第807回('11) 七尾線、のと鉄道を乗り鉄して帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2011年8月6日~7日、1泊2日の日程で主に『青春18きっぷ』を使用して東海北陸地方へ。1日目は西濃鉄道市橋線を探訪してから高山本線を乗り鉄して富山へ向かい、2日目は能登半島方面を乗り鉄して帰宅しました。

今回は2日目の行程です。
石川県能登半島へ延びる七尾線と「のと鉄道七尾線」を往復乗り鉄しました。
最後は特急と普通列車を乗り継いで兵庫県加古川市の自宅へと帰りました。
今回の日程 2011年8月7日(日)  

富山538(北陸本線・420M)620津幡644(七尾線・827M)759七尾825(のと鉄道七尾線・125D)906穴水928(130D)1003和倉温泉1015(七尾線→北陸本線・2020M特急サンダーバード20号)1142小松1145(北陸本線・340M)1231福井1302(234M)1355敦賀1423(北陸本線→湖西線→東海道本線→山陽本線・3481M新快速→近江今津から3271M新快速)1725加古川

【帰宅】
この日は4時に起床し、朝食を食べてホテルをチェックアウトしました、



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そして北陸新幹線の建設工事や高架化工事が進行している富山駅へと向かい、改札口で『青春18きっぷ』の4回目のスタンプが押されました。そしてホームへ向かうと、当時まだ走っていた寝台特急『日本海』大阪行きが入線してきました。



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その後、富山始発の北陸本線上り420M(475系3連+413系3連)に乗車しましたが、私の乗車位置には413系が来たので413系に乗りました。今思えば475系側に乗っておけば良かったかな…と。乗車率は低く、車内はガラガラでした。電車は5時38分に富山を発車し、見慣れた車窓風景を今回も眺めました。そして電車は倶利伽羅峠を越えて富山県から石川県へと入り、七尾線との乗換駅である津幡で私は下車しました。



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津幡駅では一旦改札を出て駅舎と駅前を撮影しました。そして再入場し、少し待って七尾線下り・金沢発七尾行き827Mに乗車しました。元113系で、七尾線カラーの415系3連でした。車内は空いていて、急行での運用も考慮して超広いシートピッチのボックスシート窓側席に座りました。



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道中はローカルムード漂う車窓風景を眺め続けました。「UFOのまち」として有名な羽咋(はくい)辺りから高校生が増えてきました。そして津幡から1時間15分の乗車で827Mは終点の七尾に到着しました。



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七尾駅では一旦改札を出て駅舎と駅前を写真撮影しました。そして窓口で『つこうてくだしフリーきっぷ』(1,000円)を買ってから入場し、のと鉄道の七尾発穴水行き列車に乗車しました。尚、七尾~和倉温泉はJRの七尾線ですが、のと鉄道との共用区間です。普通列車利用の場合は「のと鉄道」を利用したと見なされ、七尾~和倉温泉のみの利用でも『青春18きっぷ』の使用は認められません。
車両はNT200形気動車2両編成で、私は後方車両に乗りました。車内はガラガラでした。



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列車は定刻に七尾を発車し、まずは架線下を走ります。特急列車の終着駅である和倉温泉から先は非電化区間へと入り、所々で穏やかな七尾西湾や七尾北湾を眺めながら能登半島を北上します。



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途中の能登中島駅には郵便車(オユ10)が静態保存されていました。



イメージ 10復路で撮影。

そして41分の乗車で列車は終点の穴水に到着しました。



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穴水駅ではホームより終端方を撮影しました。かつては輪島や珠洲(蛸島)方面へ向けて線路が延びていましたが、廃止されてしまいました。また、0番線には以前に使用されていたNT100形とNT800形が静態保存されていました。



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その後は駅の外へ出て駅舎と駅前を撮影しました。そして駅舎内へと戻り、窓口へ。これより帰宅の途につくのですが、鈍行ばかりだと時間が掛かるので、特急でワープするために和倉温泉~小松のJR乗車券と自由席特急券を購入しました。尚、穴水駅には第三セクター鉄道では珍しくマルスが設置されていて、『みどりの窓口』のある駅扱いとなっています(正式には旅行会社の営業所扱い)。また、特急の乗車区間を和倉温泉~小松としたのは、営業キロが100km弱で(ちなみに換算キロを含めると100km超になりますが、特急料金は地方交通線でも営業キロで計算)、特急料金の負担が最小限で収まるからです。



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きっぷを購入後は『つこうてくだしフリーきっぷ』で入場し、七尾行き列車に乗車しました。今回はNT200形気動車の単行でしたが、乗客がそこそこおり、私は最後部で後方展望をする事にしました。また、この列車の車内アナウンスがアニメ調でした。萌え系アニメ(?)『鉄道むすめ』の声優がアナウンスしているようでした。近年、ローカル線の利用促進に萌え系アニメキャラを使う事例が増えていますが、ここまで多くなると相対的に価値が低下し、あまり効果が上がらないのでは…と心配してしまいます。
道中は往路と同じく海沿いの車窓風景を眺めましたが、各駅に停車するごとに萌え系のアナウンスがありました。また、乗客も増え、単行の車内は座席が埋まってきました。そして私は終点の1駅前・和倉温泉駅に到着し、私は下車しました。下車した人は僅かで、乗車した人の方が多かったです。



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和倉温泉駅では改札を出て駅舎と駅前を撮影しました。そして駅舎内の売店で土産を購入し、穴水駅で買った小松までの乗車券と自由席特急券で再入場。少し待って、和倉温泉発大阪行きの特急『サンダーバード20号』(683系6連)に乗車しました。私の乗車した自由席はガラガラでした。



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特急は定刻に和倉温泉を発車し、七尾、羽咋と停車していきます。羽咋駅からは金沢駅まで羽咋市のゆるキャラ「宇宙人 サンダー君」が乗車してきました。車内を回ってきて、撮影にも応じてくれました。



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その後は車窓風景を眺めながら移動時間を楽しみました。津幡からは北陸本線へと入り、金沢では後方に681系付属編成3連を併結しました。自由席も窓側席が埋まり、北陸新幹線の白山総合車両基地へ向かう建設中の高架橋を見ながら列車は北陸本線を快走します。このまま大阪まで乗っていたい気分でしたが、今回は『青春18きっぷ』の旅なのでそうもいかず、途中の小松で下車しましたw 下車客・乗車客ともわずかでした。小松はコマツの企業城下町なので、平日はビジネス客が多いのでしょうか?



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小松駅では特急『サンダーバード』が発着した同じホーム向かい側で待避していた福井行きの340Mに乗り継ぎました。521系2連でしたが、車内を見て乗るのが嫌なくらい混雑していました…orz さすがに2連は短すぎますね…。それでも何とかドア部分の位置をゲットし、車窓風景を眺めながら移動ができたのが不幸中の幸いでした。また、ほとんどの乗客が福井まで乗り通すのかと思いきや、石川県内の各駅で少しずつ減少し、福井県へ入って芦原温泉駅で座席が空いたので、一気に窓側席に「昇格」し、終点の福井まで車窓風景を眺めながら一息つけました。



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高架駅の福井駅では一旦改札を出て、西口側の綺麗に整備された駅前広場を通り、商店街にある「小川家」で「ソースカツ丼」を食べました。丼の中は少々寂しい感じもしますが、美味しかったです。尚、福井では「カツ丼」といえば「ソースカツ丼」のことを指すそうですが、実際はどうでしょうか?



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食事後は福井駅の改札内へと戻り、北陸本線上り・敦賀行き234Mに乗車しました。今度も521系2連で、この列車も座席が埋まっていました。私は最後部ドア脇に陣取りました。



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福井を発車後は、ドアから車窓風景を眺めました。疲れていたので座りたかったのですが、鯖江や武生でも着席客は全然動かず、結局終点の敦賀まで座れませんでした…。

敦賀駅では改札を出ずに、湖西線経由の新快速・網干行き(223系4連)に乗車しました。私は先頭で並んでいたので、窓側席に座れました。発車直前には大半の座席が埋まりました。やはり『青春18きっぷ』期間は利用客が多いですね。



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新快速は定刻に敦賀を発車し、鳩原ループ線で山間部へと進み、新疋田を過ぎると福井県から滋賀県へと入ります。近江塩津からは湖西線を進み、近江今津で前方に8両増結して堂々たる12両編成になりました。その後は琵琶湖に沿って走り、ビーチでは多くの人が遊泳を楽しんでいました(琵琶湖は「湖」なので海水浴ではない)。また、駅ごとに乗客が増えてきましたが、12連だからか混雑する事はありませんでした。大津京を発車後は京都府へと入り、山科を経て京都に着きました。ここで半数ほどの乗客が入れ替わり、乗車客の方が多かったので車内は混雑してきました。京都から先は見慣れた車窓風景を眺め、4分遅れで到着した加古川で下車しました。加古川まで立客が結構いましたが、加古川から先はほぼ全員が着席していました。また、敦賀から約3時間乗り続けたため、転換クロスシートでは少々疲れましたね…。



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この日は「加古川まつり」の花火打ち上げの日だったので、駅前には多くの人がいました。しかし、加古川駅前翌日から仕事なので、加古川駅で下車後は自宅へ直行しました。これにて1泊2日乗り鉄旅行を終えました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)