アドニスという花@S谷です。
まず初めに、コレをお読みの皆さまにとっては、
小さな事だと思いますが、昨日のブログにて、
お騒がせ、ご心配を掛けてしまった方々、本当にすみませんでした。
ブログ自体にはコメントいただかず、直接メールでメッセージを
くださった方が、たくさんいらっしゃいました。
本当に、S谷は恵まれている、と感謝しました。
結論から申しますと、S谷はこれからも、球撞きを続けて行きます。
相方の寛容な心と、お師匠様のあたたかい支えによって、
S谷はやはり、「球撞きが好きで仕方ないのダ」という自分の心を、
認めました。
今後、同じミスをしないとも限りません。
でも、最大限、ミスをしない注意を払いながら、
その一方では、ミスをした時には、自分を責めるのではなく、
プラスに働く何かはナイか?と考える事を学習しようと思います。
今回、たくさんの方に、(このブログには見えないところでも)
励ましていただきました。本当にありがとうございました。
S谷が、相方のキューの傷を発見したあの日、
即日、球撞きをやめず、国体で最後にすると決心したのは、
「国体」という舞台に責務を感じていたから…というのは、
ていの良い言い訳かも知れません。やはりS谷は、
なんとかして、ギリギリまででも、球撞きしたかった。
そういうコトなのだと思います。
本日は、「オール愛知」という公式戦に出ました。はっきり言って、
試合にのぞめる精神状態ではありませんでした。
前夜は泣きっ放しだったので、目を腫らしたまま、みっともない姿で
参戦したのでした。
そして、とりあえず、これ以上、あのブレイクキューを持っている事は、
S谷にはできなかったので、相方に昨日の内に返し、
(もちろん、リペアは今後、考えています)
試合は、アンドレ一本でのぞもうと考えていました。
でも試合の朝、S谷は、お師匠様でもあるK内氏から、
「言い値で良いよ」と、一本のキューを譲り受けたのでした。
緑色のバットの、なんだか神秘的なキュー。
「喉が乾いた」
お師匠様は言われました。S谷は、すぐそばの自販機で、
ミネラルウォーターを買って、手渡しました。
それが、このキューの御代です。でもS谷にとっては、
アンドレよりも、高価なキューとなりました。
(アンドレは、無償でいただいたものです)
このブレイクキューは、かつてV店で店員を勤めていた青年が、
故郷へ帰る時に、置いて行ったバットと、
それこそ本当に、ゴミ箱行きになろうとしていたシャフトを
つなぎ合わせて作ったものだということでした。
でもS谷は、その店員くんの事を思い出し…
試合前に、こころから、『ありがとう』とつぶやきました。
彼が、残して言ってくれたものです。
その場で、「アドニス」という名前を付けました。
(アドニスとは、花の名前で、「美少年」という意味があります)
もしかしたら、人生でラスト2となるかも知れない試合は、
あっけなく、負け負けで終了しました。
(6‐1 ×、 6‐3 ×)
試合後、S谷は、お店の裏側にある小部屋に入って、
座っていたK内氏の隣に、自分も座りました。
勝手に、涙がこぼれてきて、仕方なかった。
「終わってしまいました。最後から二番目の試合が、
こんなに簡単に、終わってしまいました」
すると、K内氏は仰ったのです。
「僕は20年、球撞きをやってきた。
その間、一度も、ただの一人も、弟子はいなかった。
やっとできた弟子が、たった一ヵ月半で居なくなるのは嫌です」
S谷は、また泣きました。
泣けてきて、仕方なかった。
その後、K内氏の決勝試合を、相方と二人で見守りながら、
静かに相方に伝えました。
「私、球撞き、辞めたくないです」
「赦して下さい。私、やめられません」
すると、相方も、私の方を見て笑顔で言ってくれました。
「うん、やめないで。やめちゃ、ダメだ」
みんなでの食事、S谷は、嬉しかった。
S谷はまだ、なんとか繋げてもらえた。
この球撞きという魅力的なものに。
時間は迫っているけれど、週末を目指して、
できる事をやろうと思う。