この写真のみ2013年6月撮影。今回の記事と関係ありません。
今回は、戦前、愛知県田原市の三河田原~黒川原で営業していた
名鉄渥美線(現・豊橋鉄道渥美線)の廃線跡について超簡単にレポートします。
現在の豊橋鉄道渥美線は元々、大正時代に渥美電鉄が建設した路線で、1924年~1925年にかけて新豊橋~三河田原が開業し、1926年には三河田原~黒川原が延伸開業しました。
その後、1940年に名古屋鉄道が渥美鉄道を合併し、名古屋鉄道渥美線となりましたが、戦時中の1944年に三河田原~黒川原が休止となりました。
戦後になり、1954年10月1日に渥美線は名古屋鉄道から名鉄グループの豊橋鉄道に譲渡され、1ヶ月後の11月20日には名鉄線のまま残っていた三河田原~黒川原が廃止となりました。
その後、1940年に名古屋鉄道が渥美鉄道を合併し、名古屋鉄道渥美線となりましたが、戦時中の1944年に三河田原~黒川原が休止となりました。
戦後になり、1954年10月1日に渥美線は名古屋鉄道から名鉄グループの豊橋鉄道に譲渡され、1ヶ月後の11月20日には名鉄線のまま残っていた三河田原~黒川原が廃止となりました。
尚、今回の区間はサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。
また、2008年と探訪時期がかなり以前で、それ以後に三河田原駅が変化していて様子が異なりますが、何卒ご了承願います。
また、2008年と探訪時期がかなり以前で、それ以後に三河田原駅が変化していて様子が異なりますが、何卒ご了承願います。
(Yahoo!地図を使用)
路線名 | 区間 | 営業キロ | 廃止日 |
名古屋鉄道:渥美線 | 三河田原~黒川原 | 2.8km | 1954年11月20日 |
探訪・撮影時 | 2008年11月 |
(1)2008年当時の三河田原駅にて終端方を望む。
戦前はこの先、黒川原まで線路が延びていました。
当時も機回し線が残っていましたが、三河田原駅や周辺の整備により、車止めは手前に移設されました。
戦前はこの先、黒川原まで線路が延びていました。
当時も機回し線が残っていましたが、三河田原駅や周辺の整備により、車止めは手前に移設されました。
(1)終端部より三河田原駅構内を望む。
おそらく渥美電鉄~名鉄時代の面影を残していたと思われます。現在、駅舎は写真手前側に移設されています。
おそらく渥美電鉄~名鉄時代の面影を残していたと思われます。現在、駅舎は写真手前側に移設されています。
(2)レールが途切れた後、廃線跡は道路に転用されて工場の間をカーブしながら通っていました。
(3)しばらく進むと廃線跡は小さな川(名称不明)を渡っていましたが、橋脚や橋台は残存していません。
川を渡った先、しばらくの間は区画整理により廃線跡は工場などに転用され、現役当時の面影は消滅しています。
川を渡った先、しばらくの間は区画整理により廃線跡は工場などに転用され、現役当時の面影は消滅しています。
(4)しかし、150mほど進むと廃線跡は道路転用され、辿ることが可能になります。
この辺りから連続上り勾配となります。私が訪問する少し前までは築堤が残されていました。
この辺りから連続上り勾配となります。私が訪問する少し前までは築堤が残されていました。
(5)300mほど道路転用区間を進むと、廃線跡は未塗装の道路となります。
雑木林の間を通っていましたが、当時の雰囲気が少しは出ているかもしれません。
尚、この区間は現在アスファルト舗装されています。
雑木林の間を通っていましたが、当時の雰囲気が少しは出ているかもしれません。
尚、この区間は現在アスファルト舗装されています。
(6)未舗装道路を西南西へ進むと、加治駅跡に着きます。
ホーム跡は残存していなかったと記憶しています。
ホーム跡は残存していなかったと記憶しています。
(7)加治駅跡から少し進むと、廃線跡は再び舗装道路となります。
沿線は民家と畑、雑木林ばかりです。
沿線は民家と畑、雑木林ばかりです。
(8)さらに進むと勾配を上りきり、一旦廃線跡が途切れます。廃線跡には雑草が生えています。
(9)その後すぐに廃線跡は畑の中を走る国道259号線田原バイパスに飲み込まれてしまいます。
当然ながら(?)遺構は残存していません。
当然ながら(?)遺構は残存していません。
(10)国道を西へ進むと、大久保南交差点辺りにあったとされる黒川原駅跡に到着します。
やや広い用地が当時を偲ばせてくれますが、まぁ黒川原駅の用地かどうかは分かりませんw
駅跡の北側には集落がありますが、南側は一面畑になっています。
やや広い用地が当時を偲ばせてくれますが、まぁ黒川原駅の用地かどうかは分かりませんw
駅跡の北側には集落がありますが、南側は一面畑になっています。
(10)黒川原駅跡にて三河田原方を望む。三河田原駅から2.8kmの地点にあります。
尚、戦前には名鉄渥美線を国有化して、さらに先にある旧・渥美町の福江地区や堀切地区まで延伸する計画がありました。
結局、黒川原以遠が開業することはなく、国有化されることもありませんでしたが、黒川原以遠では一部施設が建設されており、未成線探訪が可能です。
結局、黒川原以遠が開業することはなく、国有化されることもありませんでしたが、黒川原以遠では一部施設が建設されており、未成線探訪が可能です。
(おしまい)
今回の廃線跡は距離が短く、徒歩でも往復1時間半あれば探訪が可能です。
廃線跡の北側を通る旧道(田原街道)には路線バスが走っているので、片道はバスでも移動できます。
食料・飲料は三河田原駅付近、黒川原駅跡付近にコンビニがあるので心配はいらないでしょう。
廃線跡の北側を通る旧道(田原街道)には路線バスが走っているので、片道はバスでも移動できます。
食料・飲料は三河田原駅付近、黒川原駅跡付近にコンビニがあるので心配はいらないでしょう。
ただ、遺構が皆無に近いので廃線跡探訪としては物足りないかもしれませんが…。
乗換駅 | 乗換路線 |
三河田原駅 | 豊橋鉄道:渥美線 |
(参考:JTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩くⅣ』、Wikipedia)