第1411回('21) 飯田線を乗り鉄。愛知県内駅を降り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2021年1月9日、三連休初日は日帰りで飯田線を乗り鉄・降り鉄する旅行に出かけました。今回が2021年初の乗り鉄でした。
当初は三連休をフルに使って2泊3日の乗り鉄旅行を予定していましたが、新型コロナウイルス感染の爆発的拡大により、既に関東1都3県に緊急事態宣言が出ており、私が住む兵庫県も大阪府、京都府とともに9日にも各知事が政府に緊急事態宣言を出すように要請するという事態になってしまい、この情勢では泊り旅行ができなくなってしまいました。しかし、初日の9日は朝の時点で要請は出ていないという事もあり、今回は日帰りで飯田線を乗り鉄・降り鉄する事にしました。飯田線の乗り降りには『青空フリーパス(2,620円)』を利用しました。
ちなみに、三連休後の1月13日(水)には兵庫県も緊急事態宣言の対象区域になりました。
 
今回は前半の内容です。
まずは新幹線で豊橋駅まで行き、『青空フリーパス』を購入してから飯田線愛知県区間の未訪問駅を降り鉄していきました。
 
今回の日程 2021年1月9日  (土)   【前半】
 
加古川520(JR神戸線)536西明石601(山陽新幹線→東海道新幹線・のぞみ80号)712名古屋738(東海道新幹線・こだま702号)804豊橋834(飯田線)842小坂井916(普通)940江島1006(上り普通)1011三河一宮1030(下り普通)1047新城1128
 
【後半へ続く】
 
この日は4時に起きて、朝食を済ませてから自宅を出発して加古川駅へ。天気は晴れでした。加古川駅では事前に購入していた『加古川→豊橋』の乗車券を自動改札機に通して入場し、JR神戸線の上り一番列車である普通・米原行きに乗車しました(5:20発)。223系4連+8連の12両編成で、私は後方の10両目(8連側)へ。車内は空いていましたが西明石駅でスムーズに下車したくてドア横の補助席を引き出して座りました。三連休の初日ですと旅行客が多いのですが、コロナ禍という事もあり旅行客の姿はまばらでした(ゼロではない)。
道中はまだ夜明け前で暗かったので、スマホを操作して過ごしました。また、途中駅では少しずつ乗客が増え、大半の座席が埋まりました。そして私は5時36分に到着した西明石駅で下車しました。
 
 

 
西明石駅では新幹線乗換改札で事前購入済みの『西明石→豊橋』の特急券を乗車券と一緒に自動改札機に通してから高架にある新幹線ホームへ。車両は既に入線していましたが扉が開いたのは5時45分頃で、待っている間は寒かったです。乗車したのは6時01分発、西明石駅始発東京行きの上り『のぞみ80号』で、JR東海所属のN700a系X編成でした。つい前までN700系が最新型だと思っていましたが、今やN700Sの導入により廃車が発生しているとは、時の流れは早いです…。私が乗り込んだ最後部1号車自由席はガラガラで、発車時点で4人しかいませんでした。余裕で窓側E席をゲットできました。
 
 

 
『のぞみ80号』は定刻の6時01分に西明石駅を発車しました。一年で一番日の出が遅い時期なのでまだまだ暗く、私は車窓風景を眺めずにスマホを操作していました。新神戸駅では1号車に数人が乗り込んで来ましたが、先発列車に流れたのか新大阪駅では乗降ゼロ、京都駅では1人増えただけでした。京都辺りから外が明るくなってきて、車窓風景を眺めました。寒波により今シーズンは滋賀県でも降雪や積雪が見られるそうなので雪景色を期待しましたが、並置は全然雪が見られず、伊吹山の山頂から中腹にかけて積雪している程度で、期待外れでした…。それもそのはず、新幹線は米原~関ヶ原で全く速度を落としておらず、しかもスプリンクラーも稼働していませんでした。
 
 

 
岐阜県に入って関ヶ原を抜けると濃尾平野に入り、左手に相当削られた美濃赤坂の金生山が見えてきましたが、美濃赤坂は9年前に行ったっきりです…。その後は揖斐川と長良川を渡って岐阜羽島駅を通過し、木曽川を渡って愛知県に入りました。しばらくは田園風景の中を走りますが、やがて東海道本線と並走するようになり、清洲城を見てから枇杷島駅を通過すると名鉄名古屋本線をオーバークロスします。その地点には名鉄の西枇杷島駅がありますが、狭すぎて危険だった島式ホーム2面4線から普通の相対式ホーム2面2線になっていました。その後は庄内川を渡って名古屋市内に入ると『のぞみ80号』は定刻に名古屋駅に到着。私は名古屋駅で下車しました。
 
 

 
名古屋駅では少し待って、7時38分当駅始発の『こだま702号』東京行きに乗り継ぎました。今度はJR東海所属のN700A・G編成16連で、今度も最後部1号車自由席の、窓側E席に座りました。乗客は少なく、5人でした。道中は車窓風景を眺めて過ごしました。愛知県も天気が良さそうで何よりです。途中、三河安城駅で数分間停車して『のぞみ』を待避し、目的地の豊橋駅には8時04分に到着しました。私は下車して車両を撮影しようとしましたが、ホームの長さがギリギリで、また後続列車を待避するためなかなか発車せず、時間の関係もあり車両の写真を撮影できませんでした。その後は新幹線ホームを撮影してから改札を出て、まだ写真撮影をしていなかった西口を軽く散策してから駅舎へと戻りました。
 
 

 

 
そしてコンビニで昼食のパンを購入してからこの日に利用する『青空フリーパス』を在来線改札前の自動券売機で買おうとしましたが、普通の券売機では発売しておらず、また『みどりの窓口』には行列ができていたため、新幹線改札前の自動券売機へと戻り、無事に購入できました。しかし、今度は乗車予定の飯田線電車(8時34分発の普通・長山行き)の発車時刻が迫ってきたため、私は飯田線ホームへと急ぎ、何とか乗り遅れずに済みました(発車30秒前に乗れましたw)。長山行き電車はセミクロスシートの313系3000番台2連で、飯田線で最も多く運用されている車両ですが、私の中では「はずれ」ですww ちなみに「当たり」は313系の転換クロスシート車1700番台と、転換クロスシート車の213系です。乗車列車の車内はガラガラで、私は後部車両のボックスシートを独占できました。道中は水分補給をしながら並行する東海道本線やすれ違う名鉄電車を眺めたりしていました。そして平井信号場で線路を共有している名鉄名古屋本線と分かれると程なくして到着した小坂井駅で私は下車しました。ワンマン運転だったので、下車時は運転士に『青空フリーパス』を提示しました。
小坂井駅は戦後まで名鉄小坂井支線が2番線の西側に乗り入れていましたが、跡地は大半が空地になっていて往時の面影が残っていました。また、駅舎は待合室と兼用の簡素な建物でした。そして駅前は住宅地でしたが乗降客は少なく、近くにある名鉄の伊奈駅(豊橋へは毎時2本)より利便性が高い事を考えると(小坂井駅から豊橋へは毎時3~4本)、マイカーに流れているのでしょうね…。
 
 

 

 
小坂井駅では9時16分発の普通・本長篠行きに乗車。「はずれ」の313系3000番台2連で、乗り込んだ先頭車両はほぼ満席でしたが、偶然にも扉横のロングシート2人分が空いていたため着席しました。道中は車窓風景を眺めつつスマホを操作していましたが、途中の豊川駅で多くの人が下車したため、私は空いたボックス席へ移りました。その後は車窓風景に専念しました。少しずつローカル度が増していきます。そして私は豊川駅から数えて3駅目の江島駅で下車しました。江島駅は河岸段丘の斜面にある1面1線の無人駅で、崖下には豊川が流れていました。また、ホームには猫がいましたが、写真を撮ろうとしたら逃げてしまいましたww
 
 

 
江島駅からは10時06分発の上り普通列車・豊橋行きに乗って少し戻ります。またも「ハズレ」の313系3000番台2連でした。先頭車両のボックスシートに空きがあったので窓側席に着席しました。半分の席が埋まる程度の乗車率でした。道中は車窓風景を眺めて過ごし、今度は三河一宮駅で下車しました。三河国一宮である砥鹿神社(とがじんじゃ)を模した立派な駅舎を有していますが、無人駅でした。駅前には住宅地が広がっていました。あと、駅の目の前にある喫茶店「大きな銀杏の木」にはひっきりなしに車が出入りしていましたが、有名店なのでしょうか?
 
 

 

 

 
三河一宮駅では10時30分発の下り普通・新城行きに乗車して再び北へ向かいます。車両は213系5000番台2連で、ようやく「当たり」が来ましたw 今回、飯田線を乗り鉄したのは、315系投入により211系や311系とともに置換対象に指名されている213系5000番台への乗車も目的の一つでした。実は213系5000番台に乗車するのは今回が2回目で、写真撮影するようになってから乗車したのは今回が初めてでした。初めて乗ったのはデビューして間もない1991年で、関西本線の名古屋~亀山間でした。しかし、それ以降は乗車機会に恵まれず、関西本線を乗り鉄した際もなぜか間合運用のキハ75形に当たってしまったり、213系充当列車に乗り遅れて「はずれ」の313系3000番台に乗る羽目になったり、名鉄豊川線の乗り鉄絡みで何度か豊川~豊橋間を利用した際も必ず313系3000番台で、次第に213系5000番台に乗りたい思いが強くなりました。今回は運用を調べていたので予定通りではあるのですが、30年ぶりに乗車できて嬉しかったですww 車内は扉間がオール転換クロスシートで、車端部がロングシート、クロスシート側の扉脇に補助席が設置されるなど1986年に名鉄で導入された5700系・5300系の影響を受けたと思われるアコモデーションです。また、飯田線転属に際して車いす対応トイレがTc車の車端部に設置されました。
 
 

 

 
車内は空いていて、私は後部車両の転換クロスシート窓側席に座りました。やはり乗り鉄はボックス席より転換クロスシートの方が快適です。但し、国鉄末期~民営化後初期の車両に共通している欠点は側窓のカーテンを中央部に掛けられない事でしょうか。まぁ、私は遠方で乗り鉄する際、少々眩しくても車窓風景を眺めるためにカーテンは下ろしませんがw 道中はカーテンを下ろさずに車窓風景を眺めていましたが、下車する予定のなかった途中の野田城駅は古い木造駅舎が残っており、途中下車しようか迷ったのですが、予定通りパスして終点の新城駅まで乗り通しました。しかし、新城駅はバリアフリー化工事中で跨線橋が撤去されていたり、駅前広場も工事中で、「降り鉄」にとっては工事中の駅が一番の「ハズレ」です…。工事終了後にまたリベンジ訪問…となるのですが、リベンジするかどうかは分かりません。これだったら野田城駅で途中下車しておけば…と後悔しても後の祭りです。もしリベンジ訪問時に野田城駅で下車してみると、古い木造駅舎がry)……が最悪のパターンです。野田城駅は早く訪問したいですが、こちらも行けずじまいになるかもしれません…。
 
 

 

 
この後はさらに山奥へと進み、秘境駅を目指しました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
 
 
(参考:Wikipedia)