第699回('09) 岐阜県内の名鉄各線を乗り鉄して在来線で帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2009年12月26日~30日、3泊4日の日程で中部地方・関東地方の鉄道路線を乗り鉄しました。

今回は最終4日目後半の内容です。名鉄竹鼻線、羽島線、各務原線を乗り鉄して、新幹線ではなく在来線で兵庫県加古川市の自宅へ帰りました。
JR在来線は『青春18きっぷ』を使用しました。
今回の日程 2009年12月29日(火) 【後半】  

岐阜(徒歩)名鉄岐阜1249(名鉄名古屋本線・急行→竹鼻線・普通→羽島線・普通)1317新羽島1321(羽島線→竹鼻線→名古屋本線)1350名鉄岐阜1358(各務原線)1429新鵜沼/鵜沼1441(高山本線・736C)1502岐阜1504(東海道本線・2327F新快速)1516大垣1540(237F)1617米原1619(琵琶湖線→JR京都線→JR神戸線・3491M新快速)1838加古川

【帰宅】
岐阜駅でJRを下車した後は、改札を出て名鉄岐阜駅まで移動しました。そして今回は当ブログの路線別記事作成の写真収集のため、竹鼻線と羽島線を乗り鉄することにしました。当時の名鉄は『 manaca 』導入前だったので券売機で新羽島までの乗車券を買い、改札内へ。私は新羽島行きの急行(笠松から普通)に乗りました。3150系2連で、車内は転換クロスシートとロングシートの座席配置でした。私は最前部の座席に座り、かぶりつきをすることにしました。乗客は少なく、岐阜羽島駅から新幹線に乗るような雰囲気の乗客の姿は見られませんでした。



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電車は定刻に名鉄岐阜を発車し、名古屋本線内の加納、茶所、岐南を通過してあっという間に笠松に着きました。笠松駅の近くにはオグリキャップを輩出した地方競馬の笠松競馬場がありますが、この頃すでに存廃問題で揺れていました。2015年1月の時点でも何とか頑張っていますが、今後が心配です。また、個人的に笠松といえば小さい頃、駅前にある岡田眼科に通院していた記憶があるのですが、今はどうなっているのでしょうか? この付近に来ると小さい頃のことを思い出します。

笠松からは竹鼻線へと入り、西笠松を過ぎると築堤高架となり旧国道22号線をオーバーパスします。この跨道橋には道路側から見たら「お千代保稲荷参詣電車」と書かれていた記憶があります。また、付近にあった松波病院(当時)では、父親が盲腸で入院していたことがあります。その後は西へ進み、小さい頃に何度も行ったジャスコ柳津店を右手に見て、2008年に現在地へ移転となった柳津駅に着きました。



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その後はカーブ地点にあり乗降が危険だった旧駅跡を通過して南へ進路を変え、南宿、須賀と停車していきます。須賀駅の読みは「スカ」で、競馬雑誌で岐阜羽島駅から名鉄で笠松競馬場へ行く企画があり、競馬場の手前に「スカ(外れ の意)」駅があるとは縁起が悪い…といった内容が書かれていたことを思い出しました(須賀駅周辺の皆様、すみません)。



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その後は不破一色、線名と同じ駅名の竹鼻と停車し、羽島市の中心駅である羽島市役所前駅に着きました。竹鼻線が大須まであった時代には当駅始発・終着とした列車が設定されていました。羽島市役所前を発車後は高架区間になり、県道を跨ぐとすぐに地平に戻り江吉良に着きました。江吉良を発車後は右へカーブして羽島線へと入りますが、直進していた竹鼻線の廃線跡はバラストが残っていました。



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羽島線へ入ると高架区間になり、左側を走る東海道新幹線に寄り添うと終点の新羽島に到着しました。当駅は過去に雪で電車がオーバーランした歴史があり、その影響で電車はかなり手前の地点で停車しています。また、乗客は10人ほどでしたが、新幹線駅へ移動した人が2人ほどいました。



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折り返し列車(普通・名鉄岐阜行き)の発車まで4分しかなかったので新羽島駅到着後はすぐに改札外へ出て、駅舎を撮影してから自動券売機で新鵜沼までのきっぷを買おうとしましたが、焦ってしまい間違えて名鉄岐阜までのきっぷを買ってしまいました…orz 時間がないのでそのまま改札を通り階段を上って高架ホームへ急ぎ、滑り込みセーフで折り返し列車に乗車できました。車内はガラガラだったので今度は転換クロスシートに座って車窓風景を楽しみ、終点の名鉄岐阜まで乗り通しました。今回の電車は名古屋本線内も各駅に停車していきました。

名鉄岐阜駅では連絡通路を通り、各務原線(かかみがはらせん)の普通電車・犬山行きに乗り継ぎました。鉄仮面顔の6800系2連で、私は窓割と合ったクロスシートの進行方向窓側席に座りました。車内は空いていましたが、発車直前には半分以上の座席が埋まりました。



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各務原線はこれといった見所はありませんが、田神~細畑では2005年に全廃となった岐阜地区600V線区の車両基地だった市ノ坪の岐阜工場跡を見ることができました。田神線の市ノ坪駅跡はホームが辛うじて残っていましたが、岐阜工場跡は更地になっていました。その後は田園風景の中を走りますが、並走する高山本線がよく目に付きました。新那加~名電各務原では住宅街の中を走りました。名電各務原駅は2005年の中部国際空港駅開業時に新名古屋・新一宮・新岐阜の各駅が名鉄○○駅に駅名変更された際にも他の駅ともども「名電」のまま残されてホッとした思い出があります。名鉄の歴史を物語る「名電○○」の駅名は今後も存続させてほしいものです。
名電各務原を過ぎてしばらくすると下り勾配で台地から平野部へと進み、撮影名所として有名な「にんじんカーブ」を通過して、名鉄岐阜から31分の乗車で各務原線と犬山線の境界駅である新鵜沼駅に着きました。私はここで下車し、有人改札で「新羽島→名鉄岐阜(420円)」のきっぷを提示して、差額の260円を支払って出場しました。名鉄岐阜→新鵜沼の運賃(440円)を徴収されるかとビクビクしていましたが、差額で済んで助かりました…。



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新鵜沼駅では正面口となる西口から出ました。駅舎を撮影した後は、西口横に新設されたと思われる「鵜沼空中歩道」という自由通路を通り、名鉄駅とJR駅を跨いでJR鵜沼駅の北口へ出ました。地平へ下りて橋上駅舎を撮影してから階段を上って橋上にある改札へと向かい、改札口で『青春18きっぷ』を提示して入場しました。そして高山本線上り・岐阜行き736Cに乗車しました。キハ11形の2両編成で、座席がほどよく埋まっていて先程乗った名鉄各務原線の電車と同じくらいの乗客数でした。



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私は最後部で立席となり、後方展望して終点の岐阜駅まで乗り通しました。各駅に停車しましたが所要時間は21分で、気動車ながら名鉄の普通電車より10分も速かったです。普通運賃も名鉄より安く、鵜沼~岐阜ではJRも頑張っていると思われます。

岐阜駅では2分の連絡で東海道本線の下り新快速(313系5000番台6連)に乗り継ぎました。偶然空いていた席があったので、そこに座り、携帯電話をいじりながら終点の大垣駅まで移動しました。新快速は大垣駅で快速として折り返しますが、米原方に2両増結する作業をしていました。



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大垣駅では当駅始発の米原行き普通列車237Fに乗り継ぎました。313系0番台4連+313系300番台2連の6両編成で、私は0番台の転換クロスシート窓側席に座りました。乗車当初は空席もありましたが、発車直前に名古屋方からの快速電車が到着したので、乗換客が殺到してあっという間に混雑状態となりました。私と同じ『18きっぷ』ユーザーが多そうでした。

237Fは定刻に大垣を発車し、私は混雑をよそに車窓風景を眺めていました。懸念していた関ヶ原~米原の積雪・降雪は見られなくて一安心しました。天気が良くて伊吹山も山頂まで見ることができ、山頂部のみ冠雪していました。



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そして37分の乗車で237Fは終点の米原に到着しました。



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米原駅では2分の接続で東海道本線(琵琶湖線)の下り新快速に乗り継ぎました。223系8連+4連の12両編成で、私は後方の4連に乗りました。6連の客が12連へばらけるので、長浜~、米原で乗車した人を合わせても先程の237Fより乗車率は低く、私は難なく窓側席を押さえることができました。道中は車窓風景を眺めていましたが、間もなく日没を迎え、京都を過ぎると暗くなってきました。それとともに眠気が襲ってきて、高槻~西明石間では寝てしまいました。最後は二度寝することなく、無事に加古川駅で下車することができました。



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加古川駅到着後はそのまま自宅へ直行し、3泊4日の乗り鉄旅行を終えました。
これにて2009年の乗り鉄は終了…ではなく、もう1回列車に乗る機会があったので、次回の第700回でUP致します。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)