(2024/2/11) | さとう社会問題研究所・心理コンサルティングのブログ

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(2024/2/11)

 

しにたいよしにたいよなにもいいことないよわるいことしかないよいじめられてなにもいいことないよしにたいよしにたいよ”と、悲痛な叫びがメモ用紙に埋め尽くされていた

 

ここまで子供に訴えられても何もしないのだからタダの畜生

 

東近江市長さまによると学校とは国家の根幹らしいけど不要である

 

仙台市とは学校と教育委員会が共謀し、イジメを隠蔽し、母子を自殺に追いやる自治体である

 

さとう院さとう(さとう社会研究所・さとう心理コンサルティング

 

「しにたいよ」で埋め尽くされたメモを遺して逝った8歳娘と妻…「いじめの謝罪も公表もしない」遺族が学校側に覚えた違和感』(現代ビジネス、2023年12月15日)

 

 

2018年11月29日、仙台市にある住宅街の一軒家で、当時46歳の女性と、その娘である8歳の女児が、亡くなった状態で発見された。第一発見者は、亡くなった2人の夫、父であるTさん。警察は現場に荒らされた形跡がないことから「心中」として捜査を進めたが、その背景には当時娘がクラスメイトに受けていた「いじめ」が関係している。小学校のいじめ対応に疑問点が多いことに加えて、仙台市の教育委員会が作成した答申(いじめの調査報告書)には、事実と異なる部分が多々あった。真相の究明を求めるTさんは、事件から5年が経過した現在も、仙台市教育委員会にいじめの再調査を請求し続けている(連載第2回/全4回)。

 

「しんでしまいたい」とこぼすように

 

Tさんの娘がいじめを受けていると告白したのは’18年5月中旬。その直後からTさんの娘は、欠席や遅刻早退を繰り返すようになる。不眠状態が続き、夜になると急に泣き出し、心因性頻尿で5分に1回トイレに行きたくなるなど、心身ともに異常をきたすようになっていく。
「この頃から、仮に登校したとしても、時間をずらして、校長室に匿われるような形で過ごすようになります。7月に入ってからは、初めて小児科医に連れていきました。最初は口内炎程度の軽い症状でしたが、次第に目の下にクマができたりと、ストレスを抱えているのは明らかでした。

それから性格も、内向きになっていきます。本来であれば、自分から積極的にあいさつしたり、習い事にも出かけるような子なのに、次第に習い事にも行かなくなっていき、異常なほど妻に甘えるようになりました

 

『寝室だと怖いことを思い出して寝れない』といってリビングで寝たり、知っている人に会っても妻の後ろに隠れるようになり、妻が面倒を見ないと勉強や習い事も手付かずで……。妻といる時にはよく、『こころのきずはなおらない』『いきていてもいいことがない』『しんでしまいたい』と繰り返しこぼしていたようです」

‘18年当時のTさんの娘さんの出席簿を見ると、「登校後母から離れず帰宅」など、彼女が異変を示していたことがわかる

塞ぎがちになる娘を見かねたTさん夫妻は、度重ねて学校や仙台市の教育委員会などに救いの手を求めた。学校側も事態を重く捉えたのか、6月以降は電話対応などを中心に、娘の様子を報告し合うようになった。

しかし、事態は思うように進まなかった。

学校には、加害者の両親に事情を説明するよう再三お願いしました。それでも学校は『もう少し待って欲しい』を繰り返すだけ。さらにいじめの解決を求めても、最終的には『しばらく距離をおいた方が良い』と回答をもらいました。

学校が動かないなら、せめて学校立会いの下、私たち父母が加害者両親と直接話し合いできる機会を設けるようお願いしました。学校は『わかりました』と承諾したものの、『加害者保護者の都合がつかない』との回答を1ヵ月以上繰り返し、解決を後回しにされているようでした」

当時、答申を作成するために記録された校長とのやり取りからは、切羽詰まった母親の様子が見てとれる。学校を通じてAとBの両親との対話を求める、Tさんの妻の切実な声が記録されていた。

“今日、明日にでも、加害生徒Aが原因で不登校になっていることを伝えて欲しい(7月18日)”

“今までのことはどこまで相手に伝わっているのか、全部誤解を解きたい。私からAやBの母親に反論したい。子供の話だとAは、クラスでも権力を持っているらしい。他のクラスの子もみんなAの味方になるらしい。Aの親もまた、クラスや町内会などでも発言力が強く、周りは逆らえない。逆らえばAが周りをすぐ味方に付け、標的になった者は村八分にでもされる雰囲気であった。~中略~「今後は絶対しないでね。ごめんね。いいよ」のような表面的な解決ではだめ。相手の親御さんも考えていることがあれば、直接私にぶつけて欲しい。(7月31日)”

 

「しにたいよ」で埋め尽くされたメモ用紙

 

その後8月31日に、ようやくTさん夫妻と、Bの母親、校長ふくむ教員5名、計8名で面談を行う。

「学校側には再三、加害者側の両親もふくめて話し合いの場を設けてくれとお願いしました。しかし、結局Bさんの母親だけが参加する形で、面談が行われることになったのです。

正直、その時も議論は平行線という形で、これといった打開策はなかった。そもそも議論の最初に、校長から『お父さんはオブサーバーなので』と言われて、妻と離れた席を案内され、自分は口出しできないような圧力を感じました。当事者であるにも関わらず、なぜオブサーバー扱いされているのか……、心底意味がわからなかったです。

これでは埒が明かないと、Aとの保護者とも話す機会を設けよう要求しましたが、結局実現することはありませんでした」

面談では、Tさんの妻が、娘の気持ちを代弁したメモを読み上げる場面もあった。

そこには、“しにたいよしにたいよなにもいいことないよわるいことしかないよいじめられてなにもいいことないよしにたいよしにたいよ”と、悲痛な叫びがメモ用紙に埋め尽くされていた

 

この時、学校は2学期に突入。事態は解決の見込みが見えないまま時が過ぎ、家族3人は疲弊していく。

「いじめが発覚して時間が経過していくごとに、悩み苦しむ時間が増えたからなのか、娘は余計塞ぎがちになります。8月31日の話し合いが終わった頃から、『いじめられたことがフラッシュバックする』『いじめのことをほじくり返して聞いて欲しくない』と訴えるように。

それでいて、学校側は『私たち両親の代弁ではなく、娘さんからいじめの内容をヒアリングしたい』と発言をしてくるわけです。そんなことしたら余計に娘の傷をえぐるだけ。正直、学校側の対応も限界があるのかなと悟るようになりました」

 

校長からの「口止め」

2学期に突入した頃から、Tさん夫妻は学校だけでなく、仙台市の教育委員会や宮城県の弁護士会にも相談を求めるようになる。

実際に、母親が仙台市の教育委員会に相談した際のメモには、こう書かれてある。

“まだ7歳のこんなに小さい子が、これだけ毎日Aに怯え、毎日Aの悪夢を見て、眠れずに睡眠障害になり、腹痛、頭痛に長期に悩まされ、めまいを起こし、「死にたい」と頻繁に言うほど、生きる意味を見い出せない状況にまで追い詰められています(9月14日)”

しかし役所は、具体的な策を講じることはなかった。Tさんは電話で「学校への指導をお願いします」と伝え、「わかりました」との返答があるのみ。再び電話をかけると、別の担当者が出て振り出しに戻る始末だった。

Tさんの妻からすれば、いろんな多方面に助けを求めても事態が解決せず、かつて明るくて活発だった娘が変わり果てていく姿を見るのは堪えがたかったはずだ。助けを求めれば求めるほど声が届かないことを痛感し、やりきれない思いに沈む。

「娘は6月以降、一人で登校したことは一度もなく、妻が送り迎えをして、その都度学校に対応を求めていました。他にも、仙台市の教育委員会や弁護士会に相談したり、小児科医に連れて行ったり、動物と触れ合うのがセラピーに効くとして乗馬クラブに入会したり、そして学校に遅れを取らないよう娘の勉強に時間を注いでいました。

しかし、学校側の対応でいじめの状況が改善されることはなく、むしろ校長から『いじめのことを周囲の人に口外しているという情報が入った』と強い口調で言われたり、『娘さんの感受性が強いから(いじめを過敏に感じている)』と説明を受けたことも。娘の回復に心血を捧げていた妻からすれば、学校側の突き放した一言に、どれだけ傷つけられたのか、想像したくもありません

そのうえ、徐々にいじめのことが他の保護者にも知れ渡るようになると、腫れ物を触るかのように避けられ、保護者との付き合いも疎遠になりました。いじめが発覚した当初は、Bさんの親など保護者と立ち話やいじめの相談をする機会もありましたが、2学期になるとよそよそしく距離を感じることも多くなりました

 

「モンスターペアレント」扱いまで

亡くなる前月、Tさんの娘は、学校にもほぼ登校せず、出席簿には「欠席17回、遅刻11回」との記録が残っている。かつて10近く通っていた習い事には、ほぼ通わなくなっていた。

「当該の小学校は学区が狭いゆえ、保護者同士の距離も近かった。いじめが学校で噂されるにつれ、閉塞感を抱え、周りの保護者の視線や噂も気になるようになった。学校側や教育委員会からの対応も思うように進まないなか、次第に周りに味方がいないと閉塞感も高まっていったのでしょう。当時の同級生の保護者では、Aの母親から『Tさん夫妻はモンスターペアレントだ』といった、マイナスなことを聞いたという方もいます

事件が起こる直前の11月には、学校で音楽発表会があり、Tさん夫妻は娘の晴れ姿を見届けたそうです。その際、Tさんの妻は誰かと会話を交わすことはなく、娘の出番が終わったら娘を連れてすぐに帰宅したと聞いています」(全国自死遺族連絡会代表の田中幸子さん)

そして、2018年11月29日。Tさんが留守中に、2人は息を引き取った。

冒頭にもあるように、Tさんからすれば、2人が亡くなったのは突然の出来事だった。あまりのショックに、事件後から2~3日間はところどころ記憶が抜け落ちていたという。

「2人が亡くなってからの数日間は、本能的に何も思い出さないようにしていたのだと思います。多分、何かに触れて現実をみるとつらすぎるので……。テレビやSNSも遮断し、警察の対応も親族に任せていました」(Tさん)

この時、Tさんの自宅に駆けつけた兄が、当時の状況を振り返る。

「事件が起こった当日、私が仙台に駆けつけた時、弟は放心状態といった感じでした。学校側からの着信も、警察の事情聴取も、全部自分の方で対応し、とにかく何か考えられる状況ではなかったのを覚えています」

到底受け止められない現実だけが広がる中で、妻と娘の葬儀が行われる。2人の後を追うーーそう考えた瞬間もあったそうだが、もうひとつの感情がTさんの胸中に増した。いじめ対応をうやむやにした、学校側に対する憤りである。

学校側は事件が起こった当初、いじめの事実を公表する気配もなく、こちらには直接の謝罪もありませんでした。妻と娘の存在を蔑ろにされているようで、蹂躙されているような気持ちになり、次第に憤りも生まれていく。このままではいてもたってもいられないと思いました」

家族を失っただけでなく、いじめの事実を公表しない学校側の姿勢により、Tさんの自責の念は増えた。妻と娘の尊厳を守るため、仙台市の教育委員会にいじめの調査を求めるようになる