何かについて別の何かに見立てて語る、という事が僕は苦手で、特にスポーツ関連のエッセイやコラムでスマートにそういう見立てが行われていたりすると、とても羨ましくなってしまう。
たまに自分で無理矢理やろうとして大抵は失敗する(他人が見てどうかはともかく自分で読み返して失敗だと思う)のだが、昨日仕事の帰り、オルフェーヴルのことを考えながら自転車を走らせているときに、恐らく人生で初めて、見立てのアイデアが僕の頭に降ってきた。
ビデオに録画して、テープが擦り切れるほど見返した衝撃映像番組『ザ・ショックス』で、僕は初めてヒンデンブルグ号の爆発炎上墜落事故を目の当たりにした。
その映像の衝撃度は言うまでもないが、詩的なナレーションの一節、
「賛歌は一瞬にしてレクイエムと変わる」
というフレーズは強烈に僕の記憶にこびりついていた。他の台詞は一切忘れてしまったけれど。
オルフェーヴルの凱旋門賞最後の直線での走りを思い出しているときに、僕の脳裏によみがえったのは、まさにそのフレーズだった。
「賛歌は一瞬にしてレクイエムと変わる」
次いで、ツェッペリンLZ129号が炎に包まれるモノクロ映像がオーバーラップしてきたのである。
異次元の末脚で抜け出したオルフェーヴルが急激に内に切れ込み失速したことについて、仕掛けが早すぎてバテた、重馬場に脚を取られる形で最後まで伸びられなかった、という意見がそこかしこで見られた。
まあ実際にどうだったのかはわからないが、僕にとって事実がどうかというのはどうでも良いことだ。
飽くまで個人的な考えとして、僕はオルフェーヴルをそうした等身大の物差しで計ることを良しとしない。それだったらまだ、オルフェーヴルはスミヨンを内埒に叩きつけて殺そうとしたのだ、という意見のほうがまだしっくりと来る。
ここまでの話の流れに則して言うなら、オルフェーヴルは爆発したのだ。
爆発して、だから墜落した、せざるを得なかったのである。
「賛歌は一瞬にしてレクイエムと変わる」
4日経った今でも、頭を抱えたくなる。実況アナウンサーの悲鳴。ロンシャンの緑のターフにモノクロの爆炎がオーバーラップする。
僕の記憶に、トラウマティックな映像がまた一つ。