虐待としつけ | 今「幸せ」を生きよう!幸せを感じる心を育てよ♡

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最近シータサイエンスの麻理奈さんのブログに
「虐待としつけ」のテーマが書かれていました

外国人の方は虐待という行為を大きく定義しているようで
日本人は「それくらいならあるかも」という行為も
外国人の方は虐待と捉えるということが書かれていました

確かに虐待って暴力や性的なことだけでなく
言葉やあるいは全く無視するということも
虐待になることがあります

そして「しつけ」とどこで線引きするのかとても難しいです
少し前も高校や柔道界で暴力や体罰、指導のことで
問題になりましたよね

私も子供の頃を思い出すと
怒られて叩かれたり、外に放り出されたり
ひどい言葉で怒られたことがあります
妹もひどくぶたれて、妹が死ぬんじゃないかと思うくらいぶたれて
母がとても怖くて、でも必死で母を止めた記憶があります

今大人になってから振り返ると
あれって虐待やん、と思うのですが
子供の頃、虐待受けてる当人は怖いだけで
虐待とか理解もできない年齢だし
わからないまま傷ついていくんですよね

ただ大好きなお母さん、お父さんにぶたれて
私が悪いからぶたれるんだ
私が悪い子だからだ
こんな思いが蓄積していくんですね

「私は悪い子」という思考ができあがってしまうので
どこにいても怒られるということを起こしてしまうようになります

「愛されるためには暴力を受けなければいけない」という思考や
親から虐待を受けたと認めたくない気持ちがあれば
傷ついた自分の心を見たくなくて辛い感情に蓋をしてしまったり
育ててくれてた親に虐待されたっていうのは悪いなぁと罪悪感を持ってしまったり

私は妹は虐待されていたけど、私はされていないと思っていたんですね
だから妹ばかり虐待を受けて私はされていなくてごめんなさい
という罪悪感がありました
また、妹を助けてあげられなくてごめんなさい、とも思っていました
このあたりの思考はシータを始めた頃、ガッツリ向き合ったので解消してるんですけど

麻理奈さんのブログを読んで
親が私にしたことが虐待に当たるか当たらないか事実は置いといて
妹のぶたれてるところを見てすごく傷ついたのも私にとっては事実だし
叩かれ外に掘り出されて怖かったのも私にとっては事実だし
私も虐待を受けたという視点で掘り下げてみようと…

そうするとやっぱり子供の頃のいろんな感情や思考、学びが出てくるんですよね
思考はもちろん置き換えて私も子供の私もヒーリングしました

虐待をしてしまった母のことを許すということは
当然シータで感覚感情をダウンロードするのですが
自分で自分のことを守れずに虐待を受けさせてしまった
自分を責める自分もいるわけです
この自分を許すということもしっかりダウンロードしておくのです

親も虐待のつもりでなくても
激しく怒ってしまって
後でやりすぎたなぁと後悔して罪悪感持ってしまうことありますよね
私がしたことは虐待かもしれない、と苦しむお母さんも多いはず
お母さんならほとんどの方がこの罪悪感持ってます

いじめでいじめられている子もそうなんですけど
他人から自分を傷つける行為を自分に許してまった
イジメられることを許した自分のことって
必ず責めて罪悪感を持ってしまうんです

いじめる方もいじめながら
いじめるということを許してしまった自分を責めています
罪悪感を感じたくないから正当化したり
自分の気持ちをごまかすことをします

傷つけられた方も、傷つけた方もどちらも傷ついて罪悪感を持ちます
自分の気持ちをごまかしても消えないんです
他人をごまかすことができても真実を知っているのは自分だけですからね
だから苦しむんです

私は今回、自分が虐待受けたかどうかは置いておいて
大人になった自分があれは虐待だったかもと思うところから
シータで解放してスッキリして癒されたんです

虐待のことで悩んでいる方多いと思うんですよね
自分がされた、子供にしてしまう
自分もされたし子供にもしてしまう
こんな苦しいことから解放されませんか?

少しでも多くの方が虐待から解放されるよう祈ります
そのためのお手伝いをさせてくださいラブラブ

お母さんも子供も幸せになろうラブラブ