『ひとは一人では救われない』
救われるときは、必ず誰かと一緒。
救われるということは、囚われているということ。
囚われて足枷をはめるとき(はめられるとき)、必ずだれかの足とセットになっているし、十字架にかかるときは必ず打ち付けられるひとと、打ち付けるひとがいるからです。
たとえば赦せない誰かがいたとして、わたしたちのこころの中で赦しが起これば、足枷は同時に外れます。ふたりともが自由になり、救われます。そのひととはもう連絡もとれなかったとしても、遠く離れた地で、もしくは故人であったとしても魂は癒されます。近くにいるひととなら、共に奇跡の体験を共有することができるかもしれません。
こころがつながっているから、そうなります。じぶんだけが赦されて相手は縛られたまま、ということはなくて。
だから、逆もそうです。
誰かを罰したい、あのひとには罪があるとこころの中で責めるとき(実際に非難するかどうかは関係ないです)、二人同時に足枷をはめています。じぶんも罪人として捉えられています、じぶんのこころに。
鏡の法則、投影の法則ってそういう風にはたらくようにできています。



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