第1448回('21) 参宮線の全駅制覇&名松線を少しだけ乗り鉄。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…  
 
2021年8月7日~8月10日、前年に続きコロナ禍ということで、この年もお盆休みは極端な遠出を避けて近畿地方内、主に和歌山県と三重県を目的地として乗り鉄・降り鉄の旅行に出かけました。もちろん新型コロナウイルスの感染対策を徹底いたしました。3日目を除き、『青春18きっぷ』を利用しました。
紀勢本線を中心に未訪問駅を降り鉄していきましたが、途中、参宮線や近鉄山田線にも手を出しました。台風の影響も多少ありましたが、概ね晴天でした。帰宅した後は1週間ほど雨が続いたので、早いうちに出かけておいて良かったですw 
 
今回は最終4日目前半の内容です。
早朝4時台に伊勢市駅を出発し、朝のうちに参宮線の未訪問駅を全て下車して制覇しました。その後は松阪駅へと移動し、名松線へ。スケジュールとダイヤの関係で1駅しか訪問できず、そのため未訪問駅の中で最も松阪駅から遠い伊勢川口駅のみを訪問して松阪へと引き返しました。以後は紀勢本線の未訪問駅を降り鉄していきました。この日は『青春18きっぷ』を使用しました。
  
今回の日程 2021年8月11日  (火)   【前半】  
 
伊勢市445(参宮線)500外城田552(下り普通)601宮川615(上り普通)618田丸642(参宮線→紀勢本線)717松阪732(名松線)803伊勢川口826(上り普通)856松阪924(紀勢本線)928徳和1032(上り普通)1109六軒1202(普通)1220津  
 
【後半へ続く】  
 
この日は出発が早いため3時半に起床し、朝食を済ませてからホテルをチェックアウトして伊勢市駅へ向かいましたが、外は真っ暗でしたw この日は雲一つなく、台風一過の快晴でした。
 
 


人けがほとんどない伊勢市駅では有人改札で『青春18きっぷ』の5回目のスタンプが押され、入場しました。そして4時45分当駅始発の参宮線上り普通・亀山行きに乗車しました。伊勢市駅には車庫が併設されている関係で、ローカル線にしては異例の早い時刻に始発列車が設定されています。4時台は近鉄電車も動いていません。亀山行きの車両はキハ40系に代わってJR東海三重地区非電化区間のヌシになったキハ25形2連で、キハ40系と違いオールロングシートです。外観は313系電車と酷似しています。私は後部車両に乗り込みましたが、貸切状態でした。先頭車両には折りたたみ式自転車を持った男性客ともう1人男性客がいただけでした。
 
 

 
列車は定刻に伊勢市駅を発車し、西へ向けて走ります。まだ暗かったのでまともに車窓風景を眺められず、私はスマホを操作していました。山田上口駅を過ぎて宮川を渡ると少しずつ明るくなってきました。また、宮川駅と田丸駅では少しずつ乗客が増えましたが、いずれも先頭車両で着席していました。列車は農村風景の中を走り、私は5時ちょうどに到着した外城田駅(ときだえき)にて下車しました。下車客は私のみで、乗車客はいませんでした。外城田駅は田園地帯と丘陵地の森との境目にある1面1線の無人駅で、駅舎がなくバリアフリー非対応です。駅前には民家もありませんでした。あまり散策のしようがなかったので、駅と駅前を撮影後はベンチで休憩していましたが、時間が経過するごとに明るくなってきたため、改めて駅の撮影をしました。
 
 

 

 
外城田駅では5時52分発の下り普通・鳥羽行きに乗車。キハ25形2連でした。車内は空いていて、私は先頭車両で着席しました。もう明るいので、道中は車窓風景を眺めて過ごしました。そして次は宮川駅で下車しました。宮川駅はカーブ地点にある2面2線の駅で、北側に古い駅舎が残っているものの、無人駅でした。駅前は旧・小俣町(現・伊勢市)の市街地南端部で、市街地を通り抜けて北の郊外には近鉄山田線の小俣駅があります。駅南側には伊勢神宮斎宮の離宮院跡(離宮院公園)と官舎神社がありますが、時間の関係でホームから眺めただけでした。
 
 

 

 
宮川駅では14分しか滞在時間がなかったため、大急ぎで写真撮影しました。そして、6時15分発の上り普通・多気行きに乗りました。いつものキハ25形ではなく、快速『みえ』で使用されるキハ75形2連を2本つないだ4両編成でした。転換クロスシート主体の快適な車両で、間合い運用でラッシュ時の普通列車にも充当されています。乗り込んだ最後部車両はガラガラで、転換クロスシート窓側席に座りました。道中は水分補給をしながら車窓風景を眺めましたが、息をつく間もなく列車は田丸駅に到着し、私は下車しました。
田丸駅は玉城町の代表駅かつ町内唯一の駅で、北側に1912年築の古い木造駅舎が残っています。こちらも無人駅でした。駅前は玉城町の市街地で、西側の小高い丘には田丸城がありました。また、田丸駅の訪問をもって参宮線の全駅を制覇できました!
 
 

 

 
田丸駅からは名松線に乗るべく松阪へ向かいます。乗車したのは6時42分発の普通・亀山行きで、こちらは残念ながら「いつもの」キハ25形2連でした。私が乗車した後部車両はガラガラでしたが、この日は平日で、私のようにお盆休みの者も多い中で、普段通り通勤している人も見られました。道中は車窓風景を楽しみました。その後、参宮線の起点駅である多気駅では長時間停車して、後部に2両を増結しました。私が乗っていた2両目は乗客が増えてきたため、私は増結時に設置された貫通路を通って、最後部車両の4両目で着席しました。4両目はガラガラでした。その後の道中も車窓風景を眺めて過ごし、松阪駅で下車しました(7時17分着)。
 
 

 
松阪駅では改札を出ずに7時32分発の名松線下り普通・家城行きに乗り継ぎました。名松線の1駅のみを降り鉄するためです。車両は単行のキハ11形300番台を2両つないだ編成で、トイレが付いています。キハ11形300番台は名松線と東海交通事業城北線でしか運用されていません。セミクロスシートで、私は先頭車両のボックスシート進行方向窓側席に座りました。はじめはガラガラでしたが、発車間際には全ボックスシートに最低1人は座り、ロングシートも半分近くが埋まる乗り具合でした。「乗り鉄」などのファンは少なく、地元客が大半を占めていました。
 
 

 

 
道中は5年ぶりとなる名松線の車窓風景を眺めました。途中停車駅は1面1線の小駅ばかりで、乗降はほとんどありませんでした。ちなみに4駅目の一志駅は近鉄大阪線の川合高岡駅に近く、津方面から名松線への乗り継ぎルートになっているようですが、意外にも一志駅から乗ってくる人はほぼいませんでした。夏休みだからと思いますが、普段は多くの高校生が乗車するものと思われ、ゆえにこの列車が2両編成になっているのでしょうね。一志から先は山間部に入り、名松線らしい沿線風景の片鱗を見せ始めます。お菓子の「ベビースターラーメン」が有名な「おやつカンパニー」の工場が近くにある難読駅・井関駅(いせぎえき)を過ぎるとトンネルを抜け、雲出川沿いに広がる盆地の田園風景の中を走ります、伊勢大井駅を過ぎて断崖区間を通過し、再び盆地に入ると8時03分に目的地の伊勢川口駅に到着しました。私はここで下車しました。
 
 

 
伊勢川口駅は津とを結んでいた中勢鉄道(1943年廃止)が接続しており、また名松線も2面2線の交換可能駅と、準主要駅クラスで木造駅舎もありましたが、後に1面1線に縮小され、木造駅舎も解体され、やや広い用地のみがかつての栄華を物語っています。そして準主要駅だったために駅周辺には集落が点在しており、私を除き3名が松阪行き列車を待っていました。
 
 

 
今回の名松線降り鉄はスケジュールや列車本数の関係で伊勢川口駅のみにとどめ、早くも松阪駅へと引き返します。乗車したのは8時26分発の普通・松阪行きでキハ11形300番台の2両編成でした。私は後部車両に乗り込みましたが、7~8人が乗っていた先頭車両とは違い後部車両は誰もおらず貸切状態でした。ボックスシート進行方向窓側席に座り、往路とは反対側の車窓風景を眺めて過ごしました。途中の駅で1人が2両目に乗ってきましたが、それ以上増える事なく終点の松阪駅に到着しました。1両目もさほど乗客が増えていなかったようです。
 
 

 

 
松阪駅で下車後は前日に撮影できなかった南口(正面口)から出場して、駅舎と駅前を撮影しました。その後は駅舎内にある松阪市のショップで土産を購入してから再入場し、9時24分発の紀勢本線下り普通・伊勢市行きに乗車しました。キハ25形2連×2の4両編成で、ラッシュ時輸送を終えて伊勢市駅の車庫へ戻る運用です。4両編成なので車掌が乗務しており、降車駅で車掌にきっぷを見せることを考えて私は降車駅での負担が少なくなる中ほどの2両目に乗り込みました。車内は大半の座席が埋まっていましたが、私は着席し、道中は景色を眺めました。降車駅で確認したら最後部車両もそこそこ乗っていました。この列車は2駅先の多気駅で新宮行きに接続するため、『青春18きっぷ』を利用して新宮方面へ向かう人が多いかもしれません。ちなみに、私が多くの乗客の動向が分からなかったのは、松阪駅と多気駅の間にある徳和駅で下車したからですw 跨線橋が想定より後ろにあったため、結果として最後部車両に乗っていても大丈夫でしたが、まぁ大して移動せずに車掌のところへ行けました(きっぷを提示するため)。徳和駅での下車客は少なかったです。
 
 

 
徳和駅は2面2線の駅で、駅舎がありません。駅前は踏切で交差する旧伊勢街道沿いに住宅地が形成されていますが、少し北へはずれると田園風景が広がっていました。また、徳和駅は前日に下車した近鉄山田線の松ヶ崎駅と同様に昔は近鉄伊勢線との乗換駅で、今は廃線跡を道路転用した「近鉄道路(三重県道756号松阪環状線)」が紀勢本線ホーム上を乗り越しています。但し、陸橋は架け替えられて鉄道時代の遺構は失われていますが…。
 
 

 
徳和駅ではダイヤの関係で滞在時間が長くなったため、ホームのベンチでスマホを操作しながら休憩していました。そして南からやってきた10時32分発の上り普通・亀山行きに乗車。キハ25形2連で、私は後部車両に乗り込みましたが、この列車は伊勢市始発で新宮方面からの接続がないため、車内はガラガラでした。私は今回も車窓風景を眺めて道中を過ごしました。そして次駅の松阪駅では28分の長時間停車をするため、一旦下車して改札口前にある駅弁業者「あら竹」の売店へと向かい、奮発して「モー太郎弁当」(1,500円)を買って1番線の待合室で即食べました。12年ぶりの「モー太郎弁当」でしたが、美味しかったです。蓋を開けると「ふるさと」の電子音が鳴る仕掛けも健在でした。
 
 

 

 
食事後は3番線に停車中の亀山行き列車に戻りましたが、乗客が増えていて大半の席が埋まっていました。私は空席に座り、11時04分に松阪駅を発車後も車窓風景を楽しみました。名松線が分かれ、後に近鉄山田線をアンダークロスして小さな川を渡ると列車は六軒駅に到着し、私は下車しました。六軒駅は2面2線の無人駅で、東側に簡易駅舎があります。駅前は民家が六軒以上あったものの少なく、西側は一面に水田が広がっていました。岐阜県にある名鉄各務原線の六軒駅よりは「六軒」に近い印象でした。また、駅周辺では保線作業が行われていました。
 
 

 

 
六軒駅からは12時00分発の普通・亀山行きに乗りましたが、列車は2分遅れでやって来ました。やはりキハ25形2連でした。車内は乗客が多く、2両ともほぼ満席で立客も結構いました。若者の割合が多かったのですが、この理由はすぐに分かります。私は後部車両のドア脇に陣取り、道中は車窓風景を眺めました。そして雲出川を渡って津市に入ると列車は高茶屋駅に到着し、ここで大勢の若者が下車して、半分少々の座席が埋まる程度まで乗車率が下がりました。若者たちはほぼ全員が駅北東側にある商業施設「イオンモール津南」へ向かっていました。近年、全国各地で見られる現象ですが、大型ショッピングモール近くの駅では若者の乗降が多くなっています。東海地方では名鉄空港線のりんくう常滑駅や樽見鉄道線のモレラ岐阜駅などが該当します。尚、私は前年に高茶屋駅を訪問したため、今回は下車しませんでした。高茶屋駅からは着席して引き続き車窓風景を眺めました。阿漕駅もパスしました。その後はしばし近鉄名古屋線と並走して到着した津駅で下車しました。3分ほどの遅れでした。
 
 

 
津駅では車両とホームを撮影してから下り線ホームへと向かい、引き続き乗り鉄・降り鉄を続けました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)