第1262回('19) 武蔵野線西部区間を乗り鉄、降り鉄してから浦和駅、大宮駅、上野駅の | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…

2018年2月9日~11日、三連休が取れたので2泊3日の日程で東京へ。
一向に進まない都内全駅訪問ですが、少しずつ下車駅を増やしていきました。
しかし南岸低気圧などの影響で9日の土曜日と11日の月曜日は雪に見舞われて、難儀しました…。

今回は2日目後半の内容です。
府中本町駅から武蔵野線の駅を途中下車していきました。そして南浦和駅からは北へ向かい、浦和駅と大宮駅の駅巡りをしました。
大宮駅からは東北新幹線で上野駅へと移動し、上野駅の駅巡りをして浅草橋のホテルへと戻りました。
今回の日程 2019年2月10日(日) 【後半】

府中本町940(武蔵野線・951E)942北府中958(979E)1004新小平1018(1081E)1023新秋津1103(1017E)1107東所沢1127(1175E)1130新座1150(1155E)1154北朝霞1214(1169E)1224南浦和1306(京浜東北線北行・1142B快速)1309浦和1344(湘南新宿ライン・4826Y特別快速)1350大宮1523(東北新幹線  やまびこ・つばさ142号)1542上野1720(山手線外回り・1621G)1724秋葉原1742(中央総武緩行線・1716C)1744浅草橋

【宿泊】
府中本町駅からは武蔵野線の各停・東京行きに乗車しました。メルヘン顔の205系8連で、空席はありましたが確実に車窓風景を眺めるために最後部車両ドア脇に陣取りました。道中は車窓風景を眺めようとしましたが、発車後すぐにトンネルに入りましたw そしてトンネルを抜けるとほどなくして北府中駅に到着し、下車しました。北府中駅は2011年に下河原線の廃線跡を探訪した際に下車した事がありますが、当時は行けなかった西口へも行けるようになっていました。当時の西口は西側に広がる東芝府中事業所の従業員専用でしたが、近年になって西口南側に歩道が整備され、一般客も利用できるようになりました。



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北府中駅では後続の各停・東所沢行きに乗車。205系8連で、東所沢止まりなので車内はガラガラでした。私は最後部車両に陣取り、地上区間では車窓風景を眺めて、トンネル区間ではスマホを操作していました。前年に訪問済みの西国分寺駅はパスして、その次の新小平駅で下車しました。新小平駅は掘割にあり、1991年10月の台風21号接近による豪雨で駅が水没したニュース映像を今でも覚えています。この日は晴れで、そのような心配はしなくても良かったです。



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新小平駅からは各停・南船橋行きに乗りました。209系500番台8連で、ほぼ満席でしたが疲れたので最後部車両の空席に座り、水分補給をしつつスマホを操作していました。そして私は次駅の新秋津駅で下車しました。新秋津駅は2013年に西武池袋線との連絡線を調査するために下車しましたが、駅の観察はしておらず、また6年前の訪問だったため、今回は改めて訪問した次第です。駅自体は駅ナンバリングなどが追加された駅名標以外は大して変化がありませんでした。また、お昼時になってきたので駅前の「松乃家」で早目の昼食を済ませました。好物のカキフライ定食を食べましたw



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昼食後は新秋津駅へと戻り、11時03分発の各停・南船橋行きに乗車しました。中央総武緩行線から転属してきたE231系0番台8連で、やや混雑していたので最後部車両ドア脇へ。発車後すぐに埼玉県に入りました。道中は畑も見られるローカルな車窓風景を眺めて、隣駅の東所沢駅で下車しました。西船橋方の北側に車庫があり、当駅を始発、終着とする列車も設定されている主要駅ですが、駅前は思ったほど栄えておらず、住宅街の中の駅、といった印象でした。



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東所沢駅では11時27分発の各停・南船橋行きに乗車。メルヘン顔の205系8連で、軽く混雑していて最後部車両ドア脇に陣取りました。道中は農村風景も見られました。一旦東京都(清瀬市)に入り関越自動車道をオーバーパスし、そして左手に新座貨物ターミナル駅が見えてくると埼玉県に戻り新座駅に到着。下車しました。北口駅前は開発途上でしたが、南口駅前はビルや集合住宅が建ち並んでいました。しかし駅から少し離れると郊外の住宅地となりますが…。



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新座駅からは2本後の各停・南船橋行きに乗りました。205系8連で、最後部車両は混雑していましたが何とかドア脇を確保し、車窓風景を眺めて次駅の北朝霞駅で下車しました。東武東上線との乗換駅ですが、JRが北朝霞駅で、東武が朝霞台駅と、駅名が一致していません。駅前は人が多かったですが、JRと東武の乗換客の割合が高かったように思えました。



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北朝霞駅では2本後の各停・南船橋行きに乗車しました。205系8連で、最後部車両はかなり混雑していました。私は最後に乗り込みドア部分の場所を確保し、何とか車窓風景を眺める事ができました。2駅目の武蔵浦和駅では大量下車があり、ドア脇に場所を移して車窓風景を眺め続けました。そして私は南浦和駅で下車しました。下車後は駅の外へ出て見ました。駅のすぐ近くにはビルが建ち並んでいましたが、少し離れると郊外の住宅地でした。



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南浦和駅では京浜東北線ホームへ。南行の1番線ではホームドア設置工事が行われていて、約2週間後の2月23日に使用が開始されました。私は北行の4番線へと移動し、大宮行きに乗車。E233系1000番台10連で、最後部車両はやや混雑していました。私は何とかドア脇を確保して車窓風景を眺め、次の浦和駅で下車しました。埼玉県の代表駅である浦和駅で下車するのは意外にも今回が初めてでした。西口、東口とも駅前に大型商業施設があり、乗降客や駅前の人通りも多かったですが、大宮駅前よりは小規模な印象でした。



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浦和駅再入場後は湘南新宿ラインホームへと上がり、13時44分発の特別快速・高崎行きに乗車。前からE233系5連+E231系10連の堂々たる15両編成で、私は最後部1号車(E231系)に乗りました。ほぼ全席が埋まっていたので私はドア脇に陣取り、道中は並走する宇都宮線・高崎線の旅客線や京浜東北線、さいたま新都心駅から先の広い構内などを眺めて、次の停車駅である大宮駅で下車しました。大宮駅は埼玉県随一のターミナル駅で、構内も広く乗降客も多かったです。私は在来線の各ホームを観察してから一旦改札を出て、東口駅前を散策してから再入場し、地下にある埼京線ホームを観察してから出場して西口駅前を軽く散策しました。駅も駅前もとにかく人が多かったです…。



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駅前を散策後は自動券売機で上野駅までの新幹線特定特急券(自由席)を購入して、特急券と『休日おでかけパス』(2,670円)を自動改札機に投入して新幹線改札内へと入りました。そして新幹線ホームを観察してから15時23分発の『やまびこ・つばさ142号』に乗車しました。前10両の『やまびこ142号』は数を減らしているE2系で東北新幹線の仙台始発、後ろ7両の『つばさ142号』はE3系で山形新幹線の山形始発で、福島駅で両列車を併結して東北新幹線を南下してきました。私は先頭の『やまびこ142号』の1号車自由席に乗り込みました。大半の座席が埋まっていましたが、左側の3列席が全て空いている箇所があったので窓側A席に座り、高架区間から並走する埼京線や東京スカイツリーなどを眺めました。そして日暮里付近で地下区間になるとほどなくして上野駅に到着し、下車しました。東北新幹線の上野駅を利用する機会は少なく、今回で3回目でした。かなり地下深い場所にホームがあり、地上にある乗換改札まで時間がかかりました。また、駅の副本線には全廃間近の『Max』ことE4系が留置されていました。



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乗換改札を通過後、今度は在来線の高架ホームを観察しました。地平ホームは前年に訪ねていたので今回はパスです。ホーム観察後はパンダ像のある入谷改札から外へ出て、東側の各出口を回ってパンダ橋を渡り、西側の公園口へと回りました。その後は公園口を撮影して、公園改札から再入場しました。



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上野駅からは山手線外回り電車に乗りました。E235系11連で、ほぼ満席でしたが疲れていたので空席にありつき、もう暗くなり始めていたので休憩がてらスマホを操作していました。そして私は2駅目の秋葉原駅で下車しました。



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秋葉原駅下車後は、腹が減ったので構内6番線近くにあるそば屋「田毎」へ入ろうとしましたが、店の前に「本日 ステーキカレー 1100円→690円」の貼り紙を見て、蕎麦でなくカレーを食べる事にしましたw 食券を買ってから食べましたが、牛ステーキの量が多くボリュームたっぷりで、味も690円という価格とは思えないほど美味しかったです。また機会があれば食べたいですね。



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食事後はこの日のラストランナーである中央・総武緩行線の各停・津田沼行きに乗車。山手線から転属が続いているE231系500番台に押し出される形で数を減らしているE231系0番台10連で、ある程度混雑していました。私はドア部分に立席となり、道中はスマホを操作して混雑に耐え、次の浅草橋駅で下車しました。



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浅草橋駅で下車後はコンビニで買い出しをしてから前日より連泊のホテルへと戻り、入浴とブログ編集を済ませてからはテレビを観て過ごし、疲れていたので21時過ぎに寝てしまいました。


(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)