ラスト2は、リ・スタート | まあるい世界の創り方

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名古屋でワイヤーアートジュエリーの制作とレッスンをしています。美しい天然石や、創作を通して日々感じる事、私が志す『光のお志事』について綴ります。


アドニスという花@S谷です。



まず初めに、コレをお読みの皆さまにとっては、

小さな事だと思いますが、昨日のブログにて、

お騒がせ、ご心配を掛けてしまった方々、本当にすみませんでした。


ブログ自体にはコメントいただかず、直接メールでメッセージを

くださった方が、たくさんいらっしゃいました。

本当に、S谷は恵まれている、と感謝しました。


結論から申しますと、S谷はこれからも、球撞きを続けて行きます。

相方の寛容な心と、お師匠様のあたたかい支えによって、

S谷はやはり、「球撞きが好きで仕方ないのダ」という自分の心を、

認めました。


今後、同じミスをしないとも限りません。

でも、最大限、ミスをしない注意を払いながら、

その一方では、ミスをした時には、自分を責めるのではなく、

プラスに働く何かはナイか?と考える事を学習しようと思います。


今回、たくさんの方に、(このブログには見えないところでも)

励ましていただきました。本当にありがとうございました。



S谷が、相方のキューの傷を発見したあの日、

即日、球撞きをやめず、国体で最後にすると決心したのは、

「国体」という舞台に責務を感じていたから…というのは、

ていの良い言い訳かも知れません。やはりS谷は、

なんとかして、ギリギリまででも、球撞きしたかった。

そういうコトなのだと思います。


やさぐれS谷の球撞き日記-67_a
本日は、「オール愛知」という公式戦に出ました。はっきり言って、

試合にのぞめる精神状態ではありませんでした。

前夜は泣きっ放しだったので、目を腫らしたまま、みっともない姿で

参戦したのでした。


そして、とりあえず、これ以上、あのブレイクキューを持っている事は、

S谷にはできなかったので、相方に昨日の内に返し、

(もちろん、リペアは今後、考えています)

試合は、アンドレ一本でのぞもうと考えていました。


でも試合の朝、S谷は、お師匠様でもあるK内氏から、

「言い値で良いよ」と、一本のキューを譲り受けたのでした。
やさぐれS谷の球撞き日記-67_c
緑色のバットの、なんだか神秘的なキュー。


「喉が乾いた」

お師匠様は言われました。S谷は、すぐそばの自販機で、

ミネラルウォーターを買って、手渡しました。

それが、このキューの御代です。でもS谷にとっては、

アンドレよりも、高価なキューとなりました。

(アンドレは、無償でいただいたものです)


このブレイクキューは、かつてV店で店員を勤めていた青年が、

故郷へ帰る時に、置いて行ったバットと、

それこそ本当に、ゴミ箱行きになろうとしていたシャフトを

つなぎ合わせて作ったものだということでした。


でもS谷は、その店員くんの事を思い出し…

試合前に、こころから、『ありがとう』とつぶやきました。

彼が、残して言ってくれたものです。

その場で、「アドニス」という名前を付けました。

(アドニスとは、花の名前で、「美少年」という意味があります)
やさぐれS谷の球撞き日記-67_b
もしかしたら、人生でラスト2となるかも知れない試合は、

あっけなく、負け負けで終了しました。

(6‐1 ×、 6‐3 ×)



試合後、S谷は、お店の裏側にある小部屋に入って、

座っていたK内氏の隣に、自分も座りました。

勝手に、涙がこぼれてきて、仕方なかった。


「終わってしまいました。最後から二番目の試合が、

 こんなに簡単に、終わってしまいました」


すると、K内氏は仰ったのです。

「僕は20年、球撞きをやってきた。

 その間、一度も、ただの一人も、弟子はいなかった。

 やっとできた弟子が、たった一ヵ月半で居なくなるのは嫌です」

S谷は、また泣きました。

泣けてきて、仕方なかった。


その後、K内氏の決勝試合を、相方と二人で見守りながら、

静かに相方に伝えました。

「私、球撞き、辞めたくないです」

「赦して下さい。私、やめられません」


すると、相方も、私の方を見て笑顔で言ってくれました。

「うん、やめないで。やめちゃ、ダメだ」


やさぐれS谷の球撞き日記-67_d
オール愛知、優勝者は、V店の常連さんの一人に決まりました。

みんなでの食事、S谷は、嬉しかった。


S谷はまだ、なんとか繋げてもらえた。

この球撞きという魅力的なものに。


時間は迫っているけれど、週末を目指して、

できる事をやろうと思う。