なぜ人は美を求めるのか?(前編:“美しい”とは稀少な存在である) | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

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約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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 一般的に人は美しいものが好きです。美しいと思う感情は、これは以前の記事中で話した”美を感じるセンス(美的感覚)”によって、人によって多少の差異はありますが(参照記事:センス(美的感覚)とは? ((前編:受け身の感性))センス(美的感覚)とは? ((後編:センスを鍛える。センスを使う))幸いな事に人間はどこに生まれようと、どういう人種であろうと、ヒトはヒトですし程度の差こそあれ180度変わった生活をしているわけではありませんので、しかもこれだけ情報が瞬時に交換できる現代、同じモノに対してある程度同じ様な感覚を共有できる訳です。


 デザイナーの仕事で言えば、これも美しいものを人工的に創ろうとする作業であり、出来上がったものが美しければ、やはり嬉しくなりますよね。だけど、皆さんがご存知の通り美しいものってそんな簡単には出来ません。いつ何やっても美しいものしか創らない人がいれば、もうそれは天才を超えた存在だと言わざるをえません。さらにその上、人がどれだけ頑張って美しいものを創り上げたとしても、それを必要とする需要が無ければ、その仕事は成り立ちません。ですが、幸いな事に一般的にはヒトは美しいものを求め、その気持ちを共有したいと思うものです。誰も住んでいない、近づく事の無い無人島に非常に奇麗な岩があったとしても、だれにも認知されない限り人間には意味が無いですし、誰かがそれを発見し、誰かにそれを伝え、皆に共有される事で美という価値を初めて持つようになります。よく言われるのが、モノを創る人は作品を通して自分を表現するために創っているとかという表現がありますが(参照記事:”デザイン”の意味を考察する 2、これはまさに自分の創り上げた”美”を他人と共有することによって自分の価値、存在、必要性を確かめるという行動になるのかなと思います。では、そこまでしてヒトを駆り立てる大きなものの一つが、なぜ”美”なのでしょうか?


 ここで逆に“美しい”の対義語であると思われる“醜い”という意味を探ってみる事にします。どういうモノを見た時に醜いと思うかと言うと、それはバランスが極端に悪かったり、線が極端に整ってなかったり、組み合わせが極端に変だったりと、その要素は様々ですが、状態が整っていないと思う場合にそう思います。 言い方を変えると、“美しい”では無いという状態全てが、醜いというカテゴリーに入ってしまうのではと思う訳です(“普通”という言い方がありますが、それは限りなく美に近い醜いと捉えられます)。


 そう考えると、美というのは非常に稀(マレ)な状態(線、輪郭、奥行き、配置、色、等の無数の組み合わせの中のいくつかある稀な組み合わせ)であるということになりますよね。そして稀だということを人間は 経験的にわかっているから、美というものに特別な感覚をもつのではないか。美を求めるというのは、この稀有な存在である、“無数に考えられるバランスの可能性の中からの稀な組み合わせ”を自分の手で創り出したいという欲求が、制作意欲を駆り立てるのではないか。試しに自分のお気に入りの女優、俳優の顔のパーツをフォトショップで少しでもいじってやれば 、もう今までの彼女、彼じゃなくなるはずです。それくらい美の均整というのは繊細なのです。つまり、創作活動に従事する人は、モノを構成するありとあらゆる要素の無限の組み合わせの中から、美を感じさせる稀少な組み合わせを探り当てるプロフェッショナルという言い方もできると思います。

 明日に続きます。






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