第1116回('17) 鶴岡から酒田経由羽越本線~信越本線のルートで長岡へ | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2017年8月11日~14日、この年のお盆休みは主に『青春18きっぷ』を使用して、
3泊4日の日程で東日本と北陸を中心に乗り鉄旅行しました。
最近マイブームになっている途中下車やマンホール蓋写真集めの他、新線乗りつぶしや廃線跡探訪も楽しみました。

今回は3日目後半の内容です。
山形県庄内地方の鶴岡から一旦酒田へ戻り、羽越本線と信越本線の上り普通列車を乗り継いで新潟県中越地方の中心都市である長岡まで移動し、宿泊しました。
今回の日程 2017年8月13日(日) 【後半】

鶴岡1206(羽越本線・825D)1242酒田1249(羽越本線・826D)1500村上1515(940M)1549新発田1555(130D)1623新津1659(信越本線・448M)1726東三条1735(徒歩・弥彦線の旧線跡)1759東三条1809(信越本線・450M)1836長岡

【宿泊】
この日は新潟県の長岡で宿泊するのですが、鶴岡から一旦酒田へ戻ります。と言うのも、鶴岡を13時25分に発車する村上行き826Dは酒田始発で、鶴岡からだと着席すらできない心配があったので、始発駅の酒田から乗る事にしたのですが、酒田へ戻っても思い通りの席にありつけるかどうか分かりませんでしたが…。まぁ、鶴岡から乗るよりはマシでしょう。
鶴岡駅から乗車したのは羽越本線下り・酒田行き825Dで、キハ40系の4両編成でした。前から旧新潟色のキハ47形、首都圏色のキハ47形、新新潟色のキハ47形、そしてキハ40系と類似するキハ66系が当初まとっていた急行色のキハ48形、の順で、私は最後部のキハ48形に乗車しました。車内はガラガラで、私はクロスシートの進行方向窓側席に着席しました。



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道中は先程『いなほ8号』でも眺めた車窓風景を見て終点の酒田駅まで乗り通しました。酒田駅では切り欠き式ホームの0番線に入線しました。



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酒田駅では改札を出ずに跨線橋を渡って3番線へと急ぎ、7分後に発車する村上行き826Dに乗車しました。キハ47形の2連で、前から旧新潟色、新新潟色の順でした。狙いは海側(進行方向右側)のクロスシートの進行方向窓側席で、笹川流れなど日本海の絶景を眺めながらの旅を期待して海側席の空席を探しましたが、実際はそう甘くなく、海側のクロスシートは全て埋まっていました…。対する山側はほとんど空いていたのですが…。海側席は日が当たる時間帯になるのですが、みんな考える事は一緒ですねww 仕方なく、私は新新潟色の2両目、最後部のロングシートに着席して、海側席が空く機会を窺う事にしました。また、私以外にも海側席を狙って山側クロスシートに座っている男性客がいました。余談ですが、826Dには女性車掌が乗務していて、今まで私が乗り鉄した中で一番の美人でしたww



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826Dは定刻に酒田を発車し、私はトイレに行きました。そして自席へ戻ると、山側席に座っていたはずの男性客が海側席に座っていて、その海側席に座っていた親子が山側席へ移動していました。どうやら日差しが眩しくて山側席へ移動し、空いた海側席に男性客が移動したと思われ、私はトイレへ行ってしまい「しまった」と思いました…orz まぁ仕方ないので私はそのままロングシートから車窓風景を眺めていましたが、鶴岡駅で海側席に座っていた地元客が下車したので、すかさず私はその空席に着席しました。その鶴岡駅では十数人が乗車しましたが、私の予想よりは少なかったです。でも、鶴岡から乗車していれば間違いなくクロスシート海側席に座れなかったでしょうね…。まぁ、これで日本海を眺めながらの旅ができるのでホッとしました。

鶴岡駅を発車後は日本海へ向かって走り、山越えをして三瀬駅を過ぎると、いよいよ日本海沿いを走るようになり、私は勿論、他の客も一斉に日本海を眺めていました。列車はこれから村上駅の手前までひたすら日本海沿いを走るので私は必死に車窓風景を眺めました。



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途中、あつみ温泉駅で数分間停車し、私は車外へ出て車両を撮影しましたが、対向列車に遅れが出て、発車が4分遅れてしまいました。この後は村上駅で途中下車する予定で、15分しか時間がなかったので気が気でなかったのですが、ダイヤに余裕を持たせていたためか、最終的には遅れは回復しました。

826Dはなおも日本海沿いを走り、鼠ヶ関~府屋で山形県から新潟県へと入りました。晴れていたのが曇り空へと変わってきましたが、雨は降りそうにありませんでした。新潟県に入ると笹川流れに沿って走りましたが、沿線の海水浴場には多くの人がいました。



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そして間島駅を過ぎると日本海と別れ、三面川を渡って市街地へ入ると定刻の15時00分に終点の村上駅に到着しました。



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まだ一度も駅の外へ出た事のない村上駅でしたが、今回初めて改札外へ出て駅舎と駅前を撮影できました。駅舎はリニューアルされているものの、駅舎・駅前とも昭和の雰囲気を色濃く残している感じがしました。



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その後は改札内へと戻り、15時15分当駅始発の新潟行き940Mに乗車しました。新型のE129系4連で、座席が埋まったので私はかぶりつきの前面展望をする事にしました。940Mは定刻に村上を発車し、越後平野の田園地帯を南下しますが、途中で大雨が降ってきて遠方を見渡せなくなりました。雨は降ったり止んだりを繰り返して最終的には止みました。そして列車は定刻の15時49分に新発田に到着し、私は下車しました。



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新発田駅では6分の接続で羽越本線上り・新津行き130Dに乗り継ぎました。全行程で直流電化区間を走るのですが、車両はキハ110系2連で、いわば架線下DCです。車内へ入るとクロスシートの全区画とロングシートの大半に人がいて、私は最後部ドア脇に陣取りました。

道中、途中駅での乗降客は少なく、大半の乗客が新津まで乗り通しました。また、車窓風景も田園風景主体でこれといった見所はありませんでした。そして28分の乗車で終点の新津駅に到着しました。



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鉄道の町として栄えた新津でも改札外へ出て橋上駅舎と駅前を撮影しました。マンホールの蓋にはSLの絵柄が描かれていました。



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その後は改札内へと戻り、16時59分発の信越本線上り・長岡行き448Mに乗車しました。E129系の4連で、空席がありましたが私は前面展望をしました。加茂駅手前では蒲原鉄道線の廃線跡が見られました。私は終点の長岡駅まで乗り通さずに途中の東三条駅で下車しました。東三条ではかつて弥彦線が信越本線ホームの南側にあった4番線・5番線に発着していたのですが、1997年に北側の0番線(2番線の場合もあり)に発着するように改められ、信越本線をアンダークロスしていた旧線は廃止となりました。今回はその廃線跡を探訪すべく、当駅で下車しました。



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東三条駅では、旧4番線・5番線ホーム跡にある南口から外へ出るのですが無人で、『18きっぷ』で改札を出たい私はインターホンで駅員を呼び出し、遠隔操作で扉が開いて駅の外へ出ました。その後は旧線跡を探訪しましたが、東三条駅構内と新旧線路の合流部を除くほぼ全ての区間が道路転用されていました。中でも信越本線をアンダークロスする箇所は、信越本線側に古い橋台が見られました。



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十数分で探訪を終えて、東三条駅の正面口である北口から再入場しました。尚、1985年に廃止された東三条~越後長沢の廃線跡は今回探訪できませんでした。

東三条駅からは信越本線上りの長岡行き450Mに乗車しました。E129系2連+4連の6両編成で、私は前2両の先頭車両に乗車しました。空いていたので私はロングシートに着席して、夕暮れ時の車窓風景を眺めていました。そしてかなり暗くなってきた18時36分、終点の長岡駅に到着しました。



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長岡駅でも改札を出て東口→西口(大手口)の順に駅舎と駅前を撮影しました。そして駅ビル内の商業施設「CoCoLo」の1階にある「ケンタッキーフライドチキン」で夕食を済ませました。



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食後は大手口側にある「長岡市シティホールプラザアオーレ長岡」内のコンビニで翌日の朝食を調達してから、近くの「ホテルアルファーワン長岡」へチェックイン。すぐに入浴をして、その後はテレビを観ていましたが、やはり翌日もスタートが早いので22時に就寝しました。


(つづく)


今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
JR東日本:弥彦線北三条~東三条の旧線区間(約800m)1997年9月15日現在線に切替
(参考:Wikipedia)