Me and The Night and The Music ――私と夜と音楽と その18―― | Everyday People Dance To The Music

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日々人は音と共に踊る

No.018:
Rory Gallagher
『Live! In Europe』


とにかく君、ロリー・ギャラガーを聴き給え。
今の時代、最も不足しているのはロリー・ギャラガー的な成分だとすら僕は思っているのだよ。


Rory Gallagher Live! In Europe

神戸にある、行きつけの某中古CD店。品揃えも価格設定も非常に僕好みであるのだが、一つ納得のいかない点がある。
洋楽棚において、エリック・クラプトンの盤が棚1本の2列分までを占めているのに対して、ロリー・ギャラガーはテイスト時代のを合わせても5枚を超えるかどうかである、という事だ。
これはその店に限った話ではなく、多少の程度の差こそあれ事情はどこでも然して変わらないし、ロリー・ギャラガーを例えばジョニー・ウィンターや、アルヴィン・リーや、レスリー・ウェストと入れ替えても同じことだ。

つまりは、ブルースをどう捉えるか、という問題である。

僕の知る限り、と言うと全く狭い範囲でしかないのだが、クラプトンにおけるブルースというのは哀愁、と言うよりも女々しさであるように思う。
それ自体は別に悪くはないし、例えば『ベルボトム・ブルース』におけるそれは僕の琴線に非常に触れるものであったりするのだけど、今の日本においてはそれが第一義として捉えられている節があって、その点を如何なものかと問いたいのである。
リベラルを自称する連中の言い草ではないが、物事は多様に、多面的に考えられるべきではないか。

殊に、ブルースのようなものに関しては。


Rory Gallagher- Bullfrog Blues (LIVE IN EUROPE)

この文章はクラプトンをdisるための物でも、我が国の現状を憂うためのものでもない(と言うかそんな気分など僕にはさらさら無い)。
とにかく君、ロリー・ギャラガーを聴き給え。まずはそこからだ。

ロックやブルースの演奏と生き様を結び付けて語ると言うのは本来好きではないが、しかし極少数の対称に限っては、むしろそれを積極的に認めたい。
その筆頭が、僕にとってはロリー・ギャラガーであり、『ライヴ・イン・ヨーロッパ』というアルバムなのだ。



Rory Gallagher 'Messin' With The Kid'

その1曲目からしてもう、一本気さ、不器用さ、泥臭さ、そういう人となりのようなものが、ストラトの音色を通して全て覗えるようにすら思える。
リフにせよソロにせよ結構ゴリ押しな感じもある(『メッシン・ウィズ・ザ・キッド』のギターソロの、ひたすらピッキングハーモニクスで押しまくる部分は特に)が、特にこの盤ではライヴでの熱気とも相俟って素晴らしいドライブ感を生んでいる。
ただ熱いだけではなく、もうそういう風にしか生きられないのだという諦念や、僅かな悲哀もそこには含まれていて、乾いた音の中にほんの僅かな湿り気が含まれているようである。

ロリー・ギャラガーの演奏、音から滲み出てくるもの。
それは一言で言ってしまえば「男気」である。様々な成分を全て合わせれば、その一言に集約されることになると思う。
そして繰り返しになるが、恐らくそれは今我々の中において最も不足している成分である。


Rory Gallagher-Laundromat-Live in Europe

だから、とにかく君、ロリー・ギャラガーを聴き給え。

もう時間が無いと言うのなら、『ライヴ・イン・ヨーロッパ』の2曲目まで……いや、せめてもう2曲目の『ラウンドロマット』だけでもいい。
アップテンポのブルースロックはいつでも僕のエネルギーだが、心の奥底の芯の部分から奮い立ちたい時に迷わず聴くのは(効くのは)『ラウンドロマット』なのだ。

まあとにかく君、ロリー・ギャラガーを聴き給え。聴けば、わかる。



……などと偉そうに言っているが、正直ロリー・ギャラガー全部持ってなかったりする。
ジョニー・ウィンターもテン・イヤーズ・アフターもマウンテンも、当然クラプトンも、全部は持ってない。
まあ持っている盤に関しては、ヴァイナルだったら擦り切れるくらいに聴いているのでご容赦願いたいところだ。