呉海軍工廠の専用線跡(プチ廃線跡探訪) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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今回のプチ廃線跡探訪コーナーは、
呉線の呉駅より南東方面へ分岐していた、
呉海軍工廠の専用線跡(旧海軍工廠の専用線跡)の一部について超簡単に紹介いたします。

  

広島県呉市は言わずと知れた軍港都市で、海軍の拠点として発展してきました。市内には海軍工廠があり、呉線と結ぶ専用線が存在していましたが、終戦とともに廃止されたと推定されますが(正式な資料を発見できず)、もしかしたら戦後も営業していた可能性はあります。現在も一部の遺構がその姿をとどめています。

  
  

ここでは現地を訪問して確認・撮影できた廃線跡を紹介します。尚、末端部は未訪問です。ご了承下さい。

  
  

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呉駅にて。国鉄時代は写真右側の場所に貨物ヤードが存在していましたが、
現在は再開発により商業施設や高層住宅に転用されています。

  
  

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呉駅東側にある歩道橋より撮影。
概ね呉線と右側の高層住宅の間を専用線が通っていました。現在は歩道になっていて歩けますが遺構はありません。

  
  

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高層住宅との間を抜けるとアンダーパスする道路を跨ぎます。
この橋梁は並走する呉線の橋梁と同型で現役時代のものと思われます。

   
   

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その後は呉線と並行して堺川を渡りますが、橋梁・枕木が残存しています。専用線跡最大の遺構と言えます。
堺川を渡った先には鉄扉とレンガ塀があり、海上自衛隊の用地へと進みます。
戦前は海軍用地だったはずで、専用線を使って貨物列車が発着していたかもしれません。

  
  

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呉線の反対側には橋脚と橋台がありますが、専用線跡なのか呉線複線化の遺産なのか、不明です。

  
  

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堺川を渡ってしばらくすると専用線跡は右へカーブして呉線と分かれます。
専用線跡は駐車場に転用されています。
写真は呉駅方を望む。

  
  

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上写真と同一地点より旧海軍工廠方を望む。緩やかにカーブする専用線跡の線形が分かります。

  
  

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その後の廃線跡は国道487号線の海上自衛隊呉集会所前交差点の場所を斜めに横切り、
国道の東側(写真左側)をさらに南へ走って海軍工廠へ向かっていたと思われます。
廃線跡は国道の拡幅により面影を留めませんが、写真右側の自衛隊用地と国道の歩道との間には境界標が写っています。
この先は廃線跡の遺構を確認できない事もあり(専用線跡は途中から自衛隊用地へ入っていくので)、
また時間の都合もあり、この少し先で廃線跡探訪を中止しました。何卒ご容赦願いますm(_)m

  
  

(おしまい)  

  

  
注意点  

専用線跡は呉駅付近を中心に往時の面影が見られますが、先へ進むと遺構が見られなくなります。
また末端部などの一部廃線跡は海上自衛隊の用地内なので入る事はできません。
大和ミュージアムへ行かれる際は呉海軍工廠の専用線跡にも寄り道してみて下さい!

   

(2017年撮影。参考:地理院地図、Wikipedia)