第970回('14) 大船渡線と気仙沼線のBRT区間に乗車して、石巻から直通快速に乗って | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2014年8月9日~13日、この年のお盆休みは4泊5日の日程で東日本方面へ乗り鉄旅行に出かけました。

今回は5日目後半の行程です。この日も『青春18きっぷ』を使用しました。
岩手県の盛(さかり)からは、大船渡線仮復旧区間(BRT区間)のバスに乗り気仙沼へ。
さらに気仙沼線仮復旧区間のBRTバスに乗り継いで柳津駅まで移動しました。
東日本大震災の被災地を通り、まだ復興が遠い状況を目の当たりにしました…。
柳津からは気仙沼線と石巻線を乗り継いで石巻へ移動した後、
小牛田経由の直通快速に乗って宿泊地の仙台まで移動しました。
尚、仙石東北ラインは翌年の2015年5月に開業しました。
今回の日程 2014年8月12日(火) 【後半】

盛岡1245(大船渡線・BRT)1359気仙沼1456(気仙沼線・BRT)1652柳津1722(気仙沼線・934D)1743前谷地1748(石巻線・1643D)1809石巻1817(石巻線→東北本線・8622D臨時直通快速)1938仙台

【宿泊】
2014年4月5日に全線復旧して間もない三陸鉄道南リアス線に乗って盛へやって来ました。次はBRT(バス・ラピッド・トランジット。バス高速輸送システム)として一部の線路敷をアスファルト舗装して仮復旧している大船渡線の盛~気仙沼をバスで移動します。まずはJRの駅舎へと入りましたが、鉄道駅と何ら変わりない感じで、『みどりの窓口』もあります。しかし改札は実施していないのか、そのまま入場します。ちなみにBRTは『青春18きっぷ』で乗車可能です。



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入場後はホームを見渡しました。先程、三陸鉄道列車を下車したときも見たのですが、JRの線路敷はアスファルト舗装されていましたがホームはそのまま残っていました。終端部はバスの転回場になっていました。気仙沼行きのバスは島式ホームの2番線から発車するのですが、鉄道時代とは違い線路敷をそのまま渡って移動可能です。バリアフリー対応もできています。また、跨線橋も残されていて、通行可能です。私は跨線橋を渡って2番線へと移動し、乗車口の先頭でバスを待っていました。すると、3番線の三陸鉄道ホームの向こう側で列車の通過音がしたので見てみると、岩手開発鉄道の貨物列車が通過していきました。今まで何度か盛へ来た事がありますが、貨物列車を見たのは初めてでした。



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そうこうしているうちに、私の後ろには列ができていて、30人ほど並んでいました。そしてバス2台が2番線に到着し、私は1台目の先頭の座席に座りました。1台目は満席でしたが、2台続行運転のため乗客は2台に分散して立客はいませんでした。



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バスは定刻の12時45分に盛駅を発車し、しばらくは大船渡線の線路敷をバス専用道路に転用した区間を走ります。一般道路との交差点には一般車進入防止用の遮断機が設置されていました。また、交差点では踏切の線路敷が浮き出ている箇所もありましたが、レールの上からアスファルト舗装している感じでした。



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その後、大船渡駅周辺の市街地へと入りますが、こちらは津波の被害が大きく、3年以上経過した当時も空地が多かったです。この付近では大船渡線も被害を受けたため、専用道が途切れてバスは一般道路を迂回します。私は風景を見入っていましたが、震災前の風景を知っているだけに、あまりの被害の大きさに驚いてしまいました…。



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大船渡駅の南側からは再びバス専用道を走ります。下船渡を過ぎると大船渡湾沿いを走りますが、この海が3.11に豹変して多大な被害を出したとは信じがたいと思ってしまうくらいの穏やかな海でした。ここから先はリアス式海岸を見ながら走りますが、バス専用道は線路敷をそのまま利用しているためトンネルもあり、また駅のホームはそのまま残されています。



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そして津波の被害が大きかった陸前高田市内へ入ると、海沿いの市街地は更地ばかりで復興には程遠い状況でした。バスは線路敷を外れて、海から離れた高台を走ります。高台には市役所が仮移転していましたが、まだ市街地の高台移転が進んでいるとは言い難い状況でした。その後は海沿いへ出て、奇跡の一本松バス停では多くの人が下車しました。近くには津波に流されずに残った「奇跡の一本松」があり、バスの車窓からも僅かに見えました。



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陸前高田市街を抜けるとバスは大船渡線の線路から大きく離れた国道45号線を走行し、岩手県から宮城県へと入ります。そして鹿折唐桑から大船渡線に沿って気仙沼の市街地へと入りますが、気仙沼も津波の被害が大きく、市街地には空地が多かったです。そしてバスは気仙沼駅構内へと入らずに駅前に設置されたBRT専用のバス乗降場に到着し、『青春18きっぷ』を提示して下車しました。定刻より1分遅れでしたが、これだけ長距離を走る系統で1分程度の遅れで済んだのは、専用道のおかげでしょうか? まぁ、本当は列車での旅を楽しみたかったですね。鉄路での復旧の可能性は非常に低そうで、趣味的には残念です…。



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小雨の降っていた気仙沼駅では駅舎と駅前を撮影してから改札内へと入り、ホームの様子を眺めていました。大船渡線の一ノ関方面は列車が走っているので、線路(3番線)と舗装道路(1、2番線)が並存した駅になっていました。駅舎と2、3番線の移動は盛駅と同じく道路横断と跨線橋の2通りです。私は柳津方面バスの発車する1番線にあるベンチでスマホゲーム「魔法使いと黒猫のウィズ」を楽しみながらひたすら待っていました。私は14時56分発の気仙沼線・柳津行きバスに乗るのですが、その前に14時26分発の本吉行きが発車しました。私は本吉行きに乗らずにベンチで座り続けていたので駅員が私に「どちらへ行かれるのですか?」と尋ねてきました。私は「柳津へ…」と返すと、「ああ、そうですか。56分発です」と発車時刻を教えてくれて去っていきました。私は最前列の席を確保したくて相当早くから改札内へと入っていたのです。駅員が去った後、私は乗車口に移動して先頭で並びました。時間が経過するごとに列が長くなりましたが、10人には届きませんでした。そして1番線に柳津行きバスが入ってきて、私は狙い通りに先頭の座席をゲットできました。乗客は少なかったです。仙台方面への長距離移動は大船渡線か高速バスが主流で、気仙沼線を選択する人は少ないでしょうね…。



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バスは定刻に気仙沼駅を発車し、しばらくの間はバス専用道を走ります。不動の沢を過ぎると南気仙沼の市街地へと入りますが、津波の被害が大きく専用道は途切れてしまい迂回して走ります。放置状態の線路敷にはレールが残されていました。気仙沼市街を抜けて松岩を過ぎるとバスは再び専用道へと入り、陸前階上の先まで走ります。左手には海が見えましたが、あいにくの天気で風景はイマイチでした。また、所々で気仙沼線の破壊された高架橋や橋梁、そして放置状態の線路を見る事ができました。



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この先も専用道を走ったり一般道を走ったりを繰り返しましたが、専用道区間ではトンネルも通過しました。そして東日本大震災の津波で多大な被害が出た南三陸町へと入りました。バスは専用道を外れて南三陸町役場の仮庁舎があるベイサイドアリーナバス停を経由して南三陸町の中心地である志津川の市街地へと入りましたが、建物がほとんどありませんでした…。テレビでも度々放送され、骨組みだけを残して津波に破壊された南三陸町防災対策庁舎の跡が遠くからでも見えました。



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破壊された駅とは離れた場所にバス停の設置された志津川、そして陸前戸倉を過ぎると内陸へと入り、三陸海岸と別れを告げます。そして気仙沼線ではなく国道45号線を通って山越えをすると北上川沿いの平地へと出て、16時52分に終点の柳津に着きました。この時点での乗客は10人ほどで、気仙沼から乗り通したのは私だけでした。当時のBRTは柳津までで、ここで列車と乗り継ぐルートしかありませんでした。



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柳津駅では駅舎と駅前を撮影してから駅舎へと入り、無人駅なのでそのままホームへ。しばらく待っていると列車が来ました。この列車が折り返し前谷地行き934Dになるのですが、私は柳津行き列車が到着後に運転士がドアを閉めると思い少し待っていましたが、そんな様子がなかったので運転士に車内へ入っていいか尋ねると「いいですよ」との事だったので、私は車内へ入りました。934Dはキハ110形単行で、私はボックスシート進行方向窓側席に着席しました。乗客は10人ほどで、大半がBRTからの乗継客でした。



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934Dは17時22分に柳津を発車し、すぐに北上川を渡ります。津波がかなり上流まで来たそうですね…。その後は田園風景の中を走りますが、小雨が降る曇り空だったので薄暗くなってきました。そして石巻線と合流すると21分の乗車で終点の前谷地に到着しました。17時43分でした。

この日は仙台まで行く予定で、普通なら前谷地駅で小牛田行きに乗り換えるのですが、ダイヤの関係で小牛田行きとの接続が悪くて18時49分発の1644Dまで待たねばならず(仙台着は20時06分)、また当時は仙石線も陸前小野~高城町が不通だったので、行程作成時にどうしようかと困りましたが、時刻表を見ていると、18時台に石巻発仙台行きの臨時直通快速(事実上の定期列車で、土休日運休)がある事に気付きました。この列車の石巻発が18時17分、仙台着が19時38分で、1644D利用より約30分早く仙台に着く事が可能です。何とかこの直通快速に乗れないか時刻表を見ると、前谷地17時48分発の浦宿行き1634Dに乗れば石巻着が18時09分で、直通快速に乗り継げる事が分かりました。石巻へ行ってから折り返して仙台へ向かうこのルートに決定しました。尚、『18きっぷ』を利用しているので重複乗車はOKです。



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前谷地駅からは浦宿行き1634Dに乗車しました。当時は浦宿~女川が不通でした。キハ48形2連で高校生が多かったです。私は空いているボックスシートを独占し、道中は夕暮れ時の車窓風景を眺めて予定通り石巻で下車しました。

石巻駅では発車を待っていた8622D直通快速に乗り換えました。キハ110形の2両編成で、ボックス席は全て1人以上座っていました。まぁ、もう暗くなってきましたし仕方ないので私はロングシートの空席に着席しました。仕事帰りの男性客が多く、発車間際には座席はほぼ埋まりました。



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直通快速は定刻に石巻を発車し、前谷地までは先ほど通った線路を戻りました。直通快速は石巻を発車すると仙台までノンストップなので、前谷地や小牛田も通過します。小牛田からは東北本線へと入り、夜空の下を仙台へ向けて流し加減で走ります。暗くて車窓風景が見えないので私はまたしても「魔法使いと黒猫のウィズ」をプレーしていました。そして19時38分、直通快速は定刻に終点の仙台に到着しました。石巻から1時間21分の道のりでした。震災前に設定されていた仙石線の快速よりも遅かったと記憶しています。現在は仙石東北ラインの特別快速が両駅を最速52分で結んでいます。



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仙台駅で下車後は駅前の「松屋」で夕食を済ませ、コンビニへ寄ってから前々日と同じホテルへチェックイン。
入浴後、すぐに眠ってしまいました。


(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません(BRTは参考記録扱い)



(参考:Wikipedia)