第1379回('20) 紀勢本線の三重県東紀州地区の駅を中心に降り鉄 (2) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。


 
前回の続き…
 
2020年8月8日~11日、お盆休みは3泊4日の日程で紀伊半島を一周する乗り鉄を敢行し、主に紀勢本線の駅を降り鉄(途中下車)していきました。
本来であれば東日本方面を乗り鉄したかったのですが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京を目的とした、あるいは東京を経由する旅行は難しく、また北陸や東北は悪天候の予報が出ていたので、東日本は諦めました。一方、西へ目を向けても中国地方西部や九州北部は悪天候、九州においては前月の豪雨で鉄路が寸断された箇所が発生して満足に回れる状況でなく、西方面も諦めました。また、東海地方の愛知県は2週間前に行っているので連続で行く気はしませんでした…。
となれば、地元の近畿地方を回るか、自粛するかですが、どうしても自粛は我慢できなくて、感染対策を施した上での乗り鉄を敢行する事にしました。行先は、比較的天気の良さそうな紀伊半島に絞り、4日間かけて紀勢本線を中心に降り鉄していく事にしました。行先は旅行開始の前々日(8月6日)に決定しました。いつもは何か月も前に決めるので、今回は異例と言えます。
今回は鈍行中心で行きつ戻りつの行程になるので、久しぶりに『青春18きっぷ』(5回分12,050円)を使用しました。また、「GoToトラベルキャンペーン」の恩恵を受けて3泊とも格安で宿泊でき(3泊合わせて10,000円少々)、しかも夏休みの南紀はビジネスホテルですら満室が続きますがコロナ禍の影響で急な予約でもOKでした。
そして、新幹線を一切使わなかったお盆休みの乗り鉄は学生時代の2000年以来、実に20年ぶりとなりますw 若い頃を思い出しましたww
 
今回は3日目(8月10日)、「山の日」後半の内容です。
午後も紀勢本線のJR東海エリア内の小駅を中心に降り鉄していきました。そして熊野市駅近くのホテルで宿泊しました。
普通列車の本数が少なく、折り返し乗車を繰り返して訪問駅数を稼ぎました。
 
今回の日程 2020年8月10日  (月・祝)   【後半】
 
新鹿1232(紀勢本線)1239大泊1403(上り普通)1447相賀1521(下り普通)1602九鬼1643(上り普通)1649大曽根浦1717(下り普通)1808熊野市
 
【宿泊】
 
新鹿駅で列車待ちの間はコロナ禍でも客に感染対策を徹底させる形で開設されていた新鹿海水浴場まで往復しました。そして新鹿駅からは12時32分発の紀勢本線下り普通・新宮行きに乗車しました。313系電車の気動車版とも言えるキハ25形2連で、暖地向けオールロングシート車の1500番台・1600番台でした。現在、多気~新宮で運用される全普通列車がこのキハ25形1500番台・1600番台で統一されています。クロスシートに乗りたい人は速くて快適な特急『(ワイドビュー) 南紀』をご利用下さい、と言ったところでしょうが、いかんせん『南紀』は本数が少なすぎますね。
乗車した新宮行き列車の車内は比較的空いていて、私は先頭車両で着席しました。道中はトンネルが多いのですが、明かり区間では車窓風景眺めて、今度は2駅目の大泊駅で下車しました。構内は広かったのですが島式ホームの反対側は線路が途切れていて棒線化されていました。昭和中期の雰囲気が漂う簡素でありながら味のある駅舎で、右側に汲み取り式の便所がくっついていました。
 
 

 

 
次の列車まで時間があるので、近くにある大泊海水浴場に行ってみました。こちらは海水浴場が開設されていないようで、十数人がいるのみでした。新鹿も大泊も同じ三重県熊野市ですが、自治会など運営主体によって開設するか否かの判断はまちまちのようですね。しかし人が少ないため静かで、波音がよく聞こえました。私は疲れてきた事もあり、岩場に座って10分ほどボーっと海を眺めていました。空を見るとちょっと雲が多くなってきて、夕立にならないか不安になりましたが…。
 
 

 
大泊海水浴場を後にして大泊駅へと戻り、14時03分発の上り普通・紀伊長島行きに乗車しました。キハ25形2連で、2両とも1/3ほどの着席率でした。私は2両目で着席しましたが、この列車は紀伊長島止まりで、終点で多気・名古屋方面列車との接続もないので観光客や「乗り鉄」風の人はほとんどおらず、地元客の割合が高かったです。道中はトンネル区間が続くもののトンネル内ではスマホが圏外になってしまうので、外の明かり区間では車窓風景を眺めつつ、トンネル内では隧道側面を見ていましたww 熊野市~尾鷲は紀勢本線の中でも最後に開業した区間で、1956年から部分開業を重ねながら少しずつ延伸され、1959年に全通しました。比較的新しい事もありトンネル中心の直線的な線形が目立ちますが、駅部を除き全体的に海から遠い場所を通っているのが特徴です。なので車窓風景的にはややつまらないかもしれません…。このトンネル区間は大曽根浦駅付近まで続き、その先は火力発電所などを見て海岸を進み、市街地に入ると尾鷲駅に到着しました。ここで過半数の乗客が下車しましたが、乗車する客は少なく車内はガラガラになりました。私は尾鷲駅で下車せずそのまま乗り続けました。尾鷲駅を発車後は峠を越えて山間部を走り、平地に出ると相賀駅に到着しました。私は数人の客とともにここで下車しました。先ほどより雨を心配していたのですがそれは杞憂に終わり、相賀はカンカン照りで暑かったです。
 
 

 
相賀駅は古い木造駅舎が残っていて、駅前は旧・海山町(現・紀北町海山地区)の中心市街地が広がっていました。駅前には送迎(迎え)の車が少しずつ増えてきました。また、600mほど歩けば汽水湖で渡利牡蛎(渡利かき)の産地でチヌ釣りの名所でもある白石湖や海が見られるのですが、次の列車の発車時刻が迫ってきており間に合わないので、白石湖への訪問は諦めました…。
 
 

  
相賀駅からは尾鷲・新宮方面へ戻ります。15時21分発の下り普通・新宮行き(キハ25形2連)に乗車しましたが、私と入れ替わりに数人の帰省客(?)が下車しました。おそらく駅前で待っているそれぞれの迎えの車に乗って駅を後にするのでしょう。一方、新宮行きの車内はガラガラで、私は先頭車両で着席して、車窓風景を眺めました。そして数分で列車は尾鷲駅に到着し、数少ない乗客の大半が下車しました。また、この列車は尾鷲駅で特急『(ワイドビュー)南紀5号』を待避するなどの理由で尾鷲駅で22分の長時間停車をするので、私も車外へ出て、特急『(ワイドビュー)南紀5号』を撮影しました。そして途中下車が自由な『青春18きっぷ』のメリットを利用して、駅の外にも出て駅舎と駅前を撮影しました。駅前では尾鷲市のマンホール蓋も撮影しました。
 
 

 

 

 
その後は車内へ戻り、引き続き普通・新宮行きで先へ進みます。私がいない間に乗客が少し増えていましたが、それでも尾鷲到着時点とさほど変わらずガラガラでした。尾鷲駅を発車後は左手に海も見て走り、大曽根浦駅を過ぎてトンネル区間を進むと列車は16時02分に九鬼駅に到着し、私はここで下車しました。下車客は私だけでした。新鹿駅や大泊駅とよく似たデザインの駅舎で、駅前は閑散としていました。列車と接続する路線バスは私が駅舎内を撮影している頃に到着し、乗降ゼロで発車して行きました。
また、次の列車が来るまでの間、駅前を散策しました。九鬼はリアス式海岸の穏やかな入り江に位置する漁村で、集落の中心は直線距離で約1km離れた入り江の左側にあります。時間的にそこまでは行けないので、近くをぐるっと回って駅へと戻りました。
 
 

 

 

 
九鬼駅では16時43分発の上り普通・亀山行き(キハ25形2連)に乗りました。2両とも3割ほどの座席が埋まっていて、私は先頭車両で着席しました。道中はトンネル区間でスマホに電波が届かないので既にこの日2度見た景色をもう一度眺めて、今度は1駅目の大曽根浦駅で下車しました。私の他に親子連れが下車して、送迎の車に乗って去って行きました。駅は小規模ですが、駅から火力発電所の煙突や尾鷲市街を遠望できるのであまりローカルな感じはしませんでした。そしてこの駅には駅舎がなかった事に驚きました。かつてはあったそうですが、撤去されたそうです。今後、駅舎が残っている小駅では駅舎撤去の流れが進行する恐れがあり、古い駅舎を訪問・撮影するなら今のうちです。
駅を撮影後は軽く駅前散策をしました。集落に張り巡らされた漁村特有の細い路地を抜けると漁港にたどり着きました。夕方という事もあり漁港はひっそりとしていましたが、防波堤には複数の釣り人がいました。
 
 

 

  
その後は大曽根浦駅へと戻り、17時17分発の下り普通・新宮行き(キハ25形2連)に乗車しました。この列車に乗って大阪方面へ向かってもその日のうちに大阪の手前の日根野までしか行けないからなのか車内は閑散としていて、私は誰も乗客のいない先頭車両で着席しました。今回の乗り鉄で自分の乗車車両が貸切状態になったのは今回が初めてですが、新型コロナウイルスの影響で総じて紀勢本線普通列車の乗車率は低い印象でした。トンネルが多い区間なので今回も明かり区間の車窓風景を眺めて道中を過ごしました。途中駅で少しずつ乗客が増えましたが、先頭車両は3人がやっとでした…。そして列車は定刻の18時08分に熊野市駅に到着し、私はここで下車してこの日の乗り鉄・降り鉄を終えました。下車後は改札を出て駅舎と駅前を撮影しました。
 
 

 

   
この日は熊野市駅近くのホテルで宿泊するのですが、その前に夕食を…という事で、徒歩で店へ向かう途中、地元のオバチャンに声をかけられ、一発でよそ者だと見抜かれましたw このオバチャンは50年以上熊野市駅近くに住んでいるらしく、顔を見ただけで地元の人なのか、それともよそ者なのか、分かるそうです。しばし話をして、最後にお互いコロナに気を付けるように声をかけて別れました。その後は獅子の姿に見える獅子岩付近の熊野灘の海岸に立ち寄りましたが、暗くなりかけていて海岸にはほとんど人がいませんでした。少しだけ海を眺めてから私は近くにある「すき家」で夕食を済ませました。夕食時でしたが客は少なかったです。
 
 

 

  
食事を終えた後は店を出て、コンビニで買い出しをしてからホテルにチェックインしました。そして部屋へ入ってからすぐに入浴を済ませて、テレビを観てくつろいでいましたが、翌日は出発が早い事もあり、22時頃には就寝しました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
 
 
(参考:観光三重、Wikipedia)