第790回('11) 名鉄西尾線&尾西線を乗り鉄、そして名鉄一宮線の廃線跡探訪 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2011年のゴールデンウィーク後半は、5月6日~5月8日にかけて、1泊2日の日程で中京圏を乗り鉄しました。
主に名鉄を乗り鉄しましたが、オープン間もない『リニア・鉄道館』の訪問や名古屋市営地下鉄桜通線の乗りつぶしもしました。

今回は2日目前半の模様です。
まずは名鉄西尾線を乗り鉄しました。そして岩倉から一宮まで1965年(昭和40年)に廃止された名鉄一宮線の廃線跡を探訪しました。
さらに一宮からは名鉄尾西線を乗り鉄しました。西尾線と尾西線、漢字表記ですと字が入れ替わっているだけなので混乱しそうですw
今回の日程 2011年5月7日(土) 【前半】

名鉄名古屋609(名鉄名古屋本線・特急)635新安城638(西尾線)700西尾713(西尾線)726吉良吉田745(西尾線)756西尾802(西尾線→名古屋本線・特急)848名鉄名古屋/名古屋859(東海道本線・3127F)903枇杷島910(東海交通事業城北線・113H)917小田井922(徒歩)927上小田井935(名鉄犬山線)938西春940(急行)943岩倉955(徒歩・名鉄一宮線の廃線跡)1150東一宮駅跡1150(徒歩)1159名鉄一宮1213(名鉄尾西線)1222玉ノ井1231(尾西線)1239名鉄一宮1243(尾西線)1316津島1317(尾西線)1322佐屋1331(尾西線)1336弥富

【後半へ続く】
この日は4時半に起床し、朝食を食べてから名古屋駅西側にあるホテルをチェックアウトしました。そして正面にJRセントラルタワーズを見て新幹線側の太閤口から名古屋駅を通り、桜通口から出て名鉄名古屋駅のある地下へ入りました。



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そして『名鉄電車全線2Dayフリーきっぷ』(3,800円)で入場し、名古屋本線の特急・豊橋行き(6時09分発)に乗車しました。1000系-1200系6連の後ろに1800系2連を増結した8両編成で、私は1200系側の一般車・転換クロスシート窓側席に座りました。まだ早朝だったので車内は空いていました。この日は曇り空でしたが、道中は車窓風景を眺め続けて新安城駅で下車しました。かつての駅名は『今村駅』でした。



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新安城駅では地下通路を通って行き止まり式の1番線へと移動し、西尾線の普通・西尾行きに乗り換えました。6000系2連+6800系2連で、私は6800系の空いているクロスシート窓側席に座りました。車内は高校生で大半の座席が埋まりましたが、高校生は相席を嫌う傾向にあり、私の隣席は空いていました。



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電車は6時38分に新安城を発車し、郊外の風景の中を南下します。西尾線は複線分の用地が確保されている印象で、現に複線化されている区間もあります。今や唯一の「碧海」冠名の付く駅となった碧海古井を過ぎると東海道新幹線をアンダークロスして左手に観覧車が見えましたが、ここは安城市営の遊園地「堀内公園」だそうで、最寄駅の碧海堀内駅は2008年に「堀内公園駅」へと改称されています。その後は西尾市へと入り、矢作川を渡って市街地を高架線で走ると22分の乗車時間で終点の西尾に到着しました。



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西尾駅では一旦改札を出て駅舎と駅前を撮影しました。そして窓口で西尾8時02分発の特急・名古屋行きのミューチケット(特別車両券。350円)を購入してから再入場し、さらに先へ行くために普通・吉良吉田行きに乗車したのですが、この列車は先程の西尾行き列車の前2両・6000系2連が使用されます。オールロングシートの車内は高校生で座席が埋まっていて、私は最前部のドア脇から車窓風景を眺める事にしました。道中は西尾以北よりローカル度が高く、また複線分の用地も用意されていませんでした。また、2006年に廃駅となった鎌谷駅と三河萩原駅の遺構を確認しようと思いましたが、駅施設は撤去されていたようです。そして13分の乗車で、電車は7時26分に終点の吉良吉田に到着しました。



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吉良吉田駅でも駅の外へ出て駅舎と駅前を撮影しました。そして折り返しの普通・西尾行きに乗車しました。車内は空いていましたが、私は予めドア脇へ。案の定、吉良吉田駅での発車間際や途中駅で多くの高校生が乗ってきて座席が埋まりました。西尾駅には7時56分に戻ってきました。

西尾駅では改札を出ずに、隣のホームに停車していた特急・名鉄名古屋行きに乗り継ぎました。1000系-1200系6連で、私は1000系の展望室最前部の席に座りました。しかし、展望室には他の乗客は誰もいませんでした。それもそのはず、展望室は進行方向逆向きなので(現在、1000系の展望車は名古屋本線基準で豊橋方にのみ連結されています)、一般の乗客は敬遠しているのでしょうね。逆に私は貸切状態に喜び、テンションが上がっていましたwww



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特急は定刻の8時02分に発車し、西尾線の車窓風景を後方展望で楽しみました。新安城からは名古屋本線へ入りますが、結局展望室には誰も乗ってきませんでした。私は最後まで後方展望を楽しみ、特急は定刻の8時48分に終点の名鉄名古屋駅に到着しました。展望室を独占できて気持ち良かったです。一般席は混雑していたと想像できます。



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名鉄名古屋駅到着後は駅の外へ出てJRの名古屋駅へと移動し、『 ICOCA 』で入場して東海道本線下り・岐阜行き3127Fに乗車しました。313系0番台4連でしたが、東海道線では313系5000番台が投入されて以降、0番台が脇役へ回る機会が増えてきましたね…。京阪神では「同期」の223系2000番台が今もバリバリで新快速運用に就いていますが…。車内はガラガラだったので私は転換クロスシート窓側席に座り、車窓風景を眺めて1駅目の枇杷島駅で下車しました。



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枇杷島駅では一旦改札を出て自動券売機で小田井までの乗車券を購入し、東海交通事業城北線の勝川行きに乗車しました。キハ11-202の単行で、乗客は4~5人と少なかったのですが、私は最後部のロングシートに腰掛けました。道中は側方や後方を眺め、2駅目の小田井で下車しました。



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小田井駅は無機質な感じの駅で、階段を下りて地上へ。そして住宅地の中を歩き、5分ほどで名鉄・名古屋市営地下鉄の上小田井駅に着きました。本来は名鉄名古屋駅から犬山線に乗ればすぐに上小田井駅に着いたのですが、城北線の車窓風景の写真が欲しかったので今回のようなルートになりました。

上小田井駅からは名鉄犬山線の普通・柏森行きに乗車しました。地下鉄鶴舞線からの直通列車で、20m車の100系6連でした。私の乗った編成は116Fで、界磁添加励磁制御でしたが、この編成はVVVF制御に改造されたのでしょうか? 



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車内はガラガラだったので私はロングシートを独占して車窓風景を眺めました…と言っても、乗車したのは西春までの1区間だけでしたがww

乗車した普通は西春駅で急行を待避するため長時間停車するので、先発する急行・新鵜沼行きに乗り換えました。6500系4連で、大半の座席が埋まっていたので私はドア脇で車窓風景を眺め、次の停車駅である岩倉で下車しました。9時55分でした。
岩倉駅では『名鉄電車全線2Dayフリーきっぷ』(3,800円)を自動改札機に通して駅の外へ出ようとしましたが、きっぷが詰まってしまいました…。駅員がすぐに駆けつけてくれて、きっぷを出してくれましたが、なぜ詰まったのかは分かりませんでした…。この「詰まり」の理由は2年後に明らかになるのですが…。



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岩倉駅では駅舎と駅前を撮影し、西口側へ。ここから徒歩で1965年に廃止となった名鉄一宮線の廃線跡を探訪することにします。地図を取り出し、廃線跡を転用した道路を辿りました。一宮線の廃線跡は9割方道路に転用されているので、どこを走っていたか分かりやすかったです。反面、遺構は少なかったです。数少ない遺構である県道63号線(名草線)の陸橋を過ぎると一宮市へと入り、名神高速道路をアンダーパスして郊外風景の中を延々と歩きます。



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途中駅の跡も既になく、バス停部分の道幅が広がっている事がここに駅があったことを後世に伝えていました。バスといえば、廃線跡を歩いていると意外なほどに路線バスの姿を見かけます。毎時3~4本は走っていると思われ、廃止代替バス(?)としては異例の多さです。利用客もそれなりに多いのでしょうか?一宮線は国道22号線名岐バイパスの建設時に、おそらく費用面からバイパスとの立体交差化を断念して廃線になったと思われますが、もし沿線にバイパスが建設されなかったら、またはバイパスが立体構造で建設されていたならば、もしかしたら現在まで路線が存続されていたかもしれませんね…。
しばらく歩いて浅野駅前を過ぎると、その名岐バイパスにぶつかり、迂回して反対側へ回りました。現在はバイパスの高架部を名古屋高速16号一宮線が通っています。その後は住宅地を歩きますが、道路が途切れて廃線跡は住宅などに転用されています。ここも迂回して大江川を渡りましたが、橋台が残っていました。そして市街地へと入り、廃線跡は駐車場などへと転用されていましたが、ほどなくして終点だった東一宮駅跡に着きました。



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駅跡には痕跡はなく、廃止後には現役時代からのバスターミナルと、新たに建設された名鉄丸栄百貨店が並存していました。子供の頃にこの百貨店へ行った記憶があります。しかし、百貨店は2000年に名鉄一宮駅前に移転し、建物は取り壊されて新たに高層住宅が建てられました。また、バスターミナルも名鉄一宮駅前に移転しました。

東一宮駅跡を後にして、飲食店を探しながら市街地を西へ進みます。当地の中堅(?)スーパーで何度か行った事のある「グランドタマコシ」もいつの間にか倒産して、本店の店舗も高層住宅に建て替えられています。しかし、タマコシと繋がっていたルボテンサンビルは残っていました。また、真清田神社へ続く商店街も現存していましたが、例に漏れず通行客は少なかったですね。商店街の北端にはダイエーがありましたが、地図を見ると今は葬儀屋に変わっていますね。子供時代に来たことのある一宮市街を思い出しながら歩き、12時前に尾張一宮駅に着きました。JR駅のある東側には旧名古屋駅舎を小さくしたような古びた鉄筋コンクリート造の駅舎があったはずですが取り壊されていて、新しい駅舎を建設中でした。



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そして私は西側の名鉄一宮駅へと回りました。結局、適当な飲食店は見つからなかったので、駅にあるコンビニでパンを買って入場し、すぐに入線した尾西線・玉ノ井行き電車(6800系2連)に乗って、ガラガラの車内でロングシートの最後部座席に座って食べました。食事中に名古屋本線からの乗換客などが増えて座席が埋まり、列車は発車しました。



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道中は後方展望を楽しみました。開明と奥町で8割方の乗客が下車し、最後はガラガラ状態で玉ノ井に到着しました。9分の乗車時間でした。



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玉ノ井駅では駅舎と駅前を撮影して9分後に発車する折り返し列車へと戻りました。3年前には玉ノ井から先、木曽川港駅跡まで廃線跡を辿ったことがありますが今回はパスですw 折り返し列車でも後方展望を楽しみました。はじめはガラガラでしたが、奥町と開明で乗客が増えました。座席が埋まるまでには至りませんでしたが…。

名鉄一宮駅では、玉ノ井方面と同じホーム南側に縦列に停車している津島行きに乗り継ぎました。4分の接続です。車両は今回も6800系2連でした。こちらは高校生を中心に満席で、ドア脇となりました。道中は車窓風景を眺めていました。高校生は萩原で一斉に下車し、森上からは空いた状態になりました。因みに、乗客の多い名鉄一宮~森上は単線ですが、乗客の少ない森上(の弥富方)~津島(の手前)までは複線です。森上からも着席しないでドア脇で車窓風景を眺め続けました。遠方には養老山地も見えました。33分の乗車で終点の津島に着きました。



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津島では1分の接続で津島線から直通してきた普通・佐屋行き(6800系2連×2)に乗り継ぎました。車内はガラガラで、私はクロスシート窓側席に座りました。乗車率は私の地元・神戸電鉄粟生線よりも低い感じですが、こちらには存廃問題は出ていません。私は今回も車窓風景を眺め、佐屋までの移動時間を過ごしました。途中、沿線には和歌山資本のスーパー「オークワ」がありました。名鉄のスーパーだった「パレマルシェ」も現在はオークワ傘下です。



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佐屋駅到着後は駅の内外を観察してから後続の弥富行き(6500系4連)に乗車しました。こちらも乗客が少なく、私はロングシート化された座席に着席して車窓風景を眺めました。途中には珍名?の「五ノ三駅」や廃駅となった弥冨口駅(遺構あり)など見所が多かったです。そして5分の乗車で終点の弥富に到着しました。時刻は13時36分です。



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弥富駅で下車後はホームで「海抜-0.93m 地上で一番低い駅」の看板などを撮影しました。ちなみに一説では近鉄弥富駅の方が海抜が低いとも言われていますが、真相は分かりません。弥富駅はJR東海の管理駅なので自動改札機に名鉄のフリーきっぷが通らないのでは…と思ったので、私は改札口の有人改札で『名鉄電車全線2Dayフリーきっぷ』を提示して駅を出ました。すんなり通してくれました。



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弥富駅を出た後は、南方にある近鉄弥富駅へと向かい、まだまだ乗り鉄を続けました。

(つづく)


今回の新規踏破路線はありません



今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
名古屋鉄道:一宮線岩倉→東一宮(7.1km)1965年廃止
(参考:Wikipedia)