エレナ「それだけはどうしても伝えたかったんです」
それでも伝えずにはいられなかった。
あたし達は、あの一件以来暫く道場を休んで自宅で療養していた。
別に怪我をしたというわけではなかったけど…
エレナ(それにしても…それにしてもよ?いくら緊急事態だったとはいえ…あたし…先生にハグされちゃったのよね!!)
エレナ(キャアアアアアア!!どうしよーっ!!どうしよーっ!!)
…そんな浮かれチックモードだったあたしに…
エレナ「……辞める…?この道場を…?」
悲劇は突然やってきた……。
先生「"辞める"というより、当初の予定通り契約が終了する…と、言った方がいいですね」
エレナ「契約?」
先生「もともと僕は、エレナさんのお父様…、こちらの道場の師範が復帰するまでの間、ここの道場の留守をお預かりするという約束でしたので……」
エレナ(…そういえば…ここの本来の主ってうちのお父さんじゃない!!)
…娘のあたしでさえ…そのことがスポーーーンと頭から抜けていた……。
それだけこの道場にとって、先生はなくてはならない存在になっていた……。
先生「短い間でしたがこの道場で生徒さんの指導が出来たことは、僕にとってとても貴重な経験でした」
エレナ「………あ……」
タクト、ルカ「先生!!おはようございます!!」
先生「あとで他の皆さんにもこのことを話します。……時間なので始めましょうか」
エレナ「はい………」
…先生が…もうすぐいなくなってしまう…。目の前が真っ暗になっていくような感じだった。
そして…月日はあっという間に流れ……とうとう先生がこの道場を去る日がやってきてしまった…。
※「このこと」を聞かされたときのルカ&タクト
ルカ「うっ…うううー…先生のいない明日を…私…どうやって生きていったら……」
タクト「先生のいない道場なんて…また暗殺者の養成所に逆戻りですよーっ!!」
先生「2人なら僕の指導がなくても立派にやっていけます。…こんな未熟な僕を慕ってくれたこと…とても嬉しかったです。ありがとうございました」
2人「うわああああああーん!!
せんせえぇえーっ!!辞めないでえええーーーっ!!!」
マオ「先生…お世話になりました」
先生「…君はとても筋がいいです。集中力もある。先が楽しみな素晴らしい生徒です…ただ…稽古をしていて気になることがありました」
マオ「?何でしょうか?」
先生「君は…何か思い悩んでいることがありますか?」
マオ「…は?」
先生「……思い当たることはありませんか?」
マオ「……………」
マオ「……何もありません……。お気遣いありがとうございます……」
先生「……………」
先生「そうですか…、失礼しました。今言ったことは忘れてください」
先生「これからも頑張ってください。応援しています」
マオ「…ありがとうございます…。先生もお元気で…」
エレナ「先生…本当にありがとうございました…」
先生「こちらこそありがとうございました」
先生「エレナさんには元からの素養に加えて、これまで培ってきた努力も十分に備わっています。自信を持って取り組んでください」
エレナ「…………」
先生「…エレナさん?」
……先生があたしの気持ちに応えてくれることは絶対にない……。先生にとってあたしは…臨時で師範代を務めた先の生徒でしかない……。
でも、今伝えないと一生後悔する!!
エレナ「先生!この後、少しお話があるんです!」
先生「…それは…"指導者"としてではなく?」
エレナ「はい!」
先生「…………」
先生「エレナさんの気持ちに…僕は応えることはできません」
先生「短い期間とはいえ、あなたは僕にとって大切な教え子です。受け持った生徒さんに対してそういう感情を持つことはできません」
エレナ「…………」
…分かってる…。先生なら絶対そういうと思ってた…。
そんな先生だから…皆、先生を慕ってるんだもん…。ルカちゃんも…タクトくんも…マオも…あたしも……
先生「…すみません」
エレナ「……………」
エレナ にこっ!「先生、ありがとうございます!話を…話を聞いて貰えただけで、あたしはもう十分です!」
エレナ「最後の最後に困らせるようなこと言って…すみませんでした」
先生「…………」
エレナ「…相手を思いやる心を忘れてはいけないって話ですか?」
先生「あの言葉…あれはあなたに向けて言ったものですが、自分を戒める為の言葉でもあるんです」
エレナ「え?」
先生「僕の父も、エレナさんのお父様と同じで合気道の師範だったんです」
エレナ「…先生のお父さんも…?」
先生「僕が合気道を始めたのも父の影響が大きかったです」
先生「…父と同じ道を進むことで父に認めて貰いたかった…。そんな不純な動機でしたが……」
"じゃあ今の先生を見て、お父さんは絶対に先生を誇りに思っていますね!!" …その言葉を直前で呑み込んでしまったのは……
「認めて貰いたかった」と言った時の先生の横顔がとても寂しそうに見えたからだ……。
先生「エレナさんは以前"自分は好きで合気道をやっているわけじゃない"…そう言っていましたね?」
エレナ「………はい」
先生「あなたの様子を見ていて…思ったことがあります」
先生「エレナさんがこれまで合気道を続けてこれたのは…すぐ側に自分の努力を認めて欲しい人がいるからなんじゃないか…」
先生「…あくまで…僕自身の過去の経験に基づいた考えですが……」
エレナ(……確かに…その通り……)
師範の娘だから他の人より出来ていて当たり前…
そう思われるのが嫌だった。あたしはそれに見合う努力もしてる…。でも誰もその努力には触れてくれない。…1番近くで見ているはずの父親でさえ…。
先生「僕もエレナさんのことを言えた立場の人間ではありませんでした。…自分が一番に認められたい一心で、相手を尊重する気持ちも…相手を理解する気持ちも…何も持ち合わせていなかった」
先生「でもあなたは違う。…あなたは人を思いやる心も勇敢な心も持ち合わせたとても素敵な人です」
先生「"似ている"なんて失礼なことを言ってしまいましたね」
エレナ(…やだ…どうしよう……先生にそんなこと言われたら…あたし…)
先生「色々と厳しいことを言ってしまったと思います。…それでも信じてついてきてくれたこと…嬉しかったです」
エレナ「先生はあたしに、とっても大切なことを教えてくれました!!」
エレナ「あたし…先生がこの道場に来てくれて本当によかったって思ってます…。先生のおかげで大切なものは何か…気付くことができました…」
エレナ「……これから沢山…違う道場で、色々な生徒さんに指導することがあると思うんです。でもあたし達道場の生徒のこと…忘れないでください」
先生「…勿論です」
エレナ「…本当にありがとうございました。…失礼します」
先生「…………」
先生「エレナさん」
エレナ「はい?」
"自分のことを好きだと言ってくれて嬉しかった"
"ありがとう"……最後に先生はそう言ってくれた。
物腰は柔らかいけれど…いつもより低い声で…
"先生"じゃない顔で最後にあたしの気持ちに丁寧に応えてくれた…。それだけで十分満足だ…。
だからあたしは大丈夫…。笑って先生とお別れできる…。
…こうして…あたしの憧れにも似た初恋は終わった……。
ーbonus episodeに続くー