「書を捨てよ、町へ出よう」
と言う時、書を捨てることと町へ出ることは、並列であって同一ではない。我々は町へ出ずに書を捨てることもできるし、書を携えたまま町へ出ることもできる。
Gotchの(……と言うか後藤サンを「ゴッチ」と呼ぶことを個人的には禁じているのだけど(笑)、まあアルファベット表記ならいいかと思って(笑))のファーストアルバムである『Can't Be Forever Young』と今回発売されたライヴ盤(最寄のCD屋では扱ってねぇでやんの)の関係性を考えるにあたって、まず思い出されたのが冒頭の言葉であり、『Can't Be Forever Young』に収録された表題曲の日本語タイトル『いのちを燃やせ』がそれに続いた。
No.123:Gotch『Live in Tokyo』
……このジャケは、良いなあ。インパルスかどこかのレーベルのジャズのアルバムを思い出しますね。
もとい。
『Can't Be Forever Young』と言うアルバムが、徹頭徹尾「永遠に若くは居られない事」=「いつかは終わり、途切れ、消えてしまう事」を描いた作品であるとするなら、今回のライヴ盤は「その中で『いのちを燃や』す様」を捉えた作品なのだと思う。Live、というのには、生きるということもダブルミーニングで掛かっているのかな、と。
『Can't Be Forever Young』を初めて聴いた時に、僕は敢えてその感想を書かなかった。
実際の所、ピンとは来なかったのだ。
アコースティックギターを中心に作られた音像は確かに温かみに溢れたものだったかも知れないが、しかし微妙に体温に欠けた印象も拭えなかったのだ。
丁寧な作りの、木彫りの人形。と言うイメージは、まあ今作ったものだが。
今回気心の知れた面子によってライヴ向けにリアレンジ(リコンストラクトと言う程の極端な変化は無いが)されることで、いわば命を吹き込まれた楽曲がようやくその真の姿を現すのだろう。
……と、聴く前にはそう思っていたのだが、実際には全く違っていた。
生音のドラムビート、絡み合うギター、確かに全体的に躍動感がある。素晴らしい。
でもそこで初めて気付いたのだけど、木彫りの人形には木彫りであるが故の美しさが確かにあったのであって、それらは損なわれてしまった、と言うか、別の美しさへと変質してしまったということなのである。
この2枚のアルバムが2枚で一組、並列である、というような言い方を後藤サン本人が確かどこかでしていたと思うのだが、なるほど聴けば聴くほどその印象は強まってくる。片方を聴く毎に、もう片方の魅力が立ち上がってくると言うか。
そういう気付きというか、音楽的な奥深さを感じさせてくれる限り、僕はアジカンと後藤サンを見切ることはできないんだろうな、と思う。
くやしい……! でも(以下ビクンビクン
No.124:NOWEARMAN『MAN NOWEAR』
ついでに買ったつもりがむしろ本命を食ってしまうくらいの、これは良盤。
"Stars" NOWEARMAN
一聴、夜、って感じ。歌詞が、PVが、っていうのはもちろんそうなんだけど、何よりもその音。
ギターの音色、フレーズ、リヴァーヴの掛かり具合、抑制の効いたリズム隊、そしてその歌声。ポスト・パンク~ニューウェーヴという感じですね。テレヴィジョンとかジョイディヴィジョンを思い出しますね。執拗なまでのリフレインがとにかく癖になる。
この隙間を敢えて残してそこに音を響かせるような音作りに、プロデューサーがどこまで関与しているのかは推して測るしかないが……憎いね、後藤サン(笑)。
あとPVのミニワンピの女性は誰ですかね。気になりますねぇ、かなり好みっぽいんで(笑)。あのいきなり裾を直す手つきがたまらねぇ(笑)。
フレデリック「オドループ」MUSIC VIDEO
……あーこれの人かー。道理で見たことあるなあと。いやだから誰なんだって(笑)。
ブックオフ巡りを控えると言うこと、それは過去のアーカイヴから距離を置くことを意味する。
僕は、いよいよ現在のロック・ポップミュージックにコミットする時を迎えているのかもしれない。
できれば2015年のアルバムを月毎に並べられるくらいには漁りたいなあ。これを来年のマニフェストにしようかね。まあ、マニフェストって基本的には守られないものなんですけどね(笑)。
……内田佑朋ねぇ、なるほどなるほど……。
