「由基‥大丈夫だった?」

部屋に戻ってきた由基に麦子は駆け寄った。

「ああ‥大丈夫だ。そんな顔するなよ」

心配そうな顔をして自分を見てくる麦子の髪に、
由基は手を入れ、愛しそうに指で髪を梳いた。

「由基‥」

由基は麦子を優しく抱き寄せながら言った。

「麦子、ごめん‥ちょっと疲れた。

 少し休ませてくれ」

「うん。ちょっと横になる?

 でも‥うるさくしないからここにいていい?」

由基は少し驚いて身体を離した。

「そんな‥そこまで疲れてないよ」

由基は麦子の手を握るとリビングまで行き、
外の景色が見えるように
ふたり並んでソファに腰掛けた。

「由基‥いいよ。疲れたでしょ」

麦子はこう言うと自身の膝を軽く叩いた。
由基は麦子の顔を見た。
麦子ははにかむように微笑んでいる。
一瞬で、由基のどんよりとしていた気持ちが
遥か彼方に飛んでいった。
由基は麦子をぎゅーと抱きしめた。
勢い余って麦子が由基の上に乗ってしまうほどに。

「麦子‥麦子は凄いよ。

 麦子がいれば‥本当に何でもできそうだ。

 そんな気持ちになるよ」

由基は麦子をますます強く抱きしめた。

「・・・由基‥」

麦子はドギマギしすぎて息が上手くできなかった。
由基の胸の音が直に伝わってくるくらい
密着していたし、
そして何より‥由基の膝の上にいるこの状況。
麦子は1mmも動けなかった。


由基は何とも思っていないようだし‥
自分ひとりが意識しすぎなのかな?
恋人なんだから‥こんなこと‥当たり前よね‥


「麦子」

「はっはい‥な、何?」

「麦子?どうした」

由基が身体を起こし、麦子の顔を見た。
麦子はぱっと顔を隠すように俯いた。


こんなに顔が熱いんだから‥
きっと真っ赤になっているはず‥


「麦子‥」

由基はここで気がついた。
ゆっくりと麦子を自分の膝から下ろす。
麦子は俯いたまま‥
由基も俯くと頭を二、三回かいた。

「麦子。あの‥さ。

 今は‥ちょっと騒がしいから出かけるのは

 なかなか難しいだろ」

「うん」

麦子が顔を上げた。ふたりの目が合う。
お互いにはにかむふたり。
麦子は思い出した。

「由基。おじいちゃんとは‥

 その‥護衛の話とか‥」

「ああ。それはじいさんの好きにさせるよ」

「いいの?」

「うーん。まあ、それでじいさんが安心するなら

 これでよしとするかって感じかな」

「安心‥何かあったの?何か危険なことが」

「いや、ないよ。何も。

 ただ、いつもの記者達がうるさくしてるだけだ」

「それなら‥なぜ?」

「麦子・・・」

由基は麦子の手を取ると、下を向き一瞬目を瞑った。
麦子はそんな由基を心配そうな面持ちで見ている。
由基は顔を上げ、外の景色を見ながら続けた。

「麦子。きっと俺は上手く伝えられない‥」

「そんなことないわ」

麦子の言葉に由基の右の口角が上がる。

「・・・じゃあ、聞いてくれ。

 今は彩人のことで何かと騒がしいだろ。

 だが、彩人本人には近づけない。

 だから、俺の所に集まるんじゃないかと‥

 じいさんはそう考えたんだ。

 それで‥もし俺に何かあったら麦子が心配する。

 だから、俺に護衛をつけるんだ」

「そんな‥おじいちゃんがそう言ったの」

つないでいる麦子の手に力が入るのが由基にも分かった。

「・・・麦子。じいさんは」

「おじいちゃんの所に行ってくる。

 おじいちゃんは由基が、由基が‥」

こう言いながら立ち上がろうとする麦子を、
由基は落ち着かせようと、
麦子の肩を掴み引き寄せた。

「麦子‥麦子。大丈夫だ。俺は‥

 ていうか、大丈夫って言うのもへんだが。

 俺は何とも思ってないよ。

 じいさんはああいう人だ。

 じいさんとは‥俺の方が麦子よりつき合いは長い。

 それに最近はだんだんと分かってきたんだ。

 ようやく‥だけど」

「おじいちゃんのこと?よね‥

 ようやくって、何が分かってきたの」

由基は下を向いて少し笑った。

「教えない。簡単には教えられないよ」

「そんなぁ‥ひどいわ、由基。

 教えてくれたっていいでしょ」

麦子が向きになって言ってくる。
由基はそんな麦子の様子に安堵していた。


じいさんは本当に麦子をだいじに思ってる‥
それは麦子も分かっているはず‥

この先俺はどうすればいい‥
どう伝えればいい‥


「もう‥いいわ。自分で調査するから。

 おじいちゃんを攻めるには‥まず森川さんよね」

麦子の真剣な様子に、由基は思わず吹き出した。

ふっふっふ‥

「由基、何?もう失礼よ」

「ははっはっ‥ごめん。ごめん。

 怒ったのか」

ぷーと頬を膨らませている麦子の額に、
由基は自身の額をくっつけながら言った。

「さっき言いかけたんだけど‥」

「えっ」

麦子の頬が縮んだ。
その様子にもう我慢できない由基は堪らず
声を出して笑った。

あっはっはっはは‥

由基はお腹に手を当てる。

「痛い。マジで痛い」

由基は身体を折り曲げるようにして、
片方の手はお腹に、もう片方は膝を叩いていた。

「なっ何よ。由基のばか!もう知らない」

麦子はこう言いつつも、
由基の側を離れたくはないので‥
その場に腰掛けたまま、
とりあえずキョロキョロと辺りを見ていた。
やっと落ち着いた由基は、指で涙を拭いながら
身体を起こした。
麦子を見ると口をアヒルのように尖らせている。
さすがにまた笑ったら、今度こそやばい‥と
由基は耐えた。

「麦子。なぁ‥ローズに行かないか。ローズ百貨店」

「えっ、出かけるの?」

「ああ。じいさんが行ってこいって。

 ローズは午後から‥3時だったかな?

 招待客のみでイベントがあるらしいんだ」

「イベント?何の?」

「イベント‥行きたかった?」

「えっ、どういうこと‥」

「うん。今日、ローズは顧客‥メンバーのみらしいんだ。

 だから、そのイベントが始まれば店内の客は減るだろ。

 一般客は入れないし‥だから、その間に行けば

 自由に‥買い物でもできるだろ。まぁ‥

 護衛は連れていくことになるだろうけど。

 でも、イベントが見たいなら‥

 森川に言えば手配してくれるはずだ。

 確か、飛輪海って。ローズのCMしてるらしい」

「そう。うーん‥いい」

「いい?結構、人気らしいよ」

「うん。行かない。

 ふたりっきりのデートとはいかないけど‥

 護衛の皆さんのことは気にしなければいい訳だし。

 うん。そうとなれば準備してくる」

麦子は今すぐにでも駆け出して行きそうだ。
由基は慌てて言った。

「麦子。昼はじいさんと3人でここで食べるんだぞ」

「あっそうか‥まだ‥」

由基は腕時計を麦子に見せた。9時50分。
麦子は由基の顔を見た。
由基は手を口元に当てて笑いを堪えている。
麦子はぷーと頬を膨らませ、由基を睨みながら
再び元の位置に座り直した。




~~
☆次回、飛輪海は登場してきませんが‥
 皆さんにとってもそうかと思いますが、
 私にとっても飛輪海は永遠に4人組です。。
 では、読んでくださって感謝です☆-( ^-゚)v
翌日は朝から雨が降っていた。
麦子は由基の部屋にいた。
先ほど、宮原邸に向かう彩人を見送ったばかりだ。

一夜にして彩人は時の人になった。
昨夜も護衛に守られながらの帰宅だった。
今朝もそうだ。大勢の護衛に守られながら出発した。

現在のこの騒がしい状況では、
麦子達も外出どころではなくなってしまった。
麦子はひとり、由基の帰りを待っていた。


それは雄三郎の一言が発端だった。
朝食後、3人で彩人を見送った後、
雄三郎は由基に護衛をつけると言い出した。
由基はすぐさま必要ないと抗議の声を上げた。
だが、雄三郎が決定事項を覆す訳もなく‥
由基は話してくるとそのまま雄三郎と行ってしまった。


昨日から、麦子の心は揺れ動いていた。
麦子も時折、これからのことを考えては‥
漠然とした不安を抱いてはいた。
だから、今回の彩人のことは少なからずショックだった。
最初、麦子は会社で先輩として
彩人を頼りにしているから、
自分はショックなのだと思っていた。
でも、そうではないと‥すぐに気がついてしまった。

今の自分の気持ち‥
本当の自分の気持ち‥

この気持ちを‥
この本心を‥
誰かに聞いてほしい‥
由基に聞いてほしい‥
でも、まだその勇気が持てなくて・・・

麦子はただこうやって、
シトシトと降り続く雨を眺めながら、
由基の帰りを待つことしかできないでいた。


~~
宮原家、会長専用の応接室。

宮原会長は今か今かと彩人の到着を待っていた。
そこには渉と周平もいた。
昨日まで道場漬けだったふたりも、
今日と明日は自由な時間を過ごすよう言われていた。
麻里は、昨晩から頭痛がすると部屋にこもりっきりだった。
麻里を心配する使用人達をよそに、
会長は、
「食事だけは必ず何か口に入れさせるように」
とだけ指示し、何もかもお見通しのようであった。
秘書のひとりが戻ってきた。

「彩人様、ただいま到着されました」

「そうか。おまえ達は表まで迎えに行きたければ

 行ってよいぞ。

 今日明日は好きにしてよいからな」

会長はこう言うと窓際まで歩いていった。
渉と周平は立ち上がった。
渉が言う。

「宮原会長、兄を宜しくお願いします」

渉は会長の後姿にこう言うと部屋を出ていった。
渉と共に軽く頭を下げた周平と、秘書ふたりも
後をついて行く。
この秘書ふたりは、明日まで渉と周平のSPを
それぞれすることになっていた。

「何が自由なんだ?」
「全然自由じゃないじゃん」

渉と周平はSPがつくことを不満に思っていた。
けれどふたりは知らないが、
先週の彩人に比べれば、
この程度なら全く可愛いものなのだ。
彩人と麻里を尾行し続けたSP兼秘書は、
少なくても軽く10人はいた。
ふたりに何かあるたび、
逐一会長に報告があげられていたのだ。
まだ秘書達の実力を知らない渉と周平は、
それぞれSPをまくつもりでいた。
この週末で休暇も終わってしまう。
来週からは日常が戻ってくるのだ。
最後にこの高雄の地で少しくらい羽を伸ばしたい。

「兄貴‥」

「彩人!彩人ー」

正面玄関から出て、
今から階段を下りようかという渉と周平の前に、
彩人を乗せた車列が左から現れた。
お屋敷に向かって進んでくる。
渉は階段を下り切った位置で静かに兄を待つ。
だが、彩人を待ち切れない周平は
彩人の名を呼びながら、車列に走って行こうとした。
すかさず秘書が手前で周平を制止する。

「なんだよー離せよ。あっ、彩人!彩人!!」

2台目の車から降りてきた彩人を見つけた周平は、
秘書に両腕を押さえられながらも、
彩人にとびっきりの笑顔を向ける。
本当なら周平は、
両手を振りながら彩人に駆け寄りたかったはずだ。 

「周平‥渉・・・」

彩人が周平の元に近づいてくると、
秘書は周平を自由にし、後ろに控えた。
自由になった周平は彩人に抱きつきながら、
一気に喋った。

「彩人、待ってたよ。

 昨日はほんとにびっくりしてさ‥

 彩人はここに住むんだよね?

 そしたら麻里もいなくなっちゃうよね‥

 麦子が寂しがるだろうな。

 屋敷が急に寂しくなるな‥」

彩人は周平を引きはがしながら、
ふたりに近づいてくる渉を見ながら言った。

「周平、その話は後で説明するよ。

 ・・・ふたりとも逞しくなったな」

彩人は周平と渉の肩をぽんと叩いた。

「兄貴‥」

ここで、少し前この場にやって来た秘書が口を開いた。

「彩人様。会長がお待ちでございます」

「えっ、まだ何も話してないのに」

周平が言った。
渉が言う。

「後からでいいだろう。兄貴、行こう」

渉が彩人と一緒にお屋敷に戻ろうと歩き始めたところで、
違う秘書がふたりの前に出た。

「申し訳ありませんが、

 彩人様、おひとりでお願いいたします」

「なっに‥」

むっとした渉が彩人を見た。
彩人は落ち着いているように見えた。

「兄貴。いいのか?本当に‥ここに来て‥」

「・・・後でな」

再び彩人は渉の肩をぽんとすると、
ふたりにいつもと変わらない笑顔を向けた。

「兄貴‥」

「彩人‥」

渉と周平は、
軽やかにお屋敷に向かって歩いて行く彩人を、
それぞれの想いを抱きながら見ていた。




~~
☆皆さんは台風、大丈夫でしょうか?
 くれぐれもお気をつけください。
やられた‥

フロアに戻った彩人は溜め息をつくしかなかった。


~~
彩人の引継ぎ等、来週の予定を説明するため、
なぜか常務の執務室に呼ばれた彩人とGL。
午前中に「30分もあればいいかな」と
常務から言われたGLは、彩人を伴い
13時5分前には常務を待っていた。
13時、定刻に常務は現れ、
17時5分前までふたりは解放されなかった。

来週の予定は、前日にその旨指示を受けたGLが
既に作成していた。
その説明と補足事項を合わせても30分あれば事足りた。
その後は、常務が強引に新プロジェクトの話をしてきた。
途中、GLはトイレにと席を外した際、
まず部長に‥と連絡を入れたら
「常務から聞いている。いい案、出してくれよ」
と、言われてしまった。
そこでGLは気づいた。
今日、何かある。
その後、GLは常務が席を外した時に彩人に伝えた。

「自分達がここにいることは部長も了承している。

 だから仕事のことは心配ない。いいな」

「はい。ですがGL。私は来週にはここを去る人間です。

 いつ戻ってくるかも、まだ分かりません。

 それなのに‥なぜ私に?」

「そうだな。確かにおかしいよな。

 だが、宮原財閥に行っても彩人くんは

 紫堂グループの社員だよ。

 ここの社員でなくなる訳じゃない。

 退職というのは形だけだ。

 君が大きくなって戻ってくること、

 期待して待っているよ」

「GL‥ありがとうございます」

と、ここで常務が戻ってきた。

「どうかね?・・・私はこのために、

 選りすぐりの人材を招集しようと考えているんだ」

「そうでしたか」

GLが言った。

「そうだ。本当は‥彩人くんに、

 君に入ってもらおうと考えていたから、

 ここだけの話‥私としては非常に残念なんだ。 
 
 君のことは昔から知っているしな‥」

常務がいつになく真剣な顔を彩人に向けてきた。

「常務、すみません」

「いやいや、何も彩人くんが謝ることはない。

 もう‥叶うこともないから言ってみただけだ。
 
 だからな、くれぐれもここだけの話に

 しておいてくれよ」

常務と彩人の父は旧友だった。

もっと一緒に仕事をしたかった‥
と、ふたりのやり取りを聞きながら彩人はひとり思っていた。


~~
「彩人くん、君は部長の所に」

その場に立ち尽くす彩人にGLが言った。
フロアの社員達は忙しく対応しながらも、
彩人の姿を見つけると口々に何やら囁いている。

この空気‥ヤな感じだ‥
これまでの彩人の苦労も一瞬にして台無しだ。

「はい。GL、申し訳ありません。

 このようなことになって」

「ああ。ここはいいから、早く行け」

「はい」

彩人は軽く頭を下げると、部長のいる会議室に向かった。


~~
「滝沢さん、あなたがこっちにいる理由は

 彩人だったんですね」

由基は滝沢の運転する車に乗っていた。

「・・・今となっては違うとは言えないですね」

「そうですか。そこ、そこを左に曲がってください。

 時間がありません。はっきり言います。

 あなたの今後の仕事は彩人のサポートですか?」

「・・・」

「まだ言えないということですね?

 これでも滝沢さん、あなたのこと

 僕はよく思っているんですよ。

 一昨日もそう感じてました。

 宮原会長もそうお考えかと思います。

 彩人をあなたに頼んでいいんですよね」

「‥由基様」

「あっ、ここで。

 ありがとうございました。助かりました。

 近いうちにそちらに伺うことになると思います。

 その時にまた‥」

「はい。お待ちしております。

 暫くはどうかお気をつけください」

「はい‥それじゃ」

滝沢は由基が建物の中に消えるまで見届けてから、
車を発進させた。




~~
☆金曜日も終わろうとしています‥
 読んでくださって感謝です。。