センス(美的感覚)とは? (前編:受け身の感性) | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

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  今日は以前書いた“プロフェッショナル”と並んで重要だと認識している言葉“センス”について考えます。この言葉は非常に曖昧で捉えるのが難しいですが 、ファッション業界に携わっている人全て、またデザイン業界に携わっている人全てに、間違いなく大きく関わってくる事だと理解しています。まず始めに“センス”の意味をwikipedia(Japan)で調べると、

“センス”:英語で五感の意味。転じて、美的感覚や感性のこと。

“五感”もついでに見てみると、

“五感”:動物やヒトが外界を感知するための多種類の感覚機能のうち、古来からの分類による5種類、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚をさす。


 ファッションや、いわゆるデザインは主に視覚によって受け取ります。センスの一つにモノを見た時(見えた時)に美しさを感じとることの出来る感覚の事と言えます。ぱっと見て、キレイと思ったり、醜いと思ったりする、自分から意識しようとしまいと、モノを視覚として捉えた時に感じる感覚です。これを“受け身の感性”とします。“受け身の感性”はもちろん人によって様々です。ある人には気付ける事が、ある人には同じに見えたりしたり。センスは生まれつきだとか言われますが、本当にそうなのでしょうか。


 人間は新しい事に出会ったとき少なからずショックを受けます。そのショックを受けた時の感覚の経験は、これから先同じ様な事が起きた時にヒトとして生き残るためにどう対処すればいいかというための情報として蓄積されます。次、同じ事が起きた時は過去の経験がもうすでにあるため、動じる事なく冷静にその出来事に対処できるようになります。それでも、新しい事というのは常に起きるもので、その時は過去のデータの蓄積からどうすべきかを判断するしかありません。そうやって経験を蓄積する事でヒトとして安全に生き延びる術を時間をかけながら徐々にステップアップさせているのです。ですから、例えば小学校に入学したばかりの子供に、消費税が来年から10パーセントになるかもしれないけどどう思う?って聞いても、彼らにとっては対処するにしてもあまりにもステップが飛びすぎていて、対処できませんよね(できる子も中にはいますかね?)、首を傾げて終了です。


 というように、我々の美に対する“受け身の感性”も、ステップが飛びすぎていると、自分の経験にデータがないので対処が出来ないため、? ということになると考えられます。また、各人に蓄積された経験データというのは二つとして同じものはないため、同じ対象物を異なる人が見れば、人それぞれに受ける感覚が異なり、意見が分かれるのです。あるアートについて書いている本で、面白い記述がありました。アートというのを認識する段階は4つくらい(5だったかも)あって、その一番上のレベルの人になると、ある絵を見た時の感想が歌となって出てくる、という話でした。つまり一つの絵から、その人に蓄積された様々な経験データより湧き出て来た感情の結果が、その歌にたどり着いたという訳です。ポイントなのは、この反応が正しいとか、間違っているではなく、そういう受け方があるのだ、という寛容な見方をすることです。日本人は他の国民と違って、やや理論的な結論の出し方を好む傾向があると思いますが(僕がまさにそうですが)、アートであったり、デザインであったりは、こういった色んな解があるからこそ、興味深いのだという、論理だけに頼らないそれこそ“感性で捉える”見方をしないといけませんね。


 重要なのは、モノを見た時に人は、そういった経験則から直感で感じた印象と、後で様々な思考をそのモノに対して巡らすことで、その印象を育てることが出来るという事です。言い換えればその経験をより深める作業ということです。初めて見て気になったものの作者や背景等を知る事でより好きになる、あるいは、その作者の人間性に賛成できなくて、逆に嫌いになったり、始めは興味が合ったけど、考えを巡らせるに至らずそのうち忘れてしまったり。こういったモノと人間の感覚・思考との関わり合いが、アートやデザインの持つ面白さであり、奥深さであると思うのです。


 少し話が行き過ぎましたが、つまり“受け身の感性”は個々の今まで生きて来た中でのありとあらゆる経験に基づいているし、それはどの国で育ったか、どういう家で育ったか、どういう人間とどういうものを見て過ごして来たか、、、、、など考えればキリのない多数の経験に基づいていると言えると思います。であるならば、センスというものは生まれつきのものではなく、鍛えようと思えば鍛えられるという結論に達しますよね。“センスがいい人”は、モノを見た時に溢れ出る感情がセンスのない人より豊富である。これは、センスの有無を判断するのに一つのポイントになりそうです。この能力を発揮出来れば数多くの職業にプロフェッショナルとして対応する事が出来るでしょう。ただ、モノを創り出す側の仕事になるとそれだけではセンスの良さを仕事に生かすプロフェッショナルになるには何か足らないのです。

 僕のブログはいつも長過ぎるので反省しつつ、明日に続けます。


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