7月27日(木)。
7月に入り、映画と読書のペースが上がっています。
「なぜあなたは『愛してくれない人』を好きになるのか」
「すべてはモテるためである」の著者・二村ヒトシ。
その著書では男性読者に「なぜモテないのか」を独特の切り口で語りかけました。
今回の印象が強くあり、今回も手にとったこの著書。今回は女性読者に語りかけるものでした。
腑に落ちる部分も多くありましたし、「自己受容」という考え方は教育の場面で言うところの「自己肯定感」にぴったり当てはまるので、興味深かったです。
そこに切り込んでいったのはおそらく筆者の経験と分析によるもの。本編後の対談では、自信の理論に疑問を感じ始めていましたが、それはそれ。印象に残った個所の引用を列挙します。
女性向けのメディアというのは…じつはすべて広告の一種なんです。「愛されたい」という女性のナルシズムを強めて「恋をさせる」のが…(商品の購入に)つながるからです。
→この考え方はいい。やはりメディアに踊らされない自分は大事です。
ナルシストなのに周りを不愉快にせず、むしろ面白い人っていますよね。そういう人は「ナルシシズムも強いのに、自己受容も、出来ているのです。」
→キーワードとなっている「ナルシシズム」。なくすことは相当難しそう。であれば、自己受容との両立。
自分を愛すること(受容すること)が出来ている「幸せそうな人」とは、自分の心の穴をふさいだり無理にコントロールしようとしたりせず、折り合いをつけている人なのです。
→自分の弱点も含めてすべてを受け入れる。
「愛されたい」とうことは「君は、今のままで、いいんだよ」と受容されたいということです。
社会も、女性には「男性なみに働くこと」を要求しているのと同時に、相変わらず「女性」としての役割を求め続けています。
→でも、これって無理じゃないかい?っていう話。
お子さんの心の穴をなんとかしていくのは、お子さんの人生。あなたの心の穴を何とかしていくのが、あなたの人生です。
→ここはなんかアドラー的な感じ。でも、自分の子どもがこうなったのは自分のせいって思い詰めるのは苦しいですよね。
自己否定感やネガティブな興奮をすぐ文章にして恋の相手や友人に伝えることが出来る環境が増えすぎたことも、近年の「女性の自己受容できなさ」に拍車をかけています。
→SNSでのポストがナルシシズムであるということ。
自分で「私は運がいい」「人生快調」と本気で思えている人は、いま目の前で起きていることを楽しめて面白がれる人です。
→面白がりましょう!
どうしても女性の方が男性より、恋愛に関して、未来に縛られる傾向が強いようです。…なんにせよ「人と比べること」から苦しみが始まっていきます。
→比べない幸せ。
「女らしい人」とは「愛されるという見返りを求めないで、自分の女性性で他人を楽しませたり、助けたりしている人」です。
→見返りを求めると見返りがない時に、自己受容が出来ないということになってしまいます。
「女であろう」としている人は、いつも自分と他人を比べてしまい、嫉妬心を抱いてしまいます。それはナルシシズムですから、華やかに見えても孤独の地獄です。
→自己受容が出来ていないとこういうことになる、ということです。
「男らしい」ということは「見返りを求めず、他人のために自分の力を使うこと」です。男らしい人とは「他人に優しい人」のことです。
→そう思って、無理に他人に優しくしようとすることはナルシシズムにつながりますので(笑)、無理はしません。
「自分が人から好かれるとか嫌われるとかいうこと」に無頓着になってみてください。それが出来た時、つまり自分で自分を受容した時に初めて「人から愛される」ようになるんです。
→アドラー入りましたね。でもこれが最強です。
手に入らないものを手に入れようとする「努力」が「あなたを苦しめる」なら、それは欲しがらなくていいものなのです。
→こちらは主に恋愛において、手に入らないもの=恋愛の相手というニュアンスです。
あなたと2人で「理想的なカップル」になれる人、あなたが「幸せな恋愛関係」を結べる相手は…その人の存在によって、あなたが「自分を受容してもいいんだ」ということに気づける人です。
→自分は自分のままでいいと気付かせてくれた人。
自分というものを知ったとき、「もっと生きやすい自分に変わりたい。そのために、何を手放すか、今の自分をどう受容するか」を真剣に考えることが出来れば、変わることが出来ます。
→つまり、自己受容できていない自分を知って、自己受容していく方向に変わればということです。もっと言うと自己受容できていない自分も自己受容するみたいな…・
その人自身が「本当になりたい自分」だと思っている形が、実は社会の要求する正しさから圧迫された結果「なりたい自分」だと思わされているかもしれない。
→これはすごい。それだけメディアの影響力が強い、と言ってしまっていいのでしょうか。
おそらく著者は、心理学をかじり、心理学の本(今まで自分自身も読んだような)に書かれていた「自己肯定感」という言葉に100%納得してないような語りぶりでした。それは著作の中では「ナルシシズム」と呼び、新たに「自己受容」という表現で切り刻んでいきました。その「自己受容」とはまさにアドラー心理学でいうところの「自分が好きである」ということのようです。それはナルシシズムではありません。
ただ、臨床心理士との対談では専門家を前にさすがに、著者の理論にぼろが出始めたようで、それはそれで楽しめました。自己肯定感と恋愛をからめてある著書はあまりないかもしれません。ここまで踏み込めるものなのかは、専門家の意見を聞きたいところです。もしそのような著書に出会えれば是非、読んでみたいと思います。
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