近鉄志摩線・賢島~真珠港の廃線跡(三重県志摩市。2006年ほか訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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今回は、1929年に開業し、1969年に廃止された、近鉄志摩線の旅客列車の終着駅である賢島(かしこじま)駅よりさらに先へと延びていた貨物線区間、
賢島~真珠港について簡単にレポートします。

 

賢島では翌2016年にG7サミットが行われる事が決定し、伊勢志摩や賢島の名前が一躍有名になりました。

 

近鉄志摩線の賢島~真珠港は、前身の志摩電気鉄道により1929年に鳥羽~賢島~真珠港が開業しました。当時は国鉄の路線しか鳥羽まで延びていなくて、志摩線は国鉄参宮線と貨車の直通を行うため軌間は1,067mmの狭軌を採用しました。その後、戦時中に交通統制により三重交通の路線となり、一時的に三重電気鉄道の時代を経て1965年に近畿日本鉄道(近鉄)に合併され、近鉄志摩線となりました。
近鉄の路線になってからは孤立路線として営業していましたが、宇治山田まで延びていた近鉄線を鳥羽へ延伸されたと同時に(1969年。鳥羽線の開業)、志摩線も1,435mmの標準軌に改軌する工事、そして架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧する工事が始まりました。この工事の影響で貨車が国鉄に直通できなくなり、貨物線として用をなさなくなった賢島~真珠港が1969年に廃止されました。その翌年、志摩線の改軌工事と昇圧工事が完了し、鳥羽線と直通運転を開始して志摩線は観光路線として大きく飛躍を遂げました。

 

賢島~真珠港は廃止後、一部区間が旅客列車の留置線として使用されていましたが、後に廃止となりました。
また、賢島駅は開業当初からの下層ホームと特急列車用に崖上に新設された上層ホームに分かれていて、下層ホームの線路は真珠港駅跡方面へ繋がっていました。しかし、1993年に普通列車用ホームが上層へと移転し、下層部の施設は用途廃止となり、後にほとんどの設備が撤去されて現在に至ります。

 

尚、今回の区間は徒歩でサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。
また、探訪時期が2006年と9年前で、それ以降に変化があるかもしれませんが、何卒ご了承願います。
さらに、写真が少な目になってしまったことをお許し下さい。


 

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(Yahoo!地図を使用。廃線跡のラインは実際の廃線跡を完全に辿れていません)


 

路線名  区間  営業キロ  廃止日 
近畿日本鉄道:志摩線  賢島~真珠港  0.3km  1969年7月1日  

  

探訪・撮影時   2006年3月、2010年12月  

  

  

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(1)賢島駅にて。現在は崖上に駅舎があり、連絡階段が設置されていますが、連絡階段の西側(写真手前側)には開業当初からの三角屋根の駅舎がリニューアルされた上で現存しています。旧駅舎には関係者以外入れません。


 

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(2)賢島駅の鳥羽方より撮影。現在は左側に高架の線路が設置されていますが、高架線路ができる前は下り勾配の線路が存在し、現存しない賢島駅の普通列車用ホームへ続いていました。


 

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(1)賢島駅連絡階段より普通列車ホーム跡・線路跡(真珠港方)を望む。
遺構は確認できませんが、空きスペースが当時の名残でしょうか?


 

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(1)同じく賢島駅連絡階段より普通列車ホーム跡・線路跡(鳥羽方)を望む。
こちらは新設された高架ホームに転用されています。


 

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(3)賢島駅から少し進みます。真珠港への廃線跡と道路が交差しており、この地点に踏切がありました。
廃線跡や側溝の位置関係からここに踏切があった事が分かりますが、雰囲気は残っているものの遺構はありません。


 

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(3)上写真の踏切跡より賢島方を望む。線路跡・ホーム跡は駐車場に転用されています。


 

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(3)同じく上写真の踏切跡より真珠港方を望む。左へカーブしています。
左の道路は以前よりあったようです。右側の花壇や駐車場のあるスペースが廃線跡です。


 

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(4)さらに進みます。まだ左カーブが続きます。
この付近では廃線跡が分譲地に転用されていて、2006年の時点で別荘が建ち始めていましたが、その後もなかなか建たないようですね。
しかし、G7サミット開催の影響で一気に分譲地が完売となるかもしれません。


 

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(5)もう少し進むとカーブは終わり、間もなく真珠港駅跡に着きます。
この辺りでは線路が何本にも分かれていたようで、道路と分譲地の境界から右側の崖の間に線路が広がっていたと思われます。


 

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(6)さらに歩くと、もう真珠港駅跡に着きました。
駅跡のスペースは、やはり分譲地や別荘?に転用されていました。当時の面影はありません。
また、駅の終端部は私有地(別荘)になっており、これ以上前へは進めませんでした。
真珠港駅前は賢島港で、英虞湾(あごわん)に浮かぶ島々も望めます。


 

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(6)真珠港駅跡より賢島方を望む。
真珠港までの貨物線は結構険しい地形の場所を走っていました。


 

(おしまい)

  

  
廃線跡探訪の注意点  

今回の廃線跡は距離が0.3kmと短く、徒歩15分あればじゅうぶん往復訪問が可能です。探訪難易度は低いです。
飲食店・売店は賢島駅にあるので飲料・食料には困りません。近鉄志摩線の乗り鉄の際には、賢島駅到着後すぐに折り返し列車乗らずに今回の廃線跡を探訪されてみてはいかがでしょうか?

  

  
接続路線  

接続駅   接続路線  
賢島駅   近畿日本鉄道:志摩線  
  
(参考:JTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩くⅣ』、Wikipedia)