さちのたね -54ページ目
引きこもりの理由については
前回のブログをご覧ください。
自分の「話し方」って
気にしたことあります?
私、気にしていたつもりだったんですけど
先日、気づいて
うわっ!!うっざ!!!
って思いました。
その話をしようと思います。
自分が会話しているときの音声を
録音して、聞き返してみたんです。
そういう機会があったので。
で、聞いてみたら
まぁめんどくさい。
とにかく回りくどい。
説明がやたら多い。
説明のほとんどが「理由」。
外堀を埋めるのに必死。
説明しているうちに、本題を忘れる(笑
男性がよく
「女の話は要領を得なくて退屈だ」
と言いますけども
よぉぉぉぉ〜〜〜〜く分かりました!!
何か好きなものの話をする時
何か嫌いなものの話をする時
どうしてその行動を起こしたのか、って話の時
「好きだから」
「嫌いだから」
「そうしたかったから」
だけで、いいじゃないですか。
いちいち理由はいらないじゃないですか。
私はそれに、
いちいち理由をつけて説明するんです。
「好きであること」
「嫌いであること」
「その行動を起こしたこと」
に対して、無意識に責められないように
外堀を埋めていたんです。
めんどくさぁぁぁああああい!!!
だって好きなんだし
だって嫌いなんだし
だってそうしたいんだし
だけで、いいじゃぁぁああああん!!!
私の話し方が
いちいち言い訳じみていて
客観的に聞いてると、すごく苛立つんです。
あぁーーーー
こういうのも、気がつくと
本気で悶絶しますね。
なかなか楽しいかもしれない。
引きこもり。
突然ですが
引きこもっております。
いや、外出はしてるので
心身はとても元気なんですけど
SNS的に、引きこもってます。
ブログやフェイスブックの投稿を見るのを
やめております。
私、もともと、
親がいろいろ口を挟んでくる家庭で育って
「自分の意見」ってものがない。
選択や決定を自分でしなくていいから
楽、っていうのもあり
正直、「自分で決めていない」ことに
疑問がなかったのね。
時々、無性に苛立ったりするけれど
私の怒りに対して、怒りで返ってくるから
「怒ることって、良くないんだな」と
怒りを鎮めることばかり頑張ってた。
母が亡くなって
直後に息子が生まれて
初めて母がいない世界で生きてみて
自分で考えて
自分で決めることが増えて
すごく混乱して
自信がなくて、すぐに凹んでた。
私には、それまでの人生で
身になったものが何もなかった。
どうすればいいのか
判断できるものがなかったし、
そもそも自分がどうしたいのか
それすらも分からない。
積み重ねたものが、何もなかった。
40年近く生きてきて
「何もない自分」にガッカリした。
あれだけ母が、自立しろ自立しろと言って
私に一人暮らしを勧めて
7〜8年一人暮らししてきたのに
「自立」って、何なのか。
自分の価値観で選択すること
自分の価値観で決定することが
怖くて出来なかった。
「自分で決めてきた」つもりだったけど
全ての判断基準が親の価値観だったから。
それでも日々、息子は成長して
小さいこと、大きいこと
決めることがいっぱいあって
ただただ、必死だった。
「母のような生き方をしよう」と
自分1人で頑張ってみたり
でもそのやり方はすぐに破綻して、
夫に助けてもらったり
一時保育を利用したり
自分なりのやり方を見つけて
ひとつずつ、積み重ねている。
そしてここ半年、さらに
天の岩戸を出てきた事件
自分で決めて行動することが増えてきた
と、思っていた。
ここ半年で
お付き合いする人たちがだいぶ増えて
新しい価値観をどっさりと仕入れて
とても刺激的で、楽しいんだけど
昔の癖が戻ってきてしまった。
ママ友や、心屋界隈
その場その場で
朱に交わって赤くなってみたり
長いものに巻かれてみたり
「その場の多数派の意見」に流されて
自分の感情を感じるより先に
自動的に共感していることに気づいた。
私にとって「すごい人」が言った一言に
共感できない自分が、
間違ってるんじゃないかと思ったり。
「こいつ、分かってねーな」
と思われたくなくて、
分かったふりをしてしまったり。
SNSは、情報が多すぎて、流れが速すぎて
私の中で、消化しきれないのだ。
常に消化不良で
自分の中に浮かぶ言葉が
自分の言葉なのか
他人の言葉がなのか
分からなくなっていた。
なんでもない私を満喫する
とか言いながら、
全然できていなかったのは
自分<他人
に偏ってしまうから。
誰かの言葉に
「そうだね、それがいいよね」
「その方がいいよね」
「えっ、そう思わない私はおかしいのかな」
と、いちいち反応してしまったり
いちいちジャッジしてしまうから。
誰の言葉も入れずに
自分の声だけを聞く、
それをしばらく、徹底してやっていこうと思います。
そのために、世界を狭めることや
不義理をすること
忘れられてしまうんじゃないかっていう
恐怖は多少あるけど
最悪、そうなったとしても
何も残らないわけじゃない。
狭いところわざわざに入る息子。
体調がすっかり回復して
久しぶりに元気に登園していきました。
私はいつまで引きこもるのか
期限もまったく決めていませんが
引きこもり生活で浮かんだ言葉を
こうして書いていこうと思います。
ではっ!
嬉しいなぁ。
いよちゃんが
ちょっと前に書いた私のブログを
リブログしてくれたんだけど
自分の中に湧き上がった拗ねに悶絶して
私の記事を思い出して
書いてくれたんですよ。
嬉しいので、私も書いちゃう。
ブロガー冥利に尽きますね。
そうです。
私もずっと、誰かのブログを読んで
「あー、そうだよね〜〜」
って言いながら、
実際は何も分かってなかった奴なので
「うわぁっ!これかぁっ!」
って気付いちゃった時の
私の現在地、まだここ!?
という残念な気持ちが、超絶理解できます。
むしろ毎日感じてます。
だから大丈夫です。
マスターコースは
残念な自分を痛感する場所。
残念な自分をさらけ出す場所。
…大事な言葉を付け忘れた。
残念な自分を「安心して」痛感する場所。
残念な自分を「安心して」さらけ出す場所。
だと思っています。
マスター3日目で悶絶して
それをちゃんとみんなに出してるいよちゃんは
とってもとっても素直だなぁって
私は思いました。
私はマスター中、ずーーーーーーーーっと
いい生徒のフリをして
大丈夫な生徒のフリをして
理解力のある生徒のフリをして
今、このザマだからね(笑
マスターが終わった頃のいよちゃんは、
私なんか軽々越えて
素敵な人になることでしょう…
俺を越えていけ…
それでいいんだ…若者よ…
私もまだまだ、受け取れないんだ。
「憧れ」から「対等」へ
それを望んでいたはずなのに、怖い。
自分を「下」にしてしまう癖が抜けない。
今の自分を変えたいと思っていたくせに
「今」から動けない自分。
とんでもない
私なんて
おこがましい
つい言ってしまう。
それでも、そんな自分のままで、堂々とする。
「あの人」に自分の存在を忘れられないように
「あの人」の投稿に、コメントする
「あの人」の投稿に、いいね!する
のを、やめて
あえて、シカトしちゃう。
とかね。
「へー、そうなんだ」
で、コメントもしない、「いいね」もしない
読み流す。
それすら怖かったけど、
少しずつ慣れてきた。
慣れてくるにつれ
絶望的に思えた、あの人と私を分ける国境が、
気にならなくなってきた。
私もまだ、こんなところにいる。
だから、大丈夫。
いっぱい気付いて
いっぱい悶絶して
そんな自分のままで、安心できるように。
応援してるじぇ。
今日は夫が息子の看病を代わってくれて
探険隊をしています。
探険隊と言っても
安定のぼっちですけどね。
行き先は、月読神社。
某界隈で話題の壱岐の月読神社ではありません。
川崎市内にありました。
周囲が結構なハイキングコースと知って
車を停めたホームセンターで
ハイソックスと虫除けスプレーを買いましたが
必要ありませんでした。
こんな坂を上って
(斜度って写真で全然伝わらないよね

住宅街を抜けた先に
突然、鳥居が見える。
手前の駐車場にある車が
ナンバーが314。
私が無理矢理な語呂合わせで
「さちよ」を「314」と表現してるので
勝手にテンション上がる

なんかすごい山道。
たぶんすごい山道なのでしょう。
私は通ってませんが。
こっちの階段も、なかなか。
上がるのは難儀しそうです。
私は通ってませんが。
こちらが月読神社です。
私はこの左手の住宅街から入りました。
「楽をする」ということに
まったく抵抗がない43歳です。
(だから太る)
人の写真を載せねばと
慌てて撮った隊長兼隊員です。
暑さでバテてます。
御利益は分かりませんが
楽しい探検でございました❤️
心屋カウンセラーの
私の話を書いてくれたよ。わーい!
しかもなほちゃん、
アドバイスでもなくて
ただ大事なことを私も忘れちゃうけどと
言って教えてくれたせんぱいは
カウンセラーとして活動はされてないけど
やっぱりすげーカウンセラーだなって(笑)
思いました。
って!
マジでカウンセラーやろうかな(笑
という自慢をしたところで。
なほちゃんのね
フェイスブックの投稿で
「もしかしたら?」と思って書いてみたことを
なほちゃんが受け取ってくれて
なほちゃんが、これまでのことを振り返って
たくさんの愛に気付いて
自分の言葉で旦那さんに伝える、
というバンジーを飛んだ。
素敵だなぁ。
なまじっか、
いろいろ学んでしまうとさ
その手法を身近な相手に
“使って”しまいそうになるよね。
だけど、大事なことはもっとシンプルだし
相手だって、心屋の手法を使って
どうこうされたくないんじゃないかな。
…と思って、
自分の引き出しにあるものを、
なほちゃんに見てもらった。
私、ずーっと不安定で
それでもなんとか、
働いて、自分の食い扶持をなんとか稼いで
一人暮らしを保ってる貧乏OLで
結婚する直前に心屋に出会って
マスター通って、仕事辞めて
養ってもらって万々歳かというと、
そーでもなく…
誰かの役に立たねば!と
まったく稼げない仕事をしてみたり
不安定になって
夫に試すようなことを言ってみたり
疲れて動けなくなってみたり
「私は価値がない」前提なのと
幸せを求めているくせに
「失う」ことにフォーカスしすぎて
常に不安に振り回されて
頑張り過ぎたり
夫にしつこく確認したり
試すようなことを言ったり
とにかく、めんどくせぇ女だった。
私、ずぅぅーっと
自分のことに手一杯で
自分の感情に振り回され過ぎて
それが嫌で心屋に行ったのに
心屋で教えてもらったことを
他人を裁くことや
見下すことに使っていたりして
心屋の考え方って、画期的だし
刺激が半端ないから
日常や周りの人たちが、すごく退屈に思えて
甘えるレベルを超えた…
なんかもうしょうもない人だったんですよ。
不安定な私を嫁にして
側で支えてくれていた夫の存在が
当たり前になっちゃってた。
「当たり前」になることは
もちろん幸せなことだけど
新しい世界を広げることや
新しい世界で認められることばかり求めて
ずっとそこにあったはずの
当たり前の幸せを振り返りもしなかった。
母が亡くなる前後
息子が生まれてから、今まで
夫からのサポートを受け続けていても
母を失った喪失感や悲しみにばかり
とらわれていたけれど
私がそうして
ただ自分の感情に浸っていた時も
私は夫に、支えられていたんだ。
目に見える
家事育児のサポートだけでなく
幸せの土台となる、様々なこと
不自由なく暮らせていること
生活の心配がないこと
ただ、居てくれること
そのことが、
それが「当たり前」にあることが
どれだけありがたいか
つい忘れちゃうけどね(笑
でも、忘れてしまえることも
忘れて「ない!」「ない!」って
騒ぐことも
幸せだから、できること。
なほちゃんのおかげで
私も思い出したよ〜〜。
ありがとー!!
最近、ほんとに
「“ある”に気付く」がテーマだな〜〜。
今ね、息子がお熱ちゃんで、休んでるんです。
幼稚園を休ませなきゃ〜〜と思った時
ああー、めんどくせぇ!
って思った。
私の自由な時間が奪われる〜〜!!
って思った。
同時に、
私、普段はとっても自由なんだな〜〜って
ありがたくなった。
でも、
息子とふたりで、堂々とゴロゴロできる!
降園後の公園遊びも行かなくていい!
わーーーい!!
とも、思った(笑
失うこと
奪われることだけじゃなく
「ある」ものに気付くと
これも、悪くない。
これも、幸せ。

