CBD Tarot de Marseille by Dr. Yoav Ben-Dov, www.cbdtarot.com
<特別な関係>と悪魔のカード 1
のつづきです。
特別な関係には
・特別な憎悪
・特別な愛
があるのでした。
特別な憎悪はわかりやすいと思います。
ここでは、特別な愛について奇跡のコースの概念をご紹介します。少し長いですが以下「奇跡講座入門 講話とQ&A」より抜粋。(P101~)
「何かが不足していたり、欠けていたり、不完全で何かもの足りないといった感情」これがコースが「欠乏の原理」と読んでいるものです。そして、それが<特別な関係>のダイナミックス全体の基盤をなしているものなのです。
「欠乏の原理」が意味しているのは、私たちの中で何かが欠けているということです。成就されておらず、完成されていない何かがある、ということです。
私たちは、自我に向かって、「助けてくれ!私の中にあるこの虚無感や空虚感、何かが欠けているような感覚には、もう耐えられない。何とかしてほしい」と言うことになります。
私たちの中のこの生来の欠乏状態そのものを変えることはできないが、私たちは自分の外に目を向けて、自分の中で欠けているものを補うことのできる誰か、または何かを、探すことはできる、と自我は言います。
「私の特別な必要が、あなたの中のある特別な資質によって満たされ、それによりあなたは特別な存在になる。そして、私が自分で設定した通りの私の特別な必要をあなたが満たしてくれるならば、私はあなたを愛そう。そしてまた、あなたに、私が満たしてあげられる何らかの特別な必要があるとき、あなたは私を愛するようになる」というものです。自我の観点からいえば、これが、天国のように理想的な結びつきということになります。
したがって、この世界が愛と呼ぶものは、実際には特別性であり、真の愛が甚だしく歪曲されたものです。これと同じような種類のダイナミックスを表現する別の言葉は「依存」です。私は、自分の必要を満たすためにあなたに依存するようになり、あなたもあなたの必要を満たすために私に依存するように仕向ける、というものです。二人が共にそれを行なっている限り、すべてはうまくいきます。これが基本的に言って、特別性というものの意味です。
その意図は、私たちの中に知覚されている欠乏を補うために、誰か別の人を使って空洞を埋めるということです。私たちは対人関係において、最もはっきりとこれを行なっています。けれども、物質やものごとを相手に、同じことをすることも可能です。
たとえば、アルコール中毒の人は、自分の中の空虚感を、酒瓶との特別な関係を通して満たそうとしています。過食症の人も食べることを通して同じことをしています。狂ったように何かに熱中する人々、たとえば、やたらに大量のたくさんの服を買い込むとか、大金を儲けるとか、数多くの物品を手に入れるとか、この世界の特定の地位を獲得しようとするなどといったことも、同じです。
これは、私たちが自分の中で自分自身についてやるせない気持ちを感じているときに、自分の外で、何か自分をいい気持ちにしてくれることをすることによって、それを埋め合わせようとする試みです。「テキスト」の最後の方に「あなた自身の外を探してはならない」(T-29,Ⅶ)という、非常に美しく、力強いセクションがあります。私たちは自分の外を探しているときは、常に、偶像を探しています。コースでは、偶像とは、神の代替と定義されています。本当は神のみが、この必要を満たすことができるのです。
わたしたちの存在の本質は、欠けているところのない、完璧なスピリットでした。欠けていると信じているのは、分離している自我です。そして完璧なものが、欠けるということはありえないのです。欠けている世界は、実在しない。夢でした。
そしてわたしたちは、そのほとんどを自我の思考体系の中で、つまり夢の中で過ごしています。そうして、ほんとうのことを見過ごしています。
次回は、特別性の3つのパターンについて書きますね。
参考文献:奇跡講座入門 講話とQ&A 中央アート出版社
[募集中の講座・WS・個人セッション]
12/15日(金),16(土),17(日) 初級セルフシンボリックリーディング講座
個人コンサルティングには具体的な質問をいくつも用意してくる方と、漠然といまの状況を知りたい方とがいらっしゃいます。どちらでも大丈夫です。