「兄貴‥」

「元気か?」

「・・・」

「周平?」


その夜、由基は眠りにつく前に周平に電話してみた。
宮原家にいる周平から、
一度だけ弱音を吐く電話があったが、
それ以後は何の連絡もなかった。麦子の所にも。
麦子に頼まれた訳ではなく、
由基は何気に兄らしいことをしてみたくなったのだ。
たったひとりの弟のために。


周平は黙っている。

「泣いてるのか?」

「違うよ‥」

周平の声は変に上擦っていた。
由基は構わず続けた。

「そうか・・・そっちはどうだ?大変か」

「ずっ・・・もう‥慣れたよ」

周平は鼻を啜る。

「そうか。あと4日か。日曜は早めに帰ってくるんだろ」

「あっ、うん」

「そうか。週末、俺も行った方がいいか?麦子も‥」

「いいよ。兄貴は何でもできちゃうから‥あっ、ごめん」

「周平‥」

「ごめん、兄貴。俺‥その‥そんなつもりは」

「いや、気にするな。俺はこっちで待ってるよ」

「うん‥兄貴・・・

 俺‥何やってんだろうって思うんだ。

 マジで。毎日毎日汗だくで‥

 いろいろぶつけるから‥痛いし‥きついし‥

 でもさ、渉は日に日に活き活きしてて‥

 あんなに人嫌いだったのに、まるで人が変わったみたいに

 皆と打ち解けて‥はああ」

周平は溜め息をつく。

「周平。でも、おまえは毎日続けてるじゃないか。

 そうだろ?」

「それは、じいさんがうるさいからだよ」

「そうかも知れない。

 でも、投げ出すことだってできたんだ。違うか」

由基は少し強い口調で言っていた。

「兄貴‥」

「周平。自信を持て。おまえはできるんだから。

 おまえは自分で気づいていないんだ。

 渉にしたって同じだよ。渉とちゃんと話してみたか?

 渉が何を思い、何を感じたか

 最後に聞いてみるのもいいと思うぞ」

「渉は話してくれないよ。ずっと口利いてないし‥

 ここに来た日、凄く怒ってたし‥」

「そうか。渉と一生話さないつもりならそれでいいよ」

「えっ、一生‥そんな‥」

「それは嫌なんだろ?」

「ああ‥嫌だ。そんなのないよ」

「だったら、どうすべきだ?」

「どうって‥」

「自分でやるしかないよな?」

「‥うん。でも、また無視されるかも‥」

「だとしても、渉と仲直りしたいんだろ?」

「それはそうだけど‥兄貴が‥」

「俺が?俺や彩人がおまえ達の間に立てばいいのか」

「ううん。いい。何とかする」

「そうだ。おまえはできるんだ。

 おまえはまだ分かってないだけなんだよ。

 おまえは‥

 おまえにしかできない何かがきっとあるはずなんだ。

 だから、もっと自信を持つんだ。いいな」

「兄貴‥ありがとう。俺‥ほんとに落ちてたんだ‥

 昼間は、考えるも何もついてくのに必死で。

 でも、夜になると‥ほんとダメで‥」

「そうか。すまなかったな‥」

「兄貴!兄貴は悪くないよ。俺が勝手に‥

 だけど、なんか元気でたよ。

 これもみんな兄貴のおかげだ。

 ほんとに‥」

「周平‥それならもう寝るか?

 明日も早いんだろ」

「あっ、うん。兄貴はどう?最近。

 部屋は‥落ち着いた?」

「ああ。大丈夫だ。問題ないよ。

 おまえの方こそ来週から大学だろ」

「大学‥なんか本当に忘れてた。

 戻れるかな‥ははっマジでおかしいね」

「戻りたくなくなったのか?」

由基も周平につられて笑みを浮かべていた。

「でも、戻らないとね‥

 待っててよ。

 麦子にめっちゃ元気だって‥そう伝えといて」

「ああ、分かった。待ってるよ。おまえの帰りを」

「兄貴、おやすみ」

「ああ、おやすみ」




~~
☆読んでくださって感謝です。。
「由基‥おまえ、マジで何考えてんだよ」

「何のことだ?」

「言わないつもりか」

「ふっ‥何も‥おまえから、滝沢さんを奪おうなんて

 思ってないけど」

「奪う?‥もういい」

「そう言うなよ。これから会うって言うのに‥

 おまえがわざわざ電話なんかしてくるから、

 本気なのかと思ってさ」

「はあ?切るぞ」

「なんだよ。自分から掛けてきて‥

 それならなんで直接言わないんだ。

 いくらでも言う機会はあっただろ。

 で、どうするんだ?

 口裏合わせでもするのか」

「ふぅー全く‥」


今晩‥
由基と彩人は、滝沢と食事をすることになっている。

言い出したのは由基だった。
日曜の夜、彩人と共に滝沢が屋敷にやって来た時、
こっそり由基は滝沢に声を掛けていた。
彩人は、滝沢から由基に食事に誘われたことを聞き、
自分も同席することにしたのだった。


そうこうしてる内に、由基は店に到着した。
店は滝沢が指定した‥イタリアン。
由基は駐車スペースに車を停めた。

「彩人、今晩のこと何か言ってきたか?」

「あぁ?ああ。麦子に、遅くなるから

 飯は要らないとは言ったけど」

「それで‥か」

「は?麦子がメールでも寄越したのか?

 でも、おまえと会うなんて言ってないぞ。

 夜食の準備とか言って心配するから、  

 適当に済ますからいいと言ったんだけどな」

「そうか。どうせ‥じいさんだろ。

 ここに来るまでに、見慣れた車を見た気がして‥

 勘違いかと思ってたんだが、つけられてたよ」

「はあ?たく‥じいさんは、何考えてんだ」

彩人はバックミラーで後ろを確認する。
知らない車だ。

「さあな‥どうする?俺は何言われても構わないが‥」

「俺だって構わないさ。もうすぐ着くし」

「そうか。じゃ、俺は先に行ってるよ」

「ああ、分かった」


~~
今夜の紫堂家。
雄三郎と麦子だけの寂しい夕食。

由基は月曜からのこの3日間、
一度も屋敷で夕食を取っていなかった。
今夜は彩人も残業で遅くなるようで‥
さすがの麦子も元気がない。


由基‥
ちゃんとごはん食べてるかな‥
大丈夫だって‥心配ないっていつも言うけど‥
・・・
あっ!お弁当!!!
どうして気づかなかったんだろう‥
私ったら‥ダメね‥
早速、明日から‥
そうだ!今晩から下準備しとこう‥


麦子は勢いよく立ち上がった。
雄三郎が驚いている。

「麦子、もうしまいか?

 ちゃんと食べなきゃ力もつかんぞ」

「えっあ‥そうね。ごめんなさい」

麦子は座り直した。

「麦子や‥何か、いいことでも思いついたか?」

「へっ!ああ‥あの。そうなの。

 いいこと思いついちゃって。ふふ。

 でも、おじいちゃんには教えないわ」

「なぜじゃ?寂しいことゆうな‥麦子は。

 わしにも教えてくれたっていいじゃろ」

「えっダメよ!ナイショなの。ふふ」

麦子は嬉しそうに‥
自身の顎に手をやり、何かを考えている。
とっくに食事を済ませた雄三郎は、
そんな麦子を微笑ましく見守っていた。

雄三郎の後ろに控えていた森川に、
秘書がメモを持ってきた。
森川が目を細めてメモを確認する。

「大御所様」

森川が雄三郎にメモを見せた。

「ほぉ‥そうか」

「どういたしましょうか」

「そのままでよい」 

「はっ」

森川はメモを胸ポケットに仕舞った。

「おじいちゃん。私、先に行くわね。

 ごちそうさま」

こう雄三郎に言ってきた麦子は笑顔だ。
先ほどまでとはまるで別人。

「私が」

雄三郎に小さく森川はこう言うと、
麦子の後を追って出て行った。

少し歩いた所で麦子が振り向いた。
森川はさり気なさを装いながらもびくっとしていた。

「あっ、森川さん。お願いがあるの」

麦子が両手を前で組み、お願いするようなポーズをしている。

「はい。何なりとお申しつけくださいませ。お嬢様」

「あのね‥明日からお弁当を作りたいの。

 あっ、でもね。おじいちゃんには内緒にしてほしいの。

 おじいちゃんの分もね‥作れたら作りたいんだけど、

 さすがに3人分は作れないと思うの。

 だから、おじいちゃんには言わないでね」

「はい。承知いたしました。

 あの‥お嬢様。

 おひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「えっ、何?」

「はい、お嬢様。明日からおふたり分のお弁当を

 お作りになられるということでしょうか」

「うん、そうよ。私と由基の分」

森川は「そうでございますか」というように、
大きく頷いてみせた。

「森川さん。でね‥お弁当の材料になるような食材、

 ここにあったかしら?

 ちょっと心配になってきちゃって‥」

「お嬢様。差し出がましいことを言うようですが」

「何?」

「はい。毎朝、お作りになられるということですよね」

「うん、そうよ」

「今週は‥おできになったとしても、

 来週からは大学も始まります。

 お続けになるのはご負担になられるかと」

「・・・うん‥そうかも知れないけど。

 でも、心配だから‥」

麦子は思い詰めた顔をしている。

「お嬢様。それでしたら、献立をお考えに

 なられてはいかがでしょうか」

「献立?」

「由基様も、お忙しいお嬢様にご負担をおかけするのは

 不本意だと思われます。

 ですので、お嬢様が由基様のために献立をお決めになり、

 屋敷の料理人がそれを作ると

 いうことにしてはいかがでしょうか」

「森川さん‥ありがとう。

 でも、由基‥食べてくれるかな?」

「きっと大丈夫でございます。

 お嬢様も同じ物をお召し上がりになられるとなれば、

 ご納得してくださいますでしょう。それに、

 三人でお弁当ということもおできになります。

 大御所様もお喜びになられるでしょう」

「森川さん!」

麦子は森川の両袖を嬉しそうに振っている。
森川は嬉しいような困った顔をするしかなかった。

「お嬢様」

「あっ、ごめんなさい。森川さん。

 どうしよう‥今からだと間に合わないかな?」

森川は懐中時計を見た。

「お嬢様。紫堂家に不可能はございません。

 参りましょう。とりあえず、明日のご献立は

 何かお考えでしょうか」

「あっ、はい。まずね‥」




~~
☆まだ水曜日‥道場のふたりは元気かな?興味ない?
 では、読んでくださって感謝です。。
カチャ

由基は社員証をかざし、ドアを開けた。
いつものように今日も自分が一番乗りだ。
入り口の電気をつけ、自分のデスクまで歩いて行く。

今日は水曜日。

「おはよう」

「おはようございます」

えっ‥

窓際の打ち合わせコーナーから、
社長と女性の声が朝の挨拶をする。
座っていても社長の頭が見えた。
由基も言った。

「おはようございます」

由基はパソコンを立ち上げる。
そういえば、既に室内が暖かい。コーヒーの香りがする。
社長は立ち上がり、由基を見た。

「由基くん、君も少し‥いいか?」

「はい」

由基は窓際に歩いて行く。
社長がその前を横切って、給湯室に行くようだ。
由基も後を追う。
社長はカップを出していた。

「社長、すみません。自分がやります」

「いや、いいよ。それよりすまんな。

 彼女‥いとこなんだ。

 来週から、こっちの大学で働くことになって、

 大学行く前に挨拶に来たんだ」

「そうなんですか」

「あっ、由基くんが行ってたとこ‥永菫大学。

 そこで、産休に入る先生の代わりで

 英語を教えることになったんだってさ」

「そうですか。あの‥随分お若い方じゃありませんか」

「あっああ‥そうかな?

 そのセリフ、直接本人に言ってくれよ」

「えっ、それは‥」

「冗談だよ。ああ見えて‥ぷっ!

 ああ、もう‥やめだやめだ」

「ありがとうございます」

由基は、コーヒーを淹れ終えた社長から
カップを受け取る。
そんないつもと変わらない由基の様子に、
社長は少しバツが悪く感じた。

ふたりして打ち合わせコーナーに戻る。
由基は社長の後ろから、彼女を見た。
振り向いた彼女の顔に、由基は軽く頭を下げた。
彼女はにこっとする。
社長が頭を掻いた。
由基はふたりに気づかれないように小さく笑う‥
社長の顔を想像しながら。

「由基くん、紹介するよ」

彼女が立ち上がった。
由基は、自分が座る椅子の前にコーヒーを置いた。
社長が言った。

「いとこの板谷響子。

 彼は紫堂由基くん。由基くんは永菫だったんだ」

「ええ、知ってるわ。今は弟さんがいらっしゃるのよね」

「はい、お世話になります。宜しくお願いします」

「こちらこそ、よろしくね。

 ふふ。確か周平さんよね。それから、渉さん」

「はい‥」

「響子、そろそろ行かないと遅刻じゃないのか」

「えっ、まだいいわよ」

「申し訳ありません。自分は席に戻ります。

 どうぞ、ごゆっくり」

由基はこう言うと軽く頭を下げ、コーヒーを手にする。
響子がにっこりしながら言った。

「由基さん、今度大学に遊びに来て下さいね」

「なっ、由基くんはおまえと違って暇人じゃないんだぞ」

社長が響子を窘める。

「あら‥どうして?

 あなたが大学に来たって何の暇つぶしにもならないけど、

 由基さんにとっては母校だもの。いつでもウエルカムよ」

響子はこう言いながら、由基にウインクした。
社長はわなわなし出す。

「なっ、お‥まえ‥」

「失礼します」

由基は顔色ひとつ変えず、自分の席に戻っていった。
響子は声を落として社長に言う。

「彼、若いのに‥なんかあれね‥

 あんたと正反対よね」

「なっ、何!!」

「声、大きいって」

響子は自身の口に人差し指を当てながら言った。
社長は左手で口元を覆う。

「悪かったな。正反対で」

「悪いなんて言ってないわよ。

 まっあれね。器の違いってやつでしょ。

 後継者だもんね。よくこんなとこ居てくれるよね。

 あんたもある意味、凄いってか?」

「おまえなー聞こえるぞ。もう帰れよ。

 もうそろそろ他の社員も出社して来るし」

「分かったわよ。帰るわよ。ごちそうさま」

「ああ。はいはい」

社長は、響子のバッグを手に持ち立ち上がった。
響子も仕方なく立ち上がる。
社長の後に続き、響子も歩き出す。
もうすぐ出口という所で、
響子はパソコンに向かっている由基に声を掛けた。

「由基さん、おじゃまさま。

 本当に遊びに来てよね。彼女と一緒にね。

 待ってるからーバイバイ」

待ってるから~は、
ドアから手だけ出しての、手を振りながらだった。
由基は思わず微笑んでいた。
由基は聞こえるようにできるだけ大きな声で答えた。

「分かりました。必ずふたりで伺います」


ドアの外で、響子は口に手を当てて笑っていた。

あら‥結構可愛いとこあるじゃん‥


社長も出てきた。

「おまえ、由基くんに係わり合うなよ」

「何でよ。伺うって、必ずって言ったのは彼よ。

 やっぱり‥彼女‥なんだし。

 あんたと約束した訳じゃないんだから、べーだ」

響子が行ってしまうと、
その横を出社してきた社員が歩いてくる。
社長は慌ててオフィスに戻っていった。




~~
☆永菫‥私が勝手に名づけました。紫雄会も然りですが。
 では、読んでくださって感謝です。。