第791回('11) 名鉄名古屋本線を全線乗り鉄、そして在来線で帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2011年のゴールデンウィーク後半は、5月6日~5月8日にかけて、1泊2日の日程で中京圏を乗り鉄しました。
主に名鉄を乗り鉄しましたが、オープン間もない『リニア・鉄道館』の訪問や名古屋市営地下鉄桜通線の乗りつぶしもしました。

今回は2日目後半の模様です。
名古屋からは名鉄名古屋本線で豊橋へ。豊橋からは名古屋本線で名鉄岐阜まで一気に移動しました。
岐阜では名鉄田神線の廃線跡を探訪しました。そして最後は新幹線ではなくJR在来線で兵庫県加古川市の自宅へと帰りました。
今回の日程 2011年5月7日(土) 【後半】

弥富(徒歩)近鉄弥富1348(近鉄名古屋線・急行)1403近鉄名古屋/名鉄名古屋1418(名鉄名古屋本線・特急)1507豊橋1515(名古屋本線・特急)1637名鉄岐阜1645(各務原線)1647田神1650(徒歩・名鉄田神線の廃線跡)1750田神1755(名鉄各務原線)1757名鉄岐阜(徒歩)岐阜1851(東海道本線・5349F新快速)1940米原1954(東海道本線→山陽本線・3309M新快速)2211加古川

【帰宅】
名鉄尾西線に乗って弥富駅で下車後は住宅地を歩いて南方にある近鉄弥富駅へ。『 ICOCA 』で入場して、名古屋線の近鉄名古屋行き急行(5200系4連+1209F2連)に乗り、近鉄名古屋駅まで移動しました。私は5200系側に乗車し、大半の座席が埋まっていたものの偶然空いていた転換クロスシート窓側席に座り、座りながらにして車窓風景を眺める事ができました。



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近鉄名古屋駅を下車後は一旦改札を出て名鉄名古屋駅へ移動し、名古屋本線の特急・豊橋行きに乗車しました。2200系6連で、一般車に乗車しましたが、運良くクロスシート窓側席に座れました。



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名鉄名古屋で席が埋まり、金山発車後は立客も多かったです。私は車窓風景を眺めながら移動時間を過ごし、49分の乗車で終点の豊橋に到着しました。名古屋~豊橋では運賃・所要時間ともにJR東海道本線と勝負可能で、名古屋~岐阜とは様子が違いました。



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豊橋駅では改札を出ずに折り返し列車の特急・名鉄岐阜行きに乗車しましたが、その前に、窓口で名鉄岐阜までのミューチケット(350円)を購入しました。私は特別車両の指定された窓側席に座りました。特別車両は空いていましたが、10人ほどが乗っていました。



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豊橋からは来た道を戻りますが、今回は行きとは反対側の車窓風景を眺めました。午前中は曇っていましたが、午後から晴れてきて陽射しが強かったです。東岡崎や知立から特別車に乗車した人もいて、半数強の座席が埋まりましたが、神宮前、金山、名鉄名古屋で大半が下車し、名鉄名古屋~名鉄岐阜はガラガラ状態になりました。私は車窓風景を眺め続け、終点の名鉄岐阜には16時37分に到着しました。1時間22分の乗車時間で名古屋本線を走破しました。



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名鉄岐阜駅では地平ホームに発着する各務原線の普通・犬山行きに乗り換えました。私の好きな5700系4連で、一時期6連になっていた5702Fでした。そこそこの乗車率でしたが私は空席の転換クロスシート窓側席に座りました。しかし私は次の田神駅で下車したので、2分しか5700系に乗れませんでしたw 私は2005年に廃止された600V線区の名鉄田神線の廃線跡を探訪する目的で田神駅で下車しました。尚、1999年や2003年、2004年には現役時代の田神線に乗った事があります。



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田神駅で下車後は、田神線の遺構である低床ホームを探しましたが、名鉄は仕事が早く(?)、ホームは既に撤去されていました。その後は駅を出て、線路の少し北側を通る東西の幹線道路を東へ歩き、市ノ坪駅跡を目指しましたが、途中にはスーパー「マルナカ」がありました。しかしよく見ると、香川や岡山を中心に展開している「マルナカ」とは別会社のようでした。



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そしてすぐに市ノ坪駅跡に着きました。駅へ至る線路橋、ホーム跡やキロポストが残っていました。名鉄は現役線の廃駅などはすぐに撤去しますが、廃線に関してはそうでもないようです。また、岐阜工場跡は更地になっていました。ちなみに市ノ坪駅跡・岐阜工場跡は現在パチ屋になっている模様です。



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市ノ坪駅跡を探訪した後は、東側へ移動して併用軌道区間の廃線跡を北へ辿りました。併用軌道区間なので遺構はほぼゼロのようでした。



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私は美濃町線との合流電停であった競輪場前から少しだけ美濃町線跡を西へ歩き、途中から南へ逸れて田神駅まで戻りました。時刻は17時50分でした。

田神駅からは各務原線の普通・名鉄岐阜行きに乗車しましたが、この列車も5702F4連でした。私が田神線の廃線跡を探訪している間に5702Fは犬山まで行って戻ってきたのですw 私は空いている後方車両の転換クロスシート窓側席に座り、市街地の車窓風景を眺めました。やはり2分の乗車時間で終点の名鉄岐阜に着きました。



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名鉄岐阜駅到着後は、どのようなルートで自宅へ帰ろうかと考え、新幹線ではなく在来線の乗り継ぎで帰宅する事に決めました。まずは改札外へと出て、市街地を歩いてJRの岐阜駅を目指します。しかし、昼食がパンのみで腹が減ってきたので、何度か入店したことのある駅前の「宮本むなし」へ入り、ジャンボとんかつ定食(590円)を食べました。

夕食後は岐阜駅へと入り、『JR全線きっぷうりば』(JR東海では『みどりの窓口』の呼称を使わないそうです)で加古川駅までの乗車券を求めましたが、中年の係員が「新幹線はどこからどこまで」と言うので、私は「全部在来線です!」と言って普通乗車券(3,890円)だけを買いました。JR東海としては新大阪まで新幹線に乗ってほしいのは当然ですが、我々客にとっては東海だろうが西日本だろうが関係ないのです!! 

きっぷを買った後は入場し、18時51分発の東海道本線下り新快速・米原行きに乗車しました。



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オール転換クロスシートの313系5000番台6連で、乗客が多く私はドア脇で立席となりましたが、既に暗くなっていて車窓風景は望めませんでした…。大垣で多くの人が下車したので私は窓側席を確保し、携帯電話のゲームを楽しみながら終点の米原駅まで移動しました。この日は『青春18きっぷ』期間ではありませんでしたが、窓側席が全て埋まっている状態で、乗車率が高かったです。

米原駅では14分の接続で、関西地区の新快速に乗り継ぎました。223系8連+4連で、収容力は先程の東海新快速の2倍です。乗車率は低く、私はトイレに近い先頭1号車の転換クロスシート窓側席に座りました。道中は車窓風景を眺めようもなく、先程と同じく携帯電話をいじっていましたが、途中で眠気に襲われ、近江八幡~明石で居眠りしていました。加古川駅では無事に下車できました。22時11分でした。岐阜から3時間20分でした。



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加古川駅にて下車後はとっとと自宅へ帰り、1泊2日の乗り鉄旅行を終えました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません

(※)名鉄田神線の廃線跡は現役時に踏破済なので廃線跡踏破としてはカウントしません。


(参考:Wikipedia)