第840回('11) 九州新幹線の一部区間を乗り鉄&筑肥線旧線跡探訪の後は500系『こだ | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2011年12月29日~31日、年末休みは主に『青春18きっぷ』を使用して、2泊3日の日程で九州・山口地方へ出かけて乗り鉄しました。

今回は最終3日目、大晦日後半の行程です。
熊本県の新八代から九州新幹線で博多まで移動し、福岡では筑肥線の旧線跡を探訪しました。
そして最後は山陽新幹線で帰宅しましたが、500系『こだま』のグリーン車格下げの指定席車両に乗車しました。
今回の日程 2011年12月31日(土) 【後半】

熊本1228(鹿児島本線・5331M)1301新八代1344(九州新幹線・さくら414号)1436博多1451(福岡市地下鉄空港線)1456天神(徒歩)天神南(福岡市地下鉄七隈線)1515六本松1520(徒歩・筑肥線の旧線跡)1643筑前高宮駅跡近くにある那の川バス停1645(西鉄バス・66系統博多駅筑紫口行き)1654博多駅筑紫口/博多1720(山陽新幹線・こだま758号)2123姫路2137(JR神戸線・3320M新快速)2147加古川

【帰宅】
熊本電気鉄道と熊本市電の乗り鉄を終え、熊本駅へ戻ってきました。土産と駅弁を買ってから自動券売機で新八代までの乗車券を購入して自動改札機で入場し、在来線ホームへと向かいました。ちなみにこの日は『青春18きっぷ』を使用していません。鹿児島本線下りホームには既に八代行き5331Mが停車していました。この5331Mは前日に久留米から熊本まで乗車していました。車両は前日と同じく817系2連で、車内は空いていたので私は転換クロスシート窓側席に座りました。そして先程買った熊本駅弁『阿蘇赤うし』(1,100円。当時)を食べました。



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食事中に5331Mは熊本を発車し、九州新幹線に沿って住宅地を南下します。宇土を過ぎると新幹線と分かれ、松橋(まつばせ)から先は畳の「い草」の生産で有名な八代平野の中を走ります。駅ごとに乗客は少しずつ減少していきました。そして千丁を過ぎて2004年~2011年3月改正まで使用されていた特急『リレーつばめ』の新幹線駅乗り入れ用のアプローチ線跡を右手に見て走ると、列車は新八代駅に到着。私はここで下車しました。



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在来線コンコースと新幹線コンコースが離れている新八代駅では、下車後に一旦駅の外へ出て新幹線コンコースへと移動しました。そして『みどりの窓口』で加古川までの乗車券と博多までの新幹線自由席特急券を購入しました。その後は改札内へと入り、ホームから通過列車を眺めながら30分ほど待ち続けると、鹿児島中央方から九州新幹線上り『さくら414号』博多行きが到着しました。800系6連で、私は1号車自由席に乗車し、進行方向左側の窓側席に着席しました。車内は空いていて、窓側席にも空席が多かったです。尚、800系はモノクラス編成で、全車両とも2列+2列シートです。



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『さくら414号』は定刻に新八代を発車しました。私はひたすら車窓風景を眺めましたが、やはり騒音対策で側壁が高く、なかなか思うように眺められませんでした…。まぁ、眺望に配慮して側壁が透明になっている部分もあるのですが、そんな中でも側壁が低くなっている箇所もあるので、そこから写真撮影をして、遠くにそびえる雲仙岳などを写真に収めました。



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その後も沿線風景を撮影しながら眺め続けました。そして新鳥栖を過ぎて筑紫トンネルを抜けると都会的な風景へと変貌し、新八代から52分の乗車で『さくら414号』は終点の博多に到着しました。乗客は停車駅の熊本と新鳥栖で増加しましたが、それでも空席が多く残っていました。



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博多駅にて下車後は福岡市地下鉄の駅へと移動し、西唐津行き電車に乗車しました。混雑していて、何とかドア脇のポジションを確保して天神駅で下車しました。車両はJRの103系3連×2で、前3両が西唐津まで直通、後3両が筑前前原止まりでした。



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天神駅では改札を出て、暗い感じが特徴的な天神地下街をひたすら南へ歩き七隈線の天神南駅へ。



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ここから橋本行き電車(3000系4連)に乗車して六本松駅で下車しました。そこそこ座席が埋まっていましたが、今回は着席しました。



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六本松駅を下車後は筑肥線旧線跡の探訪です。2008年に博多駅~筑前高宮駅跡の博多寄り、2010年に姪浜駅~鳥飼駅跡の博多寄りをそれぞれ探訪しましたが、今回は残存区間である鳥飼駅跡の博多寄り~筑前高宮駅跡の博多寄りを一気に探訪するべく、前回に探訪を打ち切った樋井川筑肥橋まで行きました。ここから探訪開始となり、姪浜から長い間道路転用されていた旧線跡は、樋井川筑肥橋のすぐ東にある六本松4丁目南交差点から先は遊歩道(梅光園緑道)に転用されていました。



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私は遊歩道を南へ歩き、一度も乗れなかった旧線の現役当時の車窓風景を想像しました。その後遊歩道は東へ針路を変えると途切れ、以後の旧線跡は再び2車線道路へと転用されていましたが、意外と起伏が大きかったです。開発の結果当時の面影が失われた小笹駅跡を過ぎるとアップダウンの多い区間を歩き、やがてビル街へ入ると旧線跡は西鉄天神大牟田線をアンダークロスします。



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西鉄側には交差地点に西鉄平尾駅が設置されていますが、筑肥線側には駅はなく、少し東側に筑前高宮駅が設置されていました。その後も道路転用された旧線跡を歩き続け、日赤通りとの交差地点に差し掛かった時点で、旧線跡探訪を終えました。2008年に日赤通り~博多は探訪しています。

廃線跡探訪を終えた後は、近くにある那の川バス停へと移動し、西鉄バスの66系統・博多駅筑紫口行きに乗車して博多駅まで戻りました。バスの乗客は7~8人でした。それにしても福岡の市街地は西鉄バスが多くて驚きます。



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博多駅では、弁当を買ってから新幹線の自動券売機へと向かい、加古川までの乗車券は持っているので姫路までの『こだま758号』の指定席特急券を購入しました。『こだま758号』は500系8連で、6号車指定席はグリーン車の格下げ改造車なので、それを狙っての乗車となります。きっぷを購入後は改札内へと入り、書店で「数独」の本を買ってからさほど待たずに『こだま758号』が入線しました。私は指定された6号車指定席・窓側D席に座りました。指定席を利用する乗客は少なく、5~6人しかいませんでした。また、座席はグリーン車時代のものを流用していて、シートピッチ(前後間隔)もグリーン車時代と同じで、リクライニング角度もグリーン車時代と同様だったと記憶しています。但し、フットレストやオーディオサービスの機器が撤去されていて、網かご(?)に情報誌は置いてありません。まぁ、概ねグリーン車と大差ない設備を指定席特急料金で満喫できるので、嬉しかったです。



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『こだま758号』は定刻の17時20分に博多を発車しました。はじめは車窓風景を眺めていましたが、すぐに暗くなってしまいました。もう夜で風景を見られないので、博多駅で買った非公式駅弁(?)の『めんたい子付き弁当』(1,050円。当時)を食べました。弁当と明太子が別々の容器に入っていて、店員に明太子は早目に食べるように言われたと記憶しています。美味しかったです。



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食後は長時間停車駅で車外へ出て写真撮影したり、博多駅で買った数独の本を楽しんだりしていました。また、指定席車両も途中駅での乗降がありましたが、『のぞみ』との乗り継ぎ乗車する客ばかりで皆、短区間で下車してしまいました。広島に到着した時点で博多から指定席車両に乗り通していたのは私だけでしたw その後は夜も深くなってきましたが、数独が難しかったこともあり全然眠気が発生しませんでした。そして博多を発車して4時間3分後の21時23分に『こだま758号』は姫路に到着。後ろ髪を引かれる気分で私は下車しました。快適だったのでもっと乗り続けたかったです。4時間があっという間に過ぎていきました。



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姫路駅ではJR神戸線の上り新快速(223系4連+225系8連。車内はガラガラ。225系の窓側席に着席)に乗り継いで、居眠りしないで加古川駅にて下車しました。初詣客と思しき人は見かけませんでした。



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加古川駅で下車後はそのまま自宅へと帰り、2011年の乗り鉄を全て終えました。

次回は2011年の総括編をUPします。そして次々回からは2012年編をUPしていきます。

(つづく)


今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
日本国有鉄道:筑肥線鳥飼付近~筑後高宮付近(約4.5km)踏破達成!
(参考:Wikipedia)