鮎川駅【茨城県】(日立電鉄線。2004年訪問、2005年廃止) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2004年撮影。
 
今回の『駅【アーカイブ】』コーナーは、
茨城県北部、日立市の中央部海岸沿いに広がる住宅地に存在した日立電鉄線の東の終着駅で、2005年の日立電鉄線廃止とともに廃駅となった、
鮎川駅 (あゆかわえき。AYUKAWA Station) です。
 
現役当時の写真のみを掲載します。写真は少なくて下手な写真しかありません。ご了承下さい。
 
 
駅名  
鮎川駅 (駅番号なし) 
 
廃止日  
2005年4月1日 
 
当時の所在地  
茨城県日立市   
 
路線  
日立電鉄:日立電鉄線   
 
隣の駅  
大甕方・常北太田方……桜川駅       
 
訪問・撮影時  
2004年5月  
 
 

駅舎です。線路東側(海側)にありました。
1977年に改築された駅舎が最後まで使用されていました。
小さな駅前広場がありました。
 
駅前は日立電鉄線や常磐線に並行する国道245号沿いに住宅地が形成されています。
直線距離で約300m東は太平洋で、海に近い駅でした。
 
写真は西を望む。
 
 

改札内より駅舎・改札口を望む。
鮎川駅は最後まで有人駅で、自動券売機がありました。
自動改札機はなく、交通系ICカードは最後まで利用できませんでした。
 
改札口とホームは構内踏切で結ばれていました。ホーム側は階段で、バリアフリー非対応でした。
 
 

見づらいですが、駅名標です。
国鉄タイプに準じたデザインでしたが、競技場がある池の川市民運動公園(日立市民公園)まで徒歩20分の距離であったことから(駅の北西側)、上部には野球用具とテニス用具のイラストが描かれていました。このような努力もむなしく廃止されてしまいました…。
 
 

鮎川駅は島式ホーム1面2線でした。駅舎側の右が2番線で、反対側が1番線でした。
2番線の右側(駅舎側)に側線が分岐していた形跡がありました。
写真は終端方(北)を望む。
 
 

こちらも終端方を望む。
ホームには上屋がありました(一部)。上屋下にはベンチとくず入れ、灰皿がありました。
左側(西)には常磐線が並走していますが、駅はありませんでした。そのため、鮎川駅まで日立電鉄線に乗って、JRに乗り換えて日立駅へ……なんて事は不可能でした。
その常磐線は2004年当時、415系が普通列車の主力でした。このすぐ後にE531系が大量投入されて、415系が一気に淘汰されました。
 
 

こちらは大甕方・常北太田方を望む。
駅舎・改札口は常北太田方の左側(東)にありました。
 
常北太田方はこの先、常磐線と離れて海側の住宅地の中を南下していました。JRの常陸多賀駅の約1km東を通り、大甕駅でJR線と接続していました。
 
 

終端方を望む。
ホーム端の先の線路は引上線になっており、車両が留置されていました。
留置車両の部分で左へ分岐する引上線もあったと思われます。
 
 

終端部の北にあった踏切より南(鮎川駅ホーム・常北太田方)を望む。
踏切は線路側が閉鎖されていました。車両がこの踏切を渡る際は係員が車両を誘導していたと思われますが、末期は使用されていない感じでした。
 
 

終端部の北にあった踏切より北(終端方)を望む。
引上線の終端方は草が生い茂っており、廃線前の時点(現役時)で廃線跡のような状態でした。
2線の引上線はここで行き止まりになっていました。
この先、日立駅方面への延伸構想が存在したかどうかは不明です。
 
 
あとがき  
私が鮎川駅で下車(乗車)したのは2002年と2004年の計2度です。2004年は廃止が発表された後のゴールデンウィーク期間に訪問したのですが(廃止から1年以内)、私鉄の存廃はJRと比較して関心が薄いのか、私の訪問時はほかにファンがいませんでした。
  
下車(乗車)時・・・2002年、2004年 
   
廃駅訪問は(飛行機、レンタカー含む)  
東京から・・・当日中に到達可能、日帰り往復可能 
大阪から・・・当日中に到達可能、日帰り往復可能  
 
食料・飲料 (500m以内)  
コンビニ・・・・・・なし (スーパーあり)  
飲食チェーン店・・・なし  
 
廃止は残念ですが、実情を考えると仕方ありません。現役時に訪問できてよかったですが、もっと写真と撮っておけば…。
 
(参考:地理院地図、Google地図、Wikipedia)