第1095回('17) 札幌から特急『ライラック』と『サロベツ』を乗り継いで稚内へ。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

イメージ 1

前回の続き…

2017年6月3日~4日、1泊2日の強行日程で北海道の路線を乗り鉄しました。
今回は稚内へ向かう宗谷本線の乗り鉄・車窓風景の撮影が主目的でした。

今回は初日中盤の内容です。
札幌12時00分発の特急『ライラック15号』に乗り、旭川で特急『サロベツ1号』に乗り継いで、17時21分に日本最北端の駅である稚内駅に着きました。
尚、札幌~稚内の往復には指定席往復割引乗車券『Rきっぷ』(12,550円。途中下車不可)を利用しました。
今回の日程 2017年6月3日(土) 【その2】

札幌1200(函館本線・3015M特急ライラック15号)1325旭川1335(宗谷本線・61D特急サロベツ1号)1721稚内

【その3へ続く】
札幌駅からは12時00分発の特急『ライラック15号』旭川行きに乗車します。2017年3月改正まで宗谷本線特急は3往復とも札幌発着でしたが、改正後はJR北海道の車両運用事情により2往復が旭川で系統分断され、旭川駅での乗換が必要となり不便になりました。また、以前の旭川特急は789系1000番台または785系の『スーパーカムイ』が主力でしたが、改正により789系1000番台使用の列車が『カムイ』と改称され、青函特急『スーパー白鳥』用から転用された789系0番台の列車には『ライラック』の名称を復活させました。785系は旭川特急から撤退しています。
『ライラック15号』は前述の通り789系0番台6連で、私は1号車のグリーン車・普通車合造車の普通席側(指定席)の進行方向右側の窓側席に座りました。1号車普通車の座席定員は4列16人で、7人分の席が埋まっていました。また、各座席にはコンセントがあり、ありがたかったです。スマホの充電に利用しました。



イメージ 2

『ライラック15号』は定刻に札幌を発車しました。私は車窓風景を眺めましたが、はじめは市街地だった風景は住宅地へと変化し、江別を通過後は石狩平野の田園風景が見られるようになってきました。私は岩見沢駅の操車場跡や岩見沢、美唄、砂川などから分岐していた支線跡を確認しようとしましたが、支線跡の遺構は皆無に近い状態に見えました。2016年12月に留萌~増毛が廃止された留萌本線が分岐する深川を過ぎると石狩川の渓谷・神居古潭(かむいこたん)へと入り、現在線は長大トンネルで抜けていますが、旧線は川の流れに沿って蛇行しながら走っており、旧線跡は自転車専用道路として整備されました。しかし土砂災害か何かが原因で一部区間が通行止となっている模様です。
そして山間部を抜けると上川盆地へと入り、右手に大雪山系の冠雪している山々が見えてくると真新しい高架線を走って定刻の13時25分に終点の旭川駅に到着しました。



イメージ 3

旭川駅では同じホーム反対側に停車している13時35分発の宗谷本線特急『サロベツ1号』に乗り継ぎます。乗継時間10分ですが、すぐに乗換可能なので焦る必要はありませんでした。『サロベツ1号』の車両はキハ261系0番台4連で、ヘッドマークは『スーパー宗谷』時代のイラストに文字が描かれていないタイプのデザインになっていました。私は3号車指定席の進行方向右側の窓側席を押さえていて、3号車の車内へ入ると半分以上の座席が埋まっていました。



イメージ 4

『サロベツ1号』は定刻に旭川を発車し、宗谷本線へと入ります。新旭川の手前までは近代的な高架区間を走ります。新旭川を通過後に石北本線が右へ分岐し、左手に貨物駅の北旭川駅が見えてくると同時に右手には旭川運転所が見えてきます。宗谷本線は全線非電化と思われがちですが、電車の出入庫のために旭川~旭川運転所の間が電化されています。同様の例として境線の米子~後藤も電化されていますね。



イメージ 5

旭川運転所を過ぎて純粋な非電化区間へと入りましたが、すぐに永山駅で運転停車しました。運転士が交代したのでしょうか? 永山を過ぎると田園風景の中を走り、「ピップエレキバン」で有名になった比布駅を通過して蘭留駅を過ぎると宗谷本線の難所である塩狩峠越えに挑みます。しかし大雪に見舞われる冬季でもなく、またハイパワーのキハ261系なので難なく塩狩峠を通過し、同時に分水嶺を越えて石狩川水系から天塩川水系へと変わりました。やがて左手に盆地が見えてくると和寒(わっさむ)に到着しました。現在は無人駅になっており、わずかな下車客に対しては車掌がきっぷを回収していました。
和寒を発車後は名寄盆地の農村風景を見ながら走り、士別、名寄とこまめに停車していきます。車窓風景を眺めていると、側窓のカーテンの柱の裏に乾電池が1本あるのを見つけました。不審物の恐れもあるので車掌に申し出て回収してもらいました。しばらく走ると列車は名寄に到着しました。到着前、右側車窓には名寄本線の廃線跡や公園に鉄道車両が保存されているのが見えました。また、名寄駅では3号車にいた乗客のうち約半数が下車し、名寄の拠点性を実感しました。代わりに乗ってくる人もいましたが、ごくわずかでした。

名寄を発車後は次第に天塩川沿いの山間部へと入っていき、特に右側車窓は森や崖に視界を阻まれやすくなります。そこで、森や崖の区間を走る時は空席となった左側の窓側席へと移動し、左側の車窓風景を眺めていました。そして列車は美深、音威子府(おといねっぷ)と停車していきますが、美深で分岐していた美幸線の遺構は確認できず、音威子府で分岐していた点北線は築堤の遺構が確認できました。



イメージ 6

音威子府を発車後は深い山間部を進み、天塩川の渓谷を眺めました。天塩中川を発車後もまだまだ天塩川沿いを走りますが、糠南~雄信内では宗谷本線唯一のトンネル(下平トンネル)をくぐりました。その後は天塩平野へと入り、左側には牧草地などの平原が見えてくると幌延、豊富と停車していきます。尚、サロベツ原野は宗谷本線の数キロ西側に広がっています。豊富を発車後は丘陵地を進み、抜海~南稚内では左側に日本海が見え、利尻島や礼文島が見えるビューポイントを通過しますが、この日はあいにくの曇り空で日本海こそ見えたものの利尻島と礼文島は見えませんでした…。2005年の乗車時には綺麗に見えたのですが、そんな時に限って写真撮影していなくて…orz 



イメージ 7

やがて列車は市街地へと入り南稚内駅に到着します。3号車からは半数ほどの乗客が下車し、車内は閑散としてきました。南稚内を発車後はラストスパートへと入り、市街地をスローで走ります。幹線道路を高架橋でオーバーパスして地平に戻った後はスピードが下がり、ほどなくして定刻の17時21分に終点の稚内に到着しました。旭川から3時間46分、札幌からは5時間21分の長い道のりで、北海道最北端、いや日本最北端の駅にたどり着きました。



イメージ 1

駅到着後は写真撮影をして、改札を出ました。稚内駅は2011年に改装され、配線が1面1線化されました。また、翌2012年には飲食店やコンビニ・土産物店などが入居する駅ビル「キタカラ」が開業しました。私は「キタカラ」の土産物店へと入り、お土産と夕食にする駅弁『宗谷黒牛とかに弁当』(1,480円)を購入しました。



イメージ 8

その後は駅の外へ出て駅舎と駅前を撮影しました。このままホテルにチェックインしてもよかったのですが、まだ17時台、折角稚内へ来たのでもう少し動いてからホテル入りする事にしました。


(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)