本当はトレーナーなのですが、いつのまにか教壇に立つようになって、それからだいぶ経ちます。
もともと人に何かを教えるのが好きで、得意だったので、講師という仕事は楽しく続けています。
でも、とくにここ数年思う事があります。
定期的に、不定期的に、新しい受講生、新入生が入ってきて、僕はその新しい受講生にまさに 「毎年、毎回、同じ事」 を教えるのです。
というより、同じ事を教えなければならないのです。
というより、教える事が同じでなければならないのです。
つい、それを忘れて毎年、毎回、教える事のレベルを上げてしまったりします。そして大いに反省します。
レベルの高い事を教えるのは、自分のエゴなのです。
僕にとって毎年、毎回行う同じ講義は、受講生にとっては初めて聞く内容なのです。勝手にレベルを上げてしまってはいけないのです。(まあ、当たり前の事なのですが・・)
優れた落語家は、伝統的な古典落語を、まさに「一言一句変えずに」話します。
それなのに、お客様にとってはいつも唸るほど新鮮で、いつも同じところで笑えるのです。
さらにすごいのは、同じ話しを何度も聞きに来るお客様にとっても、やはり毎回新鮮で、同じところで笑えるのです。
長年教壇に立つという事は、そうした伝統芸能と同じ要素が必要なのではないかと、つくづく思っています。
初めて聞いても、何度聞いても、一言一句違わないのだけれども、毎回新鮮で、毎回味わいの違う講義。
そんな芸を身につけられたら良いなと、つくづく思うのでした。
僕の大好きな映画、「愛と青春の旅立ち」でのワンシーンです。
リチャード・ギア演じるアウトローなザック・メイヨーが、数々の苦難を乗り越えてようやく海軍士官学校を卒業します。(本当に色々あって、ザックは更正して、ようやく卒業します)
卒業式の後、ザックは学校を出て行こうとする時にふと足を止めます。
そこには、それまでザックにあらゆる罵声を浴びせ掛けながら、実は愛情の固まりで彼を指導してきた鬼軍曹のフォーリーが、新しく入校してきた新入生に対して、まさにザックに数ヶ月前に浴びせ掛けていた罵声と一言一句違わない罵声を浴びせ掛けている姿があります。
実は、毎回必ず言っているセリフなのだと、ザックはその時に知るのです。そして、それが愛情の固まりのセリフであると、その時につくづく感じるのです。
何故か僕はそこで涙が出ます。
「これだけは身に着けてくれよ」というのが、教壇に立つ僕の願いです。
そのために、同じ事を話します。何度も何度も。
僕の教え子のみんな、ちゃんと身についてくれたかな?