」

麻里はこう言うなり、今にも駆け出しそうな勢いだ。

「麻里、落ち着け。滝沢は紫堂家にはおらんぞ」

「えっ」

「滝沢が彩人の護衛をするのも、紫堂の家に着くまでじゃ。

 そう先走るでない」

「ごめんなさい、お祖父様」

「どうじゃ、おまえも道場に来てみんか」

「あっ、あの‥」

「遠慮するか?」

「うん。ごめんなさい」

宮原会長は「よいよい」と言うように、麻里に微笑み掛ける。

「さあって、今日も忙しない一日になりそうじゃ」




~~
☆では、読んでくださって感謝です。。
「わあーステキ、きれいね‥」

麦子はこう言うと両手で口元を覆っている。

「そうだな」

由基は麦子の肩越しに庭園を見ていた。
庭園の美しさに魅せられている様子の麦子に、
由基は満足気だ。
ふたりは故事茶坊に行く前に、故事館を取り囲んでいる
このイングリッシュガーデンを見に来ていた。
ふたりは手を繋ぎながら、ゆっくりと庭園を見て回った。

今(2月)、台北では台北国際花博覧会が行われている。
この近くの台北市立美術館では、ゴーギャン展が
開催されていた。

麦子に由基から連絡が入った時には、
午後1時を既に回っていた。
由基は社長からのお昼の誘いを断れなかったのだ。
麦子も雄三郎とお昼を済ませていた。
夜には彩人が帰ってくる。

ふたりは花博にまだ足を運んでいなかった。
甘いものが大好きなふたりは、
即決で故事茶坊に行くことにした。

故事茶坊に着くと、アフタヌーンティーセットを頼んだ。
限定のローズエクレアもオーダーする。
飲み物は由基がコーヒー、麦子は紅茶を。

「周平からお昼に電話あったんだけど、

 やっぱり元気なかったわ。

 早く麦子の顔が見たいって‥何度も言われたの。

 ほんとに大丈夫かしら?

 死んでもあと1週間はこっちにいなくちゃ

 いけないって。泣きそうな感じっていうか、

 切羽詰まった感じ?彩人と一緒に‥渉も、

 3人で戻って来れないのかしら」

「ああ‥」

由基にも周平から連絡が入っていた。
雄三郎が怒っていると。
残りの1週間、死ぬ気でやれと。

「由基?周平が心配じゃないの?」

「そんなことないよ。

 でも‥もう少し頑張ってほしいんだ。

 周平から言い出したことらしいし。

 どっちにしろ、あと1週間だろ。

 来週には帰ってくるんだ。

 渉も麻里もいるんだし、大丈夫だよ」

「そうかなぁ‥周平は、まさかこんなことになるなんて

 思わなかったらしいの。なんか‥可哀想で‥」

「麦子、ごめんな。あいつのせいで。

 でも、周平は心配ないさ。やる時はやるやつだし。

 それに、いつまでも弱音吐いてる場合じゃないって

 気づくはずだよ。今度あいつから連絡あったら、

 俺に電話するよう言ってくれ」

「由基‥そうよね。今は突然のことに驚いてるだけで‥

 きっと渉に負けるかーって思い直すわよね」

麦子はにこっとする。

「ああ‥そうだな」

「それにしても、ほんと素敵ね。また来ようね」

「お待たせしました」

コーヒーと紅茶が運ばれてきた。


~~
「もう帰らないといけないのね」

麻里は助手席に座り、サイドミラーを見ながら言った。
運転席の彩人にはその麻里の声だけで、
麻里が今、どんな顔をしているか分かってしまう。


麻里は朝からどこか不機嫌だった。
彩人は何度かそれとなく尋ねてみたが、
麻里は「何でもない」と答えてくる。
彩人は、
自分が今日帰ってしまうから
麻里は寂しいのだろうと思っていた‥


麻里はさり気なさを装ってバックミラーを覗き込んだ。
今日、何度目だろう‥
後ろには滝沢達、秘書&SPを乗せた車がついてくる。
今日一日、どこへ行ってもふたりきりにはなれなかった。
それなのに、彩人は文句のひとつも口にしない。
麻里はこのことも不服だった。
滝沢は彩人に何をしたというの?
短い時間で‥彩人の懐に入り込んで。
しかも昨晩は、あんな親しみを込めた顔を‥
あんなとびっきりの笑顔を滝沢に向けるなんて・・・

ブチ

麻里のこめかみの辺りで何かの切れる音がする。


「麻里?」

やっと‥彩人の声が麻里に届いた。
何度呼んだことか。
今さっき、信号に停まったことで、
彩人は麻里の腕を揺すってみた。

「何?彩人」

麻里は何事もなかったかのように平然と答えた。

「麻里、ごめんな」

「えっ何が?」

「あーだから、一緒に帰れないことっていうか‥

 俺が渉達みたいにこっちにいられないこと」

「あっいいの。彩人が‥彩人には仕事があるもの。

 そんな分かってるもの」

「そっか‥じゃあ、渉と周平のこと頼んでもいいか」

「ええ、もちろん。ふたりのことは心配ないわ」

「ああ。宜しく頼むよ」

「ふふ」

「麻里、どうした?」

「ううん。嬉しいの‥大丈夫よ。

 何かあったらお祖父様にビシッと言うから」

「それは頼もしいな」

「ふふ」

麻里は本当に嬉しそうだ。

「毎日電話するから。あっ、もし電話できなかったら

 メールは必ずするから」

「うん。待ってる」

麻里は笑顔だ。
彩人はほっとしていた。
麻里と離れているのもあと1週間だ。
麻里が戻ってこれば、
今までと変わらない日々が戻ってくるはずだ。

「彩人、屋敷に着いたら連絡ちょうだいね」

「ああ、分かった」




~~
☆読んでくださって感謝です。。
「休みなのにすまないね」

「いえ、僕の方こそ‥ご迷惑をおかけして

 申し訳ありません」

「ああ。でも、君がしたことじゃないだろ。

 まあ、とりあえず座らないか」

社長はこう言うと、
窓際の一角にある打ち合わせコーナーを示す。

「はい。コーヒーでいいですか?」

「ああ。サンキュ」


日曜日。
由基は社長に呼び出され、会社に来ていた。


「どうぞ。それは?」

「ああ‥これは明日持ってく書類だよ」

「水曜日でしたっけ‥戻りは」

「ああ。でも、火曜の夜には戻れそうだ」

「そうですか。お気をつけて」

由基は社長の向かいの椅子に腰掛けた。

「こちらの‥承認もらえますか」

由基は、コーヒーを飲んでいる社長の前に書類を置く。
社長は書類をめくりながら言った。

「ああ、分かった。これは木曜に行ってきたやつだな?」

「はい、そうです。先方と調整し直したものです」

「うーん。いいんじゃないか‥後でしとくよ」

社長は書類を脇にやった。

「お願いします」

社長がコーヒーをもう一口飲む。
由基もコーヒーを口にする。

「ところで‥昨日はご苦労だったな。

 まだ帰って片づけが待ってるだろ?」

「はい、ありがとうございます。

 片づけはほとんど終わりました。

 後は弟の所に預けてある荷物だけです」

「そうか。それならよかった。

 あれは‥家の人達だろ?その‥」

「テレビですか」

「あっああ。その‥なんだ」

「はい」

「いや、その‥」

「どうぞ、おっしゃってください。

 この件もあって‥僕を呼ばれたんですよね」

「ああ、そうなんだが‥

 いや、その‥今日呼んだのは明日から出張だろ。

 だから、ちょっと‥その‥直接聞かれてな。

 俺はおまえの気持ち分かってるし‥ただ‥」

「ただ?」

「ああ。いくつかおまえが担当してる客から

 言われてな。本当のところはどうなんだ?

 って‥もちろん俺はデマですよって言ってるけどな」

「社長、すみません。ご迷惑おかけして。

 明日、自分から先方に連絡します。

 社長、他にはないですか」

「他?」

「はい」

「他か‥」

社長は腕組みしながら考え込む。
由基は腕時計に目をやった。


~~
「ほおー渉がか。宮原のやつめ‥

 わしがちょっと鍛えたってくれってゆったのを

 本気にしよったな。うおっほっほ」

「大御所様‥」

「森川、周平はどうしたのじゃ」

「はい‥周平様も頑張ってみえるようです」

「ほう。どのようにじゃ」

「えっ!あの‥」

森川はプリントアウトした報告書を慌ててめくる。

が、ない。
森川が口にできる記述は。

「森川。何黙っておる」

「はっはい‥」

困る森川。

「よこせ」

「はい?」

「それじゃ」

それ?焦る森川。

森川の前に、雄三郎は手を差し出す。

「これでございますか?‥ですが、大御所様。

 周平様のことは何も‥ございませんが」

声が小さくなっていく森川。

「ごちゃごちゃうるさい。はよ渡さんか」

森川から報告書をふんだくる雄三郎。
そして、雄三郎は報告書を見る。

見ない方が身のためなのに‥と思う森川。
どうかとばっちりが来ませんように‥と願う森川。

宮原の秘書には、事実を正確に報告するよう
伝えていたのだが‥これは正確すぎた。
相手を思い遣り、少しは誇張すればいいものを。

雄三郎の顔(頭)がみるみる赤くなっていく。

「森川、電話せい。周平は帰ってこんでいい。

 一生修行せい。あいつは一生放り込んどけ」

「大御所様‥落ち着いてください。

 お身体によくありません。

 周平様には、私が必ず申し上げます。

 あと‥来週も‥一週間あります。

 周平様も努力され逞しくなられるやも知れません」

「そうか?そう思うか?森川、おまえ忘れるなよ」

森川の背筋に‥瞬時に悪寒が走った。

「おっ、大御所様。私、早速電話して参ります」

森川は一礼すると足早に部屋を出ていった。

「さて、麦子の顔でも見に行くか」

雄三郎は麦子の手作りクッキーを頬張ると
ゆっくりと立ち上がった。




~~
☆読んでくださって感謝です。。