『悲愴』を集中的に聴いている。
昨日カラヤン盤を買ったから、というわけではなく、むしろ逆で、『悲愴』を聴き続けている流れでカラヤン盤が欲しくなったという感じ。見つかって良かった。
あとは季節柄かな。寒い時には、寒い国の曲を聴きたくなる……。
Tchaikovsky: Symphony No. 6 in B Minor, Op. 74, TH. 30 "Pathétique" - IV. Finale (Adagio...
以前は苦手意識があったけど、思い立って聴いてみたらハマった。わかりやすく美しいメロディと劇的な展開、それでいて終楽章が盛り上がって終わるのではなくアダージョで消え入るように終わるという画期的な部分もある。
この辺りを足掛かりに、ゆくゆくはブラームスやブルックナーを経てマーラーへ、というのが目標かな。
Tchaikovsky: Symphony No. 6 in B Minor, Op. 74, TH 30 "Pathétique" - I. Adagio - Allegro non...
一回ごとに盤を替えて聴いているのだけど、流石に盤ごとというか指揮者・オーケストラごとの表現の差異が少しずつだが見えてきたような気がする。
特に↑のムラヴィンスキーの盤は、強奏の部分が喧しくて寝られなかった(苦笑)。いや音量下げろよって話だけど、音の大小の差というかダイナミズムの問題というか。
あくまで印象だけど、ロシアというよりはソ連なのよ。ソビエト社会主義共和国連邦っていう感じの音が鳴っている。
それはそれで素晴らしいのだけど、僕としては言うなればロシア帝国的な音を求めたいんだよね。より古めかしく、ロマンティックな。「甘き死よ、来たれ」みたいな感じのね。
というわけで、そういう『悲愴』を求めて流離おうと思います(笑)。ちなみに現在所有枚数は9枚だけど、さてどこまで増えるか。
……そして目が覚めてるときに聴いたら、やっぱりムラヴィンスキー・レニングラードフィルは凄まじい。寝る時には聴くなってだけの話だな(苦笑)、今夜はカラヤンにしよう。