第886回('12) 五新線(未成線)を転用したバス専用道路をバスで通行して南海などを乗 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2012年の夏期間は、「6週連続乗り鉄キャンペーン」と勝手に銘打って、毎週乗り鉄に出かけました。

第5週はお盆休み後半、8月17日は主に『スルッとKANSAI 3dayチケット』(5,000円。当時)を使用して日帰りの日程で奈良県方面を乗り鉄しました。
近鉄の新ノ口連絡線の乗り鉄と、未成線の五新線の一部区間を通る路線バスへの乗車が目的でした。

今回は後半の内容です。
五條では未成線である五新線(阪本線)を、徒歩及びバス専用道路を走るバスに乗って探訪しました。
そして最後は南海高野線の特急『りんかん』などを利用して帰宅しました。
今回の日程 2012年8月17日(金) 【後半】 

五条(徒歩・五新線の一部未成線遺構を探訪)1510五條バスターミナル1535(奈良交通バス・11系統 五新線用地を転用したバス専用道経由西吉野温泉行き)1606専用道城戸1629(11系統・バス専用道経由五條バスセンター行き)1657五條駅/五条(和歌山線・1473M)1734橋本1808(南海高野線系統・特急りんかん12号)1852難波/大阪難波1908(阪神なんば線→本線・快速急行)1953三宮1957(阪神本線→阪神神戸高速線→山陽電鉄本線)2036東二見2038(山電本線)2044別府

【帰宅】
和歌山線に乗って13時に五条駅までやって来ました。五新鉄道(五新線・阪本線)の未成線用地を転用したバス専用道路を通る路線バスに乗る事が目的でした。しかしバスの発車時刻は15時半ごろで、まだ2時間半ほどあります。そこで、路線バスが通らない五条駅近辺にある五新線の遺構を徒歩で探訪する事にしました。まずは駅を出て駅前にある観光案内所へ行き、女性係員に地図を貰いました。五新線遺構までの行き方も教えてもらいました。五條市では五新線遺構を「幻の五新鉄道」としてPRしているので係員も慣れた様子でした。
そして案内所を出て、市街地を西へ歩きましたが、和歌山線と五新線の分岐予定地点は五条駅より相当西側の五條簡易裁判所など(旧:五條代官所)がある地点だったので、その分岐予定地点へ行くまで時間がかかりました…。炎天下だったので汗だくになりました。ここから五新線の未成線が左へ分かれ、しばらく進むと五新鉄道の高架橋跡が姿を現しました。



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高架橋は国道24号線との交差地点で途切れますが、その後は吉野川の手前までコンクリート造りのアーチ橋が続いていました。



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さすがに橋の上には登れないので、私は遺構に沿って吉野川の方向へ歩きました。途中、昔ながらの町並みへと入ったので少しだけ歩き、吉野川の河川敷へ。しかし、吉野川の橋梁ができる部分には何も残っていませんでした。対岸には以降が残っているようなので行きたかったですが、時間の都合で断念しました。そして五条駅へ戻る事にしましたが、和歌山線と五新線の分岐予定地点近くにある五條代官所跡が気になったので少しだけ寄り道して代官所跡にある「長屋門資料館」を見学してから五条駅へ戻りました。また、代官所跡にはSLが静態保存されていました。



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そして五条駅で少し休憩してから、専用道を通る路線バスの始発停留場である五條バスターミナルへと徒歩で移動しました。



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五條バスターミナルはイオン五條店(旧:五條サティ)の敷地内にあり、少しだけ店内で涼を取り、バスターミナルの窓口で専用道城戸までの乗車券を買ってから乗り場でバスを待ち続けました。そして待つ事約20分、専用道経由西吉野温泉行きの奈良交通バスがやって来ました。バスは小型で、私は先頭の特等席をゲットできました。乗客は私ともう一人だけでした。



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バスは15時35分に五條バスターミナルを発車し、まずは五条駅前にある五條駅バス停に立寄りましたが乗降はゼロでした。五條駅を発車後は吉野川を渡って五條市街を南へ走り、途中でもう一人の乗客は降車して車内は運転手と私だけになりました。その後は五條病院前を通りますが、右側に五新線の築堤などの遺構が見られました。そして、いよいよバスは国道168号線から左へ分かれて五新線の未成線用地を転用したバス専用道へと入ります。



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専用道の線形を見るとカーブが緩く鉄道用地であった事が容易に分かります。五新線は単線で計画されていたので、バス専用道も1車線ですが、バス同士の行違いは途中のバス停などでできるようになっていました。また、路面はアスファルト舗装されていましたが、ガタガタで状態は悪かったです…。そして専用道は一般道路とも交差していましたが、他の専用道とは違い遮断機はありませんでした。



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バスは丘陵地をしばらく進み、やがて山間部へと入りトンネルも潜りました。道路用トンネルとは違い照明がなく、少し怖かったですw 



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そして山間部をしばらく進むと、沿線に生えていた木の枝が専用道に垂れていて、バスが停車しました。すると運転手が「ちょっと待ってな」と言って、のこぎり(鎌かもしれませんが…)を持って車外へと出て慣れた手つきで竹を切って道路際に置き、戻って来ました。その間わずか1分、一瞬の出来事でした。バスに鋸(または鎌)を常備している事にも驚きましたが、それだけ竹や木々が専用道を塞ぐことが多いのですね…。



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その後、山間部の中をバスは順調に走り、いくつものトンネルを通り、31分の乗車でバスは専用道の終点となる専用道城戸バス停に着き、私はここで下車しました。バスは終点の西吉野温泉へ向けて去っていきました。



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専用道城戸バス停で下車後は、城戸駅予定地だったこの場所を撮影しました。そして専用道の先へ延びる阪本方面へのトンネル入口まで行きましたが、扉があってトンネル内へは入れませんでした。



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また、城戸駅予定地とトンネルの間はPC橋梁となっていましたが、駅跡の一部とともに駐車場に転用されていました。

折り返しのバスが来るまでまだ時間があったので、一旦地上へ下りて、PC橋梁を下から見ました。そして少しだけ旧・西吉野村の中心地だった城戸地区を散策しましたが、商店跡の前に「コスモス」の玩具自動販売機が置いてありました。私が子供の頃は至る所で見られましたが、いつの間にか姿を見なくなりましたね…。値段が高かったので私は一度も「コスモス」で買った事はありませんが…。



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その後は専用道城戸バス停へと戻り、折り返しの五條バスターミナル行きバスに乗りました。再び専用道から風景を眺め、今度は16時57分に到着した五條駅バス停で車内精算して下車しました。乗客は終始私だけでした…。これでは先は短いな…と思っていたら2年後の2014年秋に廃止となってしまいました…。これにて五新線(阪本線)の探訪は終了しました。



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あとは帰るだけですが、行きは奈良方面から主に近鉄を使って五條入りしたので、帰りは橋本経由で南海高野線に乗って大阪へ戻る事にしました。早速、五条駅舎内へと入り、自動券売機で橋本までの200円(当時)の乗車券を買ってから入場してホームへ。ホームには117系も停車していましたが、王寺方面行き列車でした。私が乗車した五条17時20分始発和歌山行きの1473Mはお約束通りの105系2連でしたw 



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乗客は少なく、私はロングシートに腰掛けて沿線風景を眺め、橋本駅で下車しました。



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橋本駅では駅の外へ出て駅舎と駅前を撮影しました。その後は駅舎へと戻り、南海の改札口へ。窓口で18時08分橋本始発の特急『りんかん12号』難波行きの特急券を購入してから『スルッとKANSAI 3dayチケット』で自動改札機を通ろうとしました。しかしエラーが出てしまい、すぐに駅員が出てきてチケットを見ると、「そのまま通って下さい」と促されて有人改札から入場しました。その直後に、私は昼に近鉄吉野線でチケットのエリア外へ乗り越して、チケットで自動改札機を通って出場していなかった事を思い出し、チケットが「入場」のまま記録されているのでは、と予想しました。入場していた私はチケットを自動改札機に通して一旦出場しようとしたら、予想通りエラーが出ずに改札外へ出られました。その直後に再入場するべくチケットを自動改札機に通すと、やはりエラーは出ずに再入場できました。

その後はホームへと下り、売店で飲料を買ってから停車中の車両を撮影しながら『りんかん12号』を待ちました。留置線には31000系4連が停車していましたが、この車両が『りんかん12号』になるのでしょうか…。しばらくすると、難波方から30000系4連の『りんかん7号』が5番線に到着し、続いて極楽橋方から留置線にいた31000系4連が入線してきました。そして2形式の併結作業が行われ、8両編成になりました。私はずっと見ていました。



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併結作業が終わると客扱いが開始され、私は指定された30000系側の6号車禁煙指定席の後ろ寄りの座席に座りました。乗客は少なかったですが、6号車の乗客は後ろ寄りに固められていました。そのうち5~6人が同じ企業のビジネスマンで常に話していたのでやかましかったです。発券システムを改良して平均的に乗客を割り振ってほしいものです。

『りんかん12号』は定刻に橋本を発車し、夕暮れ時の山間部を北へ走ります。紀見峠を越えて和歌山県から大阪府へと入り、河内長野からは風景が開けてきましたが、時間の経過とともに少しずつ暗くなってきました。河内長野発車後も乗客は増えず、6号車は後方のみ乗車率が高い状態が続きました。しばらく走ると都市部に入り、岸里玉出で南海本線と合流すると高架線を走り、右手に建設中の「あべのハルカス」が見えました。通天閣よりはるかに高いですw そして、完全に夜になる少し前の18時52分、44分の乗車で特急『りんかん12号』は終点の難波に到着しました。この列車は折り返し、ホームライナー的な列車の『りんかん11号』となり、仕事帰りの多くの乗客が乗車待ちをしていました。



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難波駅で下車後は地下通路を通って近鉄・阪神の大阪難波駅へ。快速急行の三宮行き(阪神1000系6両+4両。混雑状態。前6両のドア脇へ)に乗車しました。途中の尼崎で後4両が切り離され、6連となって終点の三宮(現在の神戸三宮)まで走りました。私も終点まで乗り通しました。



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三宮駅では後続の直通特急【赤(神戸市街通過運転タイプ)】に乗り継ぎました。ロングシートの阪神9000系6連で、空席があったのですかさず着席しました。



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もう夜間なので車窓風景は期待できず、道中は居眠りしていました。そして目が覚めた直後に列車は東二見に到着し、無事に下車できましたw

東二見駅では普通車に乗り換えましたが、5000系4連でした。私は進行方向とは逆向きのクロスシートに着席し、居眠りしないように気をつけながら3駅先の別府駅で下車しました。



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別府駅で下車後は、とっとと自宅へ帰りました。
これにて6週連続乗り鉄の第5週目が終了しましたw


(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)